若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

プレミアムフライデーでデフレ的傾向を変えませう ~ 日本の身分制 ~

2017年02月23日 | 政治
プレミアムフライデーの実施方針・ロゴマークが決定しました(METI/経済産業省)
=====【引用ここから】=====
1. プレミアムフライデーとは
個人が幸せや楽しさを感じられる体験(買物や家族との外食、観光等)や、そのための時間の創出を促すことで、
(1) 充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革への機会になる
(2) 地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成につながる
(3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる
といった効果につなげていく取組です。
官民で連携し、全国的・継続的な取組となるよう、この取組を推進するための「プレミアムフライデー推進協議会」が設立されました。本日、第1回会合が開催され、実施方針・ロゴマーク等が決定しました。また、本取り組みを進めるに当たっては、働き方改革などライフスタイルの変革ともあわせて推進してまいります。

=====【引用ここまで】=====

政府当局が一定の政策目的のために特定の生活様式を推奨し、スローガンを掲げ、官民で連携し全国的・継続的な取組みを国民に促す。
戦前の
「欲しがりません 勝つまでは」
「月月火水木金金」
「胸に愛国 手に国債」
と、大した差はない。

月末金曜日に休んだり早退できる業種や企業は限定されている。プレミアムフライデーを活用できる人はごく一部だ。外食、旅行、サービス業などに従事する人とっては忙殺される業務が追加されるだけだし、編集や経理等で週末・月末締切の仕事を抱える人も休むどころではないだろう。金曜どころか隔週土曜日まで仕事で、最後に有休取ったのがいつか思い出せないような人からは「何がプレミアムフライデーだ馬鹿野郎」と反感を買っていた。時給で働く人にとっては、単純に収入減となるおそれもある。

「金曜日に有休使って買い物や旅行に行こう」なんて、大きなお世話だ。いつ働き、いつ休むかは、雇う側と雇われる側の契約で決めれば良いのであって、政府が口出しする必要性も妥当性も存在しない。契約で全て決めるべきであって、契約に不満なら辞めれば良い。再就職先が少なくておいそれと辞められない、というのは、正社員の解雇規制が強固過ぎて雇用の流動性が失われているからだ。

プレミアムフライデーは、サービス業を除くホワイト大企業の正社員や官公庁閑職部署の公務員といった上級国民と、それ以外の下級国民という身分格差を固定、拡大する方向に作用するだろう。


それにしても、

(3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる

というくだりは、変な意味で感心してしまった。
安倍首相は、
「アベノミクスでデフレから脱却しつつある」
と言ってきた。経産省の中の人としては、「デフレ脱却のため」という表現を再度用いることで「今までやってきたアベノミクスではデフレ脱却できないの?」とツッコミが来ることを避けたい。首相の顔に泥を塗りたくない。そこで、

「デフレ的傾向を変えていく」

という表現を新たに編み出した、経済産業省 流通政策課の担当者。上役や関係者の面子を保つための配慮、作文に労力を費やした結果なのだろうと推察する。「アベノミクスの成果によりデフレから脱却しつつありますが、未だデフレ的傾向にはあります。このデフレ的傾向を変えていくきっかけを経産省が作り、デフレに逆戻りしないようはたらきかけます」といった作文の苦労の跡を感じたのは、私だけだろうか。

アベノミクスの成果は、散々なものである。
金融緩和をしたが、物価上昇2%の目標を達成することはできなかった。
財政出動は、旧態依然の補助金行政や看板の付け替えに終わった。
成長戦略は、医療・農業・教育・雇用などのいわゆる岩盤規制にはほとんど手付かずのまま。
無駄と非効率は温存され、豊かさや利便性の向上はもたらされず、社会保険料負担は上昇し続け、可処分所得や実質所得は減り続ける。

そんな中、「アベノミクスによるデフレ脱却が上手くいかなかったので、追加施策を打ち出した」なんてことは口が裂けても言えない。そこで新たに「デフレ的傾向を変えていくきっかけ」という婉曲な表現を採用した。これぞ霞ヶ関文学と言えよう。

