心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

村上春樹という人

2012-09-30 09:52:50 | Weblog
 きょうは9月最後の日曜日、30日です。台風17号の影響でしょうか、窓の外をみると雲の流れが速い。しばらくしたら雨になりそうな、そんな空模様です。そんな日曜日はロッシーニの序曲集がお似合いかも。先日、帰宅途中に、大阪駅前第一ビル地下のワルティさんに立ち寄りました。ピアノの棚を眺めて、ヤナーチェックの「ピアノソナタ」。そしてグレン・グールド。CDの状態も悪くないのに、1ケース2枚組で630円というお値段です。

 ロッシーニの歌劇「泥棒かささぎ」を探したのですが、英文名を調べてこなかったので断念。序曲集をお隣のDISC JJさんで見つけました。リッカルド・シャイー指揮、ナショナルフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。ウィキペディアによれば、カササギ(鵲、Pica pica)は、スズメ目カラス科に分類されるカラスで、佐賀県の天然記念物に指定され同県の県鳥にもなっているようです。西洋では伝統的に「おしゃべり好きのキャラクター」としての表象を与えられていて、金属など光るものを集める習性があることから「泥棒」の暗喩に用いられることがある、と。なんとなく歌劇「泥棒かささぎ」のイメージが見えてきます。
 ところで、先週金曜日、久しぶりに東京に出張しました。朝6時前に家を出て10時前には目的地に着くべきところ、1時間30分の遅れでした。原因は信号のケーブルを小動物がかじったためでした。科学の粋を集めた新幹線を小動物が止めた。怒り半分、あとはなぜか「よくやった」と。そう思うのはおそらく私一人でしょうね。小動物も必死、人間様も必死。出鼻を挫かれたというよりも、前のめりになりがちな人間様を小動物がセーブさせる役目を果たしてくれました。

 11時30分に東京駅に到着すると足早に丸の内中央改札口に急ぎました。目的地まで8分。でも、駅舎を出て思い出しました。復元工事を終えて近くグランドオープンする東京駅は、大阪市中央公会堂の設計にも関与した建築家・辰野金吾の作品です。鞄の中からデジカメを取り出して何枚か収めました。高層ビルに囲まれた窮屈な環境にありながら、しかし明治・大正期の面影を存分に残しています。こんど上京の折は、ぜひ夜に浮かぶ駅舎を撮影したいものです。
 
 話は変わりますが、数日前に「ねじまき鳥クロニクル」を読み終えて、これまた不思議な心持に収まりがつきません。いったい村上春樹ってどういう人物なんだろう。駅の書店で、文芸文庫「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです~村上春樹インタビュー集1997~2011」を手に取りました。すると、その第一章「アウトサイダー」の冒頭、インタビュアーは「ねじまき鳥クロニクルのアイデアはどのようにして得たのでしょうか」と質問します。これに対して村上春樹は、「きわめてシンプルな風景です。でもそこから何か大きなことが始まるんだという予感のようなものがありました」と。気負うことなく、心に浮かんだ思いを素直に述べています。全体を通じて、決して断定的なことは言わない。自分を飾ろうとはしない、ふわっと、自分の思いを素直に正直に述べています。読者の多くは20代、30代の若者だとか。


 朝、新大阪駅で東京行の「のぞみ」に飛び乗って、温かいコーヒーをいただきながら、鞄から朝日新聞を取り出して驚きました。28日朝刊1面のトップに「村上春樹さん寄稿」の文字。「魂の行き来する道筋 塞いではならない」「領土問題、文化に影響憂う」と。中国、韓国、台湾でも多くの若い読者をもつ村上作品、中国の書店で日本書籍が規制を受けていることにショックを隠しきれない村上氏は、領土という物理的な境界を越えて東南アジア固有の「文化圏」が形成されてきた、今日に至る長い道のりを振り返ります。そして、言葉を選びながら、事態を冷静に見つめつつ、両国に自制を求めています。いまの状況を安物の酒にたとえ、「それは安酒の酔いに似ている。静かな姿勢を示すことが大事」とも。
 記事にも触れてありましたが、「ねじまき鳥」には1939年に満州国とモンゴルとの間で起こったノモンハン戦争の状況が生々しく表現されている場面がありました。

 こうして慌ただしい中にも、何かに拘りながら生きている、そんな私が見え隠れしています。9月もきょうが最後、今年もあと3カ月となりました。きょうはこれから、雨が降る前に、先週種蒔きをした秋野菜の間引きでもしましょう。
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