LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

家の空気感

2017-04-21 21:09:35 | サイキックの眼

     

家の空気感


いろいろなご相談をお請けする。
ご自身ではよく解らないまま、最初は…ただ何となく…と言われることも多い。
家族や親族の事からはじまり、職場でのこと、日々ナットクのいかないことなど。

僕は、第一声に、
「ご相談、お聞きになりたい事、言いたい事、愚痴など、何でも仰ってください。」
と、お伺いする。
そして加えて、「何も言いたくない、でも構いませんよ。」
と、付けて、《 窺って視る 》。
ご相談事の問題の答えは、ご予約のあった時点で全て視て取れている。
後は、どのように伝えてアドバイスしていけるかが要となっている。
もし例えばキャンセルなどがあったりすると、透視したモノが消化出来なくて苦しくなってしまうこともある。苦笑

「問題解消の為の答え」
ここに導くために、現状からどのようにアドバイス、指南していけるか?
そのヒトツの方法として、『 空気感 』 というのがある。
『 空気感 』 を訊ねるのです。

人間って、育ってきた環境に沿った生き方しか出来ません。
産まれ育ってきた環境を基本にしか…人生を選ばないし、選べない。
それが当たり前であって…それしか知らないで生きてきている。
つまり…人間って、育ってきた環境のモノを土台に選び続けて生きている。
その環境から派生したモノの方向性しか選んでいない。
… 当たり前すぎて、誰も不思議にも思っていないだろう、がッ!!
これが現実中の現実だろう。


「職場での問題、人間関係、
社会での理不尽な悩み、
 生理的にウケ付けない人間性やクセ、etc 。


なぜ?それが気になって、それが悩みとなってしまうのか?
気にしないでいようとしても、どうしても許せなくなっていってしまう。
無視出来ない、それは間違っている!正したい!私は正しい!
言いたい…言えない、言っちゃいけない、言えば問題になる。

多かれ少なかれ、誰でもこれくらいの悩みはあるだろう、しかし、それが我慢の限界に達している人も少なくはない。
~なぜ我慢の限界に?
それは…
「その職場の空気感、
あなたの家にソックリじゃないですか?」
「 え゛っ!?」
「職場の上司、部下、同僚、関係性、仕事内容、嫌で嫌で、我慢の限界の、それっ!、あなたの家族関係にソックリじゃないですか?」
子供の頃からの蓄積、ウップン、我慢、喜べない喜び?、報酬無き報酬、達成感の無さ、イライラする言動や行動や仕草、なんとも言えぬ空気感、あなたの家の空気感と全く同じじゃないですか?

人間って、自分の経験からでしか人生を選ばないし選べない。
仕事も結婚も、自分の経験レパートリーからでしか選ぼうとしないし出来ない。
それは、生まれ育った環境が土台のベースであり、そこからでしか成長の伸び代(のびしろ)が存在せず。
つまり、成長や進歩を求めるにせよ、先ず、家の空気感を理解しなければならず、なので後にも先にも、家の空気感と同じようなモノ、同じような場所、同じような人々を選んでいくし、選びようがないのです。
だから、同じような悩みや成長、伸び代を求めてるもの同士が出逢っていくだろう。

例えば過去に…今までの人生に、良い職場や、理想的な人との出会いがあって、なのに縁がなく別れてしまったり、どうしても離職せざるをえなかったりして、あの時は良かったなぁという思い出があったとして。

~そこでこういった質問をする~

〔過去の理想的だった職場や人間関係の空気感〕 と
〔今の消化しえない人間関係の空気感〕 との違いはナニか?
或いは
〔自分にとって理想的な人間関係があった場所のその空気感〕 と
〔親や家庭環境の空気感〕 との違いを言葉にすると、どういった気持ちや表現になるか?

空気感と空気感の違いを質問し、言葉に表してもらう。
子供の頃からの空気感は、みんな憶えているものです。
そして質問されて訊ねられないと、なかなか言葉にする事はない。
子供の頃に自然に得続けて育んできたことの空気感は、知らず知らず同じ空気感の場所や人々を選択し続けている。
・・・・・。
それが良い空気感だったならば、そこからの伸び代(のびしろ)を更に伸ばしていくことを選び続けていけるのだろうけれど。
そうでない環境に育ってきたならば、無意識にもそれを解消すべく…そうでない同じ環境を社会に求めて行く伸び代が続く。
この空気感を明確に感じとってみないことには、現状が解らずじまいなのです。

例えば、酷い親子関係があったならば、職場の上司・部下の関係性質も同じ種類のものだったりします。
子供の頃から息も出来ないような心身状態のまま、大人になっても家庭環境と同じような職場環境を選んでいる。
もちろん結婚をし家庭を持っても、子供の頃と同じ性質環境に。
そしてゆくゆくは八方ふさがりになって、更に息も出来なくなる現状になる。

八方ふさがりの状態に、空気感という感覚は皆無だろう。
だから、身体も精神状態も、感覚は無くなり、病気にもなっていくことは避けられない。
ストレス解消の為に、場を代えて、旅行に行ってみたり、テーマパークで非現実を楽しむこともあるだろう。 しかしそれも限界を感じている人の多い、そんな時代でもあります。
非現実の世界の空気感と、八方ふさがりの現実の空気感は、違いを比較することは出来ません。

誰だってある筈です。
気持ちや心が聡明だった、そう感じていた時の、その空気感。
それを、言葉にしてみたら、どんな言葉を用いた表現が出来るだろう。
そして次に、家の空気感との違いを更に言葉に表現してみてください。

自分の育ってきた家の空気感、先ずそれを深く理解し得なければ、ワンパターンで八方ふさがりの息苦しさが続く人生となってしまう。

子供の頃?
学生の頃?
今現在?
家の空気感を言葉で表現してみてください。
息苦しい、詰まる思いの原因が解る、そんな入口に立てますから。

 
 サイキックの眼 ヤマモト・コージ