さてさて。

貨幣数量説における流通速度は一定ではなく、金融政策でインフレ率を狙い通りにコントロールすることはできなかった。そもそも望ましいインフレ率が何%なのか誰にも分からないし、デフレ脱却は必要ない。 GDPはおおよその経済規模を示しているに過ぎず、「GDPの増加=便利で豊かになった」という評価は妥当でない。政府が旗を振って消費を促すというのは、短期的には景気が上向くかもしれないが、長期的に続けられるものではない。

政府がやるべきは、金融政策でも財政政策でもない。小手先の働き方改革やプレミアムフライデーでデフレ的傾向を変えていくことでもない。霞ヶ関文学でお茶を濁すことでもない。雇用に関する法制度、特に本丸である解雇規制を撤廃し、正社員と非正規という身分制の壁に穴を開けることだ。今こそ「身分から契約へ」である。
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補助金依存症 ~私学助成を憲法違反とすることの意義 ~

2017年02月17日 | 政治
「立憲主義を守れ!」

その通り。

「解釈改憲を許すな!」

その通り。では、これはどうか。

「憲法第89条の解釈改憲による私学助成は、立憲主義に反する」

これについても、私はその通りであると考える。

==========
日本国憲法
第八十九条
 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

==========

今回、必要な部分を抜粋しよう。

公金は、公の支配に属しない教育事業に対し支出してはならない

政府に対する明確な禁止規定である。1970年までは、政府に対するこの禁止規定が生きていた。立憲主義に基づいた運用がなされていた。ところが、1970年に日本私学振興財団法、1975年に私立学校振興助成法が制定され、この禁止が破られた。私学助成を合憲とするために、政府や学者達は様々な論理構成を行って新たな解釈を編み出したのである。

この解釈改憲によって、私学の独立性は有名無実なものになった。この世の中、「金を出せ、口は出すな」なんて甘いことは通用しない。金を貰ったからには、その金を出した側からの介入が必ずある。運営費の補助を受ければ、その運営方針に介入されることになる。一度公金からの補助に依存してしまったら、公金なしでの運営を維持することは難しいだろう。依存してから「政府の意向に反するのであれば助成金減らしますよ?」なんて言われたら、もう政府に尻尾を振る犬にならざるを得ない。

私学助成を受けることで、自主性や独立性、「建学の精神」といったものは損なわれる。学問というものは、時の政権にとって都合の悪いことを研究することも必要なのだが、その政府から金を貰ってしまっては舌鋒鋭く政府を批判するということは難しくなるだろう。学者個人レベルでの政府批判が関の山だ。

政府に対する憲法第89条という禁止命令は、私学の独立性を担保する有効な手段であったはずだ。今は、これがなし崩しにされてしまっている。早稲田や慶応が文科省OBの天下りを受け入れている現状が、公金による支配の威力を物語っている。

