身代り家族
社会で…、いやいやとにかく、生きて行く為にみんなバランスを考えている。
バランス良くなければ生きていけない。
自然とそれは感じているし、自然と求める。
何より、バランスが悪いと…おのずと自然に悩むものだ。
どうしたらバランスが取れるのか?
二輪車や一輪車に乗るように、おのずとバランスを取るし、保とうともする。それが出来なくなると悩む。
アンバランスだと世間体に悪い?
んん、それよりも生きていくこと自体が大変になり、どうにかバランスを取り戻さなければならない。
先に答えから言いますが…要は、
『自分の人生を、自分の力でバランスを取れる事が、幸せ。』
これが儘ならないと、次から次へとアンバランスが増えていく。
自分の自転車を自分でコゲる?
家族全員が、自分の自転車を持ち、自分でコイで、自分でドライブ出来るのが理想だ。
そして、家族ってのを題材にしていますので、家族の役割ってのも関わってくる。
祖父母の自転車、父親の自転車、母親の自転車、長男の自転車、長女の自転車、次男次女の自転車。
それぞれ役割のある自転車を所有しており、各々のバランスが問われる。
そして、もしもこのバランスが崩れると!!
バランスが崩れる…
何処でバランスが崩れたか?
バランスが取りづらくなったのは?
どんな理由だったのか?
いや、そんなこと振り返っている余裕なんて無い!
とにかくコギ出さなきゃならん!
バランスは何としてでも保っていかなきゃ!
バランスのとれた生活、人生、それは誰だって分かっている。
健康で、仕事があって、収入があって、心に少しでも余裕があって。
そうやって、毎朝、自転車をコギ出せたら幸せだ。
出来ればそうありたい。理想的な理想だ。
それに、普通の自転車に乗れていても、それが時代遅れになるときもあるし。気分よく乗っていてもヨコヤリが入って横転することだってある。自転車置き場にとめていても盗まれることだってある。
タダでさえサバイバルだ。
バランス良く自分の自転車を乗りこなすコト自体が、大変だ。
みんなそうだ。だからお互い助け合うことの難しさは、みなお互いが承知している。追い抜いたり追い抜かれたりしても、さらっと会釈するのが礼儀。ガムシャラにコギまくってなんてしたら冷たい目で見られバカにされる。
~ここまでが今回の話しの前置きです~
自転車に乗れない
自転車の乗り方が解らない
自転車のコギかたが解らない
自転車を見るのも触れるのも怖い
乗っていても実感が無い
自転車が壊れた
自転車が病気になった
自転車が無い…
この自転車とは、自分の肉体で自分の人生です。
そしてこの自転車に乗るのは、あなた自身で、魂です。
先にも言いましたが、悩みとは、自分の自転車に乗れないことなんですよ。
そしてその理由は、必ず在るのです。
それを→紐解き→解明し→自分の自転車を取り戻し→乗り方をマスターする。
これが僕の行っているカウンセリングです。
悩みや問題って、自分の自転車を取り戻すことなんです。
~ここからが本題~
〔自分が自分の自転車に乗れない理由〕
この理由が其々様々で、どうしたって解消が難しい難問なんです。
・親が若くに死んで、代わりに親の自転車をコガなければならない
・親が働けなくなり、(以下同文)
・親が働かないので、(以下同文)
・親が社会性に薄く…(以下同文)
・親に無理やり与えられた自転車に乗らざるをえなかった
・親の理想通りの自転車じゃなかった為、認めて貰えなかった
・親に虐待され、自転車がボロボロ、捨ててしまいたい
・親に自転車を完全管理されて、バランス感覚が解らない
・親も自転車に乗れないので、子供も乗れない
親が。。親が。。と続きますが、理由はコレ以外にありません。
兄弟同士で自転車トラブルがあったとしても、それも親子関係が原因です。
「親は自転車に乗れなくても、せめて子供には満足に自転車に乗せてあげたい」
これなら良いが…
・親が我慢して、親の自転車を子に与えてやった
・もっと良いエリート自転車になれ!とバカにされ
・自転車に不満タラタラで、離婚家族崩壊
