らむ茶の独り言

ロックとノンアルコールビールと田舎暮らしを愛するガーディニング野郎の勝手な独り言。

続、目には目を

2016年10月18日 23時37分17秒 | 日記
 
目には目を

どうして戦争したがるかねえ、とオフクロ。話し合いで問題が解決しないからでしょ、とオレ。世の中、温和な話し合いで物事が解決したら苦労はいらない。その話し合いも大体が相手を罵倒する......
 

寂聴が死刑廃止を訴えるシンポジウムに送ったビデオメッセージにクレームがついて、寂聴が謝罪したというネット記事のコメントがまた激しく憂鬱なものばかりだった。
バカ者と言ったとかなんとかで騒いでるらしいが、謝罪を聞くまでもなく寂聴が被害者に対してバカ者などと言うワケが無いでは無いか。 
いちいちこんなことで謝罪しないといかんとはなあ 。一体どっちが社会に対して害をなしてるかは明白だろうに。

以前福島原発の問題で「美味しんぼ」原作者雁屋哲がバッシングを受けたことがあったが、全く同じスジの話だね。
批判してる連中は的外れもいいところだが、批判していた連中はそもそも「美味しんぼ」など読んでいないだろう? 
美味しんぼを読んでいた読者ならこの漫画がどういう漫画か分かってるはず。批判コメな全くの見当違いもいい所のウンザリするものばかりだった。
オレなどは、これは原発推進の政府の機関が加担してバッシングしてるのではないかと思ったほどだ。まあそれも全くの見当違いだろう、、、と思いたいが、まさかな。いや、もしかしたら、、、。

とまれネット上の批判はだいたい筋違いの見当違いの、ただ相手を口汚く罵るのが目的の便所のラクガキだ。
オレは雁屋哲にも寂聴もあったことはない。しかし、雁屋哲原作の漫画や本人のブログ、寂聴の書いた本などを読めば、ネット上で批判されてるような人物ではないことぐらい判る。
ところが便所の落書きの方に共感するのだな、ネットの住人は。だからネットにはアタマのおかしい連中しかいなのではないか、という疑問も持たざるをえないことになるわけだ。
知った顏で情けないことを書いてる連中が本当に多いのに驚く。普通は書けないだろう、こんな無知丸出しのコメントなど。
たまに吹き出しそうな的を得たコメントも散見できるが、そういうのは罵詈雑言の中にはないからね。

死刑廃止が正しいかどうかは判らない。1年前の記事を参考にしていただきたいが、現在の刑法はというか社会制度では、
個人の復習を認めてはいない。私怨を晴らす事は許されないことなのだ。 なぜか。それは、現代はルールを破った者を被害者ではなく社会が罰する仕組みだからだ。
なぜそうなったのかといえば、前にも書いたが長い歴史の中で被害者の私怨を認めて、被害者の望む形で罰を与えては社会が成り立たないということを知ったからだ。
刑罰では最高の死刑。それは被害者やその家族の無念を晴らすために行うのでなない。社会にとってその犯人をこの世から消し去る事以外に社会を守る方法がないという判断だ。
あくまで社会にとっての問題で、被害者や家族の受けた苦しみや苦痛を晴らすためではない。

1年前にも書いたが、そういうふうに言えるのは自分が第三者の立場だからだ。自分が当事者になったらそんな悠長な事は言ってられないだろう。
でも、だから裁判では被害者を遠ざける。被害者の関係者は裁判に参加できない。第三者の視点がなくなるからだ。
今のこの平和な時代に暮らす我々など想像もできないほどの残忍な非道な所業が長い歴史では繰り返されてきたに違いない。
しかし、その歴史の最後にいる我々が、その積み重ねの上で、私怨は認めないという結論に立っているワケだ。
決して刑法は思いつきなどでこういう形式になったのではないのだな。 長い人類の歴史が今の刑法の在り方を作り上げてきたワケだ。

しかし、そういう歴史の積み重ねを全く考えずに、死刑を廃止したら被害者の無念がー、とか言い出す始末。
それは違うんだよ。裁判は被害者の恨みを晴らすためじゃない。死刑は被害者の恨みを晴らすためではない。
社会の秩序を乱した犯罪者に社会が与える罰なのだ。 だから、死刑という制度が必要か、という話になる。
死刑にしなくとも生涯社会から隔離しておけばいいわけだ。 人が人を殺すということを刑法でも認めていいのか、と。
日本は人命が何よりも大事だと言ってるしね。犯罪者も同じだ。人が人を殺していいのか、と。

ただ、死刑が必要だという人には、どうも被害者の恨みを晴らす事が必要と考えてる節があるがどうだろう。
まあ、排した方が良いという人も、恨みを晴らす事が不要とまでは思っていないだろうが、死刑にしなくとも無期懲役で同じことじゃないかと。
いや、犯人が生きてることが許せない、という話を持ち込んではもう社会制度ではなくなる。
気持ちはわかる、いや判る気がする、だな。同じ目にあったことはないから。
判る気はするが、繰り返すけれど現代の刑法は恨みを晴らすのが目的ではない。 
寂聴が死刑を廃止した方がいいと考えることに対して、被害者の痛みが分かってねー、という批判は当たらない。
それこそ裁判の意味が分かってねー、という話だ。

理屈はそうだが、現実には私怨が裁判の行くを左右しかねない状況になってきてる気がする。
極力排除してきた被害者の立場を見直す動きが。でもそれとてもうがった見方では検事側の裁判を有利に進めんがためのレトリックに使われてる気もしないでもないなあ。
人が行うことに絶対はない。より良い方向へ議論を重ねて行くしかないのだろうが、人間である以上感情を排除しては難しいわけで。
理性などというものはモロいもんだからね。こんなことが書けるのも無責任な立場だからだ。
自分の身に起きたら、こんな呑気な事を言ってるバカヤローは許さねー、と烈火のごとく怒り出すのは明白だ。

オレ個人としては、死刑の代わりに終身刑はアリだと思う。死に代わる苦しみを与えるには十分な刑罰だと思うが。 
どっちがいいという話じゃなくて、そういう議論をしなくて済む平和で穏やかな社会が実現されれば、と願うばかりだ。 

 

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