【文科省天下り斡旋】「再就職で早慶戦やっても仕方ない」…早大が発端、慶応大にも飛び火 事態は拡大するのか(1/2ページ) - 産経ニュース
=====【引用ここから】=====
 元高等教育局長が早稲田大に再就職したことが発端となった文部科学省の天下り問題は13日、早大と双璧をなす「私学の雄」と称される慶応大にも飛び火し、事態は拡大の様相を呈してきた。慶大は再就職の手続きについて「問題ない」と強調する一方、天下り問題を調査している文科省内からは「再就職で“早慶戦”をやっても仕方ない」と冷ややかな声も漏れた。
 ~~~~(中略)~~~~
 担当者は、人事課OBの嶋貫和男氏から情報提供を受けたことを認めた。元幹部が同省で私大への助成金を担当する私学助成課長などを務めたことを挙げ、「大学行政に専門的な経験を持つ人を求めている」と大学側の事情を明らかにした。
=====【引用ここまで】=====

「保育園で国旗・国歌に親しもう」なんてのも、同じ文脈である。

保育所でも国旗国歌、厚労省 | ロイター Domestic | 2017年 02月 14日 20:55 JST
=====【引用ここから】=====
 厚生労働省は14日、保育所の運営指針について、2018年度からの改定案を公表し、3歳以上の幼児を対象に、国旗と国歌に「親しむ」と初めて明記した。
 文部科学省が同日公表した幼稚園の教育要領見直し案にも同様の趣旨が盛り込まれた。ただ、保育所は学校教育法に基づく施設ではなく、保護者から幼児を預かる福祉施設であることから、専門家からは「過度の押し付けになってはならない」との懸念も出ている。

=====【引用ここまで】=====

政府から補助を受けている限り、政府の意向に逆らうのは非常に難しい。事業者にとって意に背くことを政府から指示されたとしても、補助を受ける側はこれに従わざるを得ない。政府からの介入を阻止するためには、政府による公金からの補助をやめさせることが必要である。
「政府は待機児童が出ないように保育分野への補助を拡充しろー」
と、
「政府は国旗・国歌の押し付けをするなー」
とを両立させるのは難しい。なにせ、公金による補助を拡充すればするほど、政府は介入しやすくなるのだから。

今こそ、立憲主義の理念、憲法第89条の精神に則り、慈善、教育、博愛の分野へ垂れ流しになっている公金支出を廃止し、それぞれの事業者の主体性・独立性を発揮できるようにすべきだ。そうすることで、結果として慈善、教育、博愛の分野は多様性を増し、その内容が拡充されることになるのだから。

きっと、「立憲主義を守れ!解釈改憲を許すな!」派も当然賛同してくれるはずだ。(彼らが論理一貫性を重んじるのであれば、だが。)
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ハコモノ行政は止まらない ~ 応募がなければ予算額を増やせばいいじゃない ~ 行橋市図書館等複合文化施設

2017年02月13日 | 地方議会
行橋市:複合文化施設巡り賛否 集会など開き両派主張 /福岡 - 毎日新聞2017年2月10日 地方版
=====【引用ここから】=====
 行橋市が同市大橋3の旧ミラモーレ跡地に計画している複合文化施設を巡り、推進派と慎重・反対派がそれぞれの集会などで主張を強めている。田中純市長が「マンションの建設ラッシュが続く行橋駅一帯を活性化させる好機」と必要性を強調すれば、慎重・反対派は「大金をかけてまで図書館を造り替える必要はない」と有権者の2割を超える1万3400人(9日現在)の署名を集め、27日に建設の白紙撤回を求める請願書を市議会に提出する。【荒木俊雄】

 「建設反対派の一部は『赤字再建団体になる』とデマを言っているが、今の財政は最高の状態だ」。6日、支援者が市中央公民館で開いた会合で、田中市長は施設建設に批判的な意見にこう反論した。

=====【引用ここまで】=====

一般論として

「大型公共施設の建設費や、施設がオープンして運営費を支払い始めた時に、他の公共サービスは維持できるのか?」
「各種料金が値上げされるのではないか?」
「老朽化した水道管や道路といった公共インフラを維持・更新することはできるのか?」

という疑問・心配が湧いてくるだろう。当然のことだ。こうした疑問の行き着く先は

「赤字再建団体になるのでは?」

となる。
この疑問に対し、

今の財政は最高の状態だ

と答える市長。
いやいやいや。
将来生じる支払いに伴う心配に対し、今の状態を述べたところで、何の答えにもなっていない。焦点が合っていない。この市長が、批判を誤魔化す意図でズレた事を述べたのであれば狡猾だし、素でズレているのであればただの馬鹿だ。(あるいは、この記事から市長コメントの肝心な部分が削られているのか?)

=====【引用ここから】=====
