LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

見えないゴミ

2014-12-13 15:12:02 | サイキックの眼

       

見えないゴミ

     
      
「見えないゴミ」とは、細かいホコリなどのことではなく、ホッタラカシにされ続け・・無視され続けて・・積り積もってしまった『捨てられた気持ち』のコト。
     
もう要らなくなった想い出の品を処分し、過去の出来事を清算することで前向きになることはある。 
それは、「もう要らないだろう!」ってケジメをつけるのだが、意を決するまでは・・捨て切れず、その過去と向き合い続けて、想い出を消化出来るまで抱き続けてしまう。
そしていつの日か、その先の未来に何かしらの答えが持てるようになり、それが消化して、また新たな一歩を踏み出してゆく・・・。
     
勿論。消化出来ない、精算しえない、大きな苦しみもあります。
       
そんな大きな苦しみも、なぜか捨てるに捨てられないんですよね。
忘れてしまおうなんて・・出来ないんです。
苦しい過去を忘れて生きるなんて、身体も気持ちも・・時間の隅々まで苦しいかぎりになるのです。
それでも、明日は必ずやってきて、身体と精神をなんとか引きずってでも未来へ歩いて行かなければならない。
消化出来ないでいる宿題をとりあえず鞄に詰め込んで、重くなった体と共に毎日を過ごす。
とりあえず背負いながら、解決策を考えてみる。
出来る所までやってみる。
何らかの糸口が見つかるまで、それを無視せず、捨ててしまわず、向き合ってみる。
きっと、何かしらの答えが出るはずだから。
それまで、その苦しみと共に居る・・・。
       
消化しにくい、精算の仕方が解らない苦しいコトや問題事も、ホッタラカシにして、見捨てられたゴミのようにしないでほしい。
それは、自分の気持ち、つまり身体の一部なんです。
      
いつの日か、ゴミクズのように汚れてクシャけて、朽ち果てそうになっているゴミとなった自分の気持ちの一部を自分の手で拾い上げ、素手で丁寧にシワをのばし、大切に綻びを治すことになるのです。
過去の大事な忘れ物を、目には見えないゴミとなった自分の一部を拾い集めなければならないのです。
なぜならば、捨て去ってしまった苦しみの気持ちが自分の中で揃わないと、すべての感覚が作動し、気持ちが一致しないからです。
苦しみを捨て去っていくと、また同じ苦しみがやってくるのです。
ちょうど、箱の中のクレヨンの、自分の嫌いな色だけを捨ててしまったり、都合の良くない色のクレヨンをわざと失くしてしまうようなものです。
      
「見えないゴミ」とは、様々な気持ちのコトです。
それも、自分に都合が良くない気持ち。
長年ホッタラカシにされ、見て見ぬフリのまま・・時間がたっても風化せず、家や家族の周りにゴミとなって積もり積もった大事な気持ち。
     
自分の気持ちを大事にせず、自己ゴミ化させてしまう人は、
相手や他者の気持ちをゴミのように扱うでしょう。
     
片隅につくねられ・・ゴミと化した気持ち、
それは無くなるコトはありません。
積もりに積もっていくのです。
    
例えば、「黒い色のクレヨン」に苦しみやトラウマがあったとします。
(例えばです。黒でも他の何でもいい。)
黒いクレヨンは見たくないので、タンスの裏の隙間に捨てるとする。
友人から 「あら!あなたのクレヨンの箱に黒色が無いわね?」と聞かれ。
「黒が無い方が私は絵が上手く描けるの!」と・・建前で嘘の答えをいう。
その後も黒色のモノは捨て続け、そして大人になって子供が出来て、その子供が黒色のクレヨンを手に取ってしまったり、欲しがったりすると、もうヒステリーになって取り上げて・・またタンスの裏ッ側の見えない所に捨てる。
子供は、黒色の表現が出来ないようになって、表現感覚のバランスを失う。
まぁ或いは親に反抗して、何が何でも黒色だけで表現しようとし、バランスを整えようとするのです。
    
タンスの裏ッ側にコッソリ捨て続けてきた気持ち。
何時かは、それを自分の手で拾い上げなければなりません・・。
でなければ、子供や孫の代の誰かが、その役目をしなければならなくなるのです。
先祖代々、見捨てられてきた「見えないゴミ」と化した『気持ち』は・・腐り果てた末に膨大な量が、子や孫に受け継がれていってしまいます。
こうなると、何らかの何かの後遺症が発生するでしょう。
人生にも、肉体的にも、精神的にも、何らかの不協和音が発生するでしょう。

問題となった事や、苦しい出来事に向き合える人間関係、家族関係。
これがある事が、一番に大切な事でしょう。
それには、信頼関係がなければ成立しません・・。
信頼関係を持てるようになるには、自分を信頼する姿勢がまず不可欠となる。

自分を信じて、そして相手を信じてみる。
無視せず、ホッタラカシにせず。
苦しさも、喜びも、同じクレヨンの箱の中に揃っていてこそなんです。
このクレヨンと箱が、気持ちであり感情であり感性です。

見たくないゴミに、しないように。
 


サイキックの眼  ヤマモト・コージ