・親が浮気で、他にも自転車が存在しているそうな
・親の嫉妬から、気を使って自転車に乗らないようにしている
〔自分が自分の自転車に乗れない理由〕
↓↓↓
〔自分自身の自転車に乗れているか?〕
例えば
母子家庭で、お母さんが、父親と母親の両方の自転車をバランスを考え両立している。
それでも追いつかない事もあります。
そこで子供が手伝い、子供自転車と親自転車を両立する。
こういった信頼関係をとるバランス感覚を養えれば良いが…
親の自転車がホッタラカシで、仕方なく子供が大人自転車に乗る必要があり、子供自転車はホッタラカシになる。
つまり。
「コギ手が、身代り自転車操業、の法則。」
先祖代々から、この身代り自転車が続いている家系もある。
例えば
■ 親の自転車を子供がコガなければならず、孫もまた親の自転車をコグ必要のある
『自転車繰り上げ操業型』
■ 親が何もせず、或いは、親が祖父の自転車をコイでいるので、子供に自分の自転車をコガせる
『自転車繰り下げ操業型』
どちらも自分のオリジナル自転車には乗れない。
「お前の為に身代りをしてやっている!」
という関係性しかないのだ。
言うなれば… 『 生涯!代走選手 』
先祖代々から続くと、代走の代走の代走の代走
下請けの下請けの下請けの孫請け?
「お母さんも、お婆ちゃんの代わりをして頑張っていたんだから、子供の私がお母さんの代わりをしてあげなきゃ…お母さんが気の毒で。」
よくあることです。
一家の生活バランスを保つ為に必要なことですし、そういう気持ちになるし、放っておけない。
ですが、親の代走選手は、現代社会で自分のオリジナル自転車に乗れない現実があるのも事実です。
親の介護、障害のある家族の介助。
身代り代走もそうですが、自転車で牽引する必要がある家族も。
自分の自転車よりも、弱者の自転車を優先しなければならない。
〔自分が自分の自転車に乗れない理由〕
沢山あります。
なんとか頑張って自転車に乗る、乗り続ける、バランス感覚を養う。
身代り家族の代走だったなんて、指摘されるまで気付きもしない、だってそれが当たり前だもの。
だけど、自分の自転車を意気揚々と乗り回している人を見ると羨ましいし、嫉妬もする。
親の代走をせざるをえなかった人は、無意識に我が子にも代走をさせてしまっている。
代走がイヤだと言えない為に、それがアレルギー症状となって、近年は特に、アトピーや食物アレルギーとなって現れています。
それだけではない。
特に多い例としてあるのが…
■ 両親が仲が悪く、離婚してほしかった。だけど子供にはどうすることも出来ない。なので、大人になって一番したい事が離婚。離婚をしたい願望の為に結婚をする。
要は、親が離婚してくれなかったので、子供が親の離婚の身代りをするのです。
…人間の願望って、そういうモノなんです。
こんなコトで人生を、自転車を、コギ続けているんですから。
誰かが、誰かの身代りをしている。
そうしなければ生きていけなかった。
2人分の自転車をコゲる2倍のパワーと2倍時間があれば良かった…としか言えない。
でもまた、誰かがあなたの自転車の代走をしなければならない。
社会でも、誰かの代走自転車の仕事しか見つからない時代…
〔自分のオリジナル自転車をドライブ出来る人生と魂〕
そのドライブ感覚、今からでも取り戻してほしいなと思います。
他人に自転車を取られたり
他人の自転車を乗っ取ったり
誰が誰の自転車なのか?ノイローゼになってしまう世の中です。
自分の自転車は、オリジナルのたったヒトツしかありません。
自分が嫌になって、妄想とか空想のドコかにある訳でもありません。
何度も自分の自転車に乗ってみることです。
恐くても、辛くても、バカにされても、ボロボロにされたとしても…
自分の自転車を手放しては、前にコギ出す方法(未来)が無くなってしまうのです。
どんな状況、苦しい現実があったとしても…
身代り代走だけはしてはいけないように思います。
身代りは、身代りを産むだけです。
オリジナルの人生が、破綻してしまうだけです。
サイキックの眼 ヤマモト・コージ