 市によると、複合文化施設は行橋駅東口の活性化が目的で、旧ミラモーレ跡地約3200平方メートルに図書館を核に、200席程度の小規模交流空間やカフェ、託児機能などを備えた施設を造る。
=====【引用ここまで】=====

「駅東口の活性化が目的」というのは建前にすぎない。

事業計画も何もない段階で、『教育文化施設整備のため』という縛りのついた補助金を国から貰い、公益財団法人「増田美術・武道振興協会」より、川と一方通行の隘路に囲まれた不便な土地を買ってしまったから、建てる選択肢が図書館くらいしかない
が本音である。

不便な土地を市に買い取らせることに成功した増田美術・武道振興協会は、市との間にどんな繋がりや過去の経緯があるのだろう。ちなみに、この法人の理事長の増田氏は、松本英樹副市長と親交のある人物とのこと。

=====【引用ここから】=====
 昨年9月議会では、2017、18年度の整備費約25億円と15年間(19~33年度)の運営費約24億円の計約49億円の債務負担行為が承認された。これを受け、業者側への「要求水準書」や募集要項などを公表し、10月に説明会を実施。ところが、12月末の締め切りまでに肝心の事業提案書を出した業者はゼロで、今年3月議会に提案予定だった事業契約締結案は見送られることになった。

 計画は半年以上遅れるとみられ、市は取材に「要求水準か提示額を変えることになるが、基本方針は変わらない」と説明。

=====【引用ここまで】=====

事業提案書を出した業者はゼロ」ということは、業者が

「この場所に市の方針に従い図書館を建てて運営したとしても利益が出せない。それ程の集客を見込めない」

と判断したことを意味する。
中心市街地の空洞化に歯止めをかけ、人の往来を取り戻す」という目的に、市が提示した手段は合っていないことが示されたことになる。不便な所に図書館を建てても集客力がない、すなわち駅前に人の往来を取り戻すことはできない、ということだ。目的に忠実であるならば、ここで事業計画をゼロから見直すべきである。

ところが、市は基本方針を変えないという。「駅東口の活性化が目的」というのは建前にすぎない、ということが、こういう所からも窺える。

基本方針はそのままに、要求水準か提示額を変えるということだが、整備費25億円と15年間の運営費24億が幾らまで増えるのかは不透明である。ちなみに、この整備費25億円には用地代が入っておらず、

=====【引用ここから】=====
高額との批判には「約49億円は15年間の運営費を含み、整備費だけだと用地代5億円を入れて約30億円」と妥当性を訴える。
=====【引用ここまで】=====

建物の用地代  : 1億2千万円(支払済)
建物の建設費用 :25億円(予定)
駐車場の用地代 : 5億円(予定)
15年間の運営費:24億4500万円(予定)

これが今後さらに増えるのだ。高額との批判が止むことは無いだろう。
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「すずかん」の実績 ~ 予算を増やして介入しました ~

2017年02月10日 | 政治
JASRACのことをいろいろ調べていたら、「すずかん」こと鈴木寛氏の存在を知った。元参議院議員で、民主党の東京選挙区分裂選挙と山本太郎のあおりを受けて落選した人物ということで、かなり話題になった有名人らしい。

さて。

この元参議院議員・元文部科学副大臣にして、現職の文部科学大臣補佐官・JASRAC理事であるすずかんは、どういった思想・政策の持ち主なのだろうか。実績集があったので見てみよう。


法案成立率国会No.1の実績 | 鈴木寛(すずきかん)公式サイト
=====【引用ここから】=====
超党派でスポーツ基本法を制定
■2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致を超党派議員連盟事務局長として奔走

=====【引用ここまで】=====

・・・ごめんなさい。冒頭の時点でもう敵意でお腹いっぱい。

はいはい、原発はアンダーコントロールで、治安さいこーテロ対策ばっちりで、既存施設を活用してお安くできるオリンピックなんでしょ?
あぁ馬鹿馬鹿しい。2020東京詐欺五輪と言うべきか、2020東京五輪詐欺と言うべきか。

税金によるスポーツ振興は、純粋に無駄遣いである。ましてや、五輪競技場整備をはじめスポーツのためのハコモノ整備は、維持費が発生し続け将来世代のお荷物となる。スポーツ振興は、その種目をやりたい人が寄付を募ってやるべきであって、税金を投じる正当性が著しく乏しい分野である。「今にも死にそうな人がいる」のを税金で助けるならともかく、趣味の世界に対し強制的に徴収した税金を投じるなんて馬鹿げている。スポーツ基本法なんて愚の骨頂。

=====【引用ここから】=====
学校ボランティアを647万人に!
■地域ぐるみで子どもを育てる、地域住民・保護者・学生が学校運営を支えるコミュニティ・スクール約1200校に
■学校支援地域本部設置校が約3000校に
■放課後子ども教室も約10000校に

=====【引用ここまで】=====

公教育に必要なのは、学校運営協議会を作って地域住民や保護者が学校運営に参加できるようにすること、ではない。放課後まで子どもの面倒を見ること、ではない。制度を複雑にすることではなく、拡大してきた公教育の領域(生活指導、部活動、地域との連携etc)を縮小していくことだ。制度が複雑になり領域が拡大するに従って、教員が作成すべき書類が増え、本務である授業がおろそかになる。

公教育を縮小して制度を簡素にし、最終的には公教育を廃止すべきだ。

=====【引用ここから】=====
経済的理由による高校中退者を半減!
■親の所得と子どもの大学進学率が相関してしまいるなか、格差が世代を超えて固定化するのを防ぐため、都立高校生は授業料無償に、私立高校生・専修学校生には就学支援金(12万円?24万円)支給

=====【引用ここまで】=====

親の所得と子どもの大学進学率は相関しているが、そこに因果関係はない。子どもの学力は親からの遺伝が大きな割合を占めているのであって、高校の授業料無償化や就学支援は学力格差の固定化を防止しない。無償化に要した費用を賄うために、徴税が強化されるだけだ。

=====【引用ここから】=====
中学生徒会長サミットの全国化を支援
■未来のノーベル賞を目指す若者が集う科学のインカレ・甲子園を立ち上げ、中学生徒会長サミットの全国化を支援

=====【引用ここまで】=====

集まりたい生徒会長が各自声掛けして集まれば良いのであって、これを政府が支援して全国化するという意味が分からない。集まる必要性を感じていなかった学校まで巻き込まれ、形式的に参加するための事務と手間だけが増える。

=====【引用ここから】=====
文部科学予算を9%増 国土交通予算を初めて上回る
■消費税が、医療・介護・年金・子育て・教育に充当され、無駄な公共事業に回されないよう注視

=====【引用ここまで】=====

そりゃ、上記のように公教育分野に金を突っ込んで無駄と非効率を増やし、教育制度を複雑にしていったのであれば、国土交通予算を上回るだろうて。医療・介護・年金・子育て・教育分野においても、無駄な事業が展開されないよう監視していくことが必要だ。

=====【引用ここから】=====
創作者支援のための著作権法改正を実施
■超党派議連幹事長として劇場・音楽堂法、古典の日法を制定し、創作者支援のための著作権法改正を実施

=====【引用ここまで】=====

この功績が認められ、僕はJASRACに理事として招かれました(ハート

「JASRACに天下りはいない」と大見得を切ってtwitter上でJASRAC擁護論を展開していた玉井克哉氏は、著作権法改正に携わった元・文部科学副大臣で現・文部科学大臣補佐官が同僚の理事にいることについて、どう考えているのだろうか。監督官庁との癒着という点で、これ以上のものがあるだろうか。

スポーツ、教育、文化の分野に、税金を手に介入していく道を増やした「すずかん」。官僚や政治家、既得権益層にとって、こういう「熱意ある介入主義者」はありがたい存在だろう。だが、税金による支援が増えて制度が複雑になればなるほど、現場は疲弊し、社会全体の負担だけが徒に増えていく。

あぁ、落選してて良かった。
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これは何かの冗談ですか? 法学部教員の「法の支配」の驚きの実態

2017年01月27日 | 政治
「法の支配」が、法学部の中ですら自明の概念でないということが明らかとなった、背筋が寒くなる記事をご紹介。

これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態(木村 草太) | 現代ビジネス | 講談社
======【引用ここから】======
今日も大学の法学部では、民法や会社法、労働法に刑法が講じられている。

そこでは、「法とは何か?」、「法の支配は実現できるか?」などと考える必要はない。国会が制定したルールが法だと誰もが思っているし、裁判官や警察官は粛々と法を実現している。「なぜこれが法なのか」などと悩む学生は、よほどの変わり者だろう。

法学部法律学科の講義では、法の定義も、法の支配も自明なのだ。

======【引用ここまで】======

国会が制定し、裁判官や警察官が粛々と執行しているのは、「法律」であって「法」ではない。国会が法律を制定し、警察官をはじめ各種公務員が法律に則って業務を行い統治することを「法治主義」という。一方、「法の支配」は、「法」が国家のあり方を規定し、権力が法によって拘束されるという理念である。

「法律」は国民に対して向けられるルールであり、「法」は権力者に対して向けられるルールである、ということが言える。(この「法」が具体化されたものが憲法であり、憲法によって権力を拘束するのが「立憲主義」である。)

「法の支配」の理念からは、立法者である国会に対し
「法律は特定の人に対する命令の形であってはならない」
「法律は自由権を侵害するものであってはならない」
といった要請が導かれる。「法」が国会に対し「法律」の備えるべき要件を指定し、これを踏まえて国会は国民に対して適用する「法律」を制定する。

「法律が一定の内容・水準を満たしている『実質的法治主義』であれば、『法の支配』とはほぼ同じ意味だ」
という反論がありそうだが、「法の支配」と「法治主義」では「権力者に対するルールか国民に対するルールか」というベクトルの向きが違う。このベクトルの向きを理解していないと、立憲主義は理解できない。

木村草太氏は、学校の現状について次のように嘆いている。

======【引用ここから】======
この教材は、「困難を乗り越え、組体操を成功させる」という学校内道徳の話に終始する。学校内道徳が、法規範の上位にあるのだ。いや、もっと正確に言えば、学校内道徳が絶対にして唯一の価値とされ、もはや法は眼中にない。法の支配が学校には及んでいないようだ。これは治外法権ではないのか。
======【引用ここまで】======

学校の中に適用されている法律の内容を問題視して「法の支配が及んでいない」と嘆くなら理解はできる。しかし、道徳が学校の中で法律の適用を妨げていることを指して「法の支配が及んでいない。治外法権ではないのか」というのは、どう考えても「法の支配」の理解とは程遠い。

そんな人が「法学部法律学科の講義では、法の定義も、法の支配も自明なのだ。」なんて言うから、もう可笑しくてしょうがない。いや、可笑しいとばかり言ってもいられない。なんせ、この大学教員が大学で教鞭をとり、「法の支配」のズレた理解をした学生が今この瞬間にも世に送り出されているのだから。

さて。

この木村氏は、次のように言う。

======【引用ここから】======
今回紹介した教材は、「学校内道徳が法の支配を排除する」という道徳の授業の危険をとても分かりやすく表現している。あらゆる子どもを受け入れる公教育が公教育であるためには、もっと普遍的な教育こそが必要ではないか。
以上の議論から得られる私の結論は、至ってシンプルだ。学校では、道徳ではなく、法学の授業に時間を割くべきなのだ。

======【引用ここまで】======

公教育の中で法学教育を求める木村氏。これが実現すれば、学校で法律の授業をするための教員向けの研修会の講師や、小中高校で使う法学テキストの執筆等、さまざまな需要が発生する。そうすれば、木村氏をはじめ法学部教員に対し、税金を原資とした仕事が多数発注されることだろう。税金の分け前を要求する連中がよく用いる手である。

私がこのようにひねくれた見方をしてしまうのには、理由がある。

======【引用ここから】======
、「法学の授業が大事なのは分かるが、法学は難しすぎて、道徳の授業と置き換えるのは無理だ」と思う人もいるかもしれない。しかし、法学の基本となる考え方や法律の基本的な内容は、それほど難しいものではない。

参考書としても、『キヨミズ准教授の法学入門』など、分かりやすくて、面白い本はたくさんある。最近では、社会的活動に関心の高い弁護士さんも増えたから、制度を整えれば、授業に協力してくれる専門家を見つけるのも難しくないだろう。

~~~~~(中略)~~~~~
木村草太(きむら・そうた)
1980 年生まれ。憲法学者。首都大学東京法学系准教授。東京大学法学部卒業。同助手を経て現職。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の急所―権利論を組み立てる』(羽鳥書店)、『憲法の創造力』『憲法の条件―戦後70 年から考える』(NHK出版新書)などがある。

======【引用ここまで】======

本文の中で第三者的に「参考書として分かりやすくて面白い本」として紹介しておいて、それが自身の著書という所でズッコケてしまった。そういう人なのだろう。

集団的自衛権で盛り上がった時、井上達夫氏と木村氏の論戦を見て、井上氏の方が圧倒的に説得力があり、木村氏の意見に全く賛同できなかったのを思い出した。私なら、この人の本は買わないな。「法の支配」について学ぶのであれば、木村氏ではなく、阪本昌成氏の著作をおすすめしたい。

「法の支配」にいう法(及びこれを具体化した憲法)は、国家に対するルールである。学校内に法律の適用を及ぼすことを指して「法の支配」と呼ぶのは間違いである。


※追記:学校内における組体操やイジメの問題を、学校内の道徳問題として全て解決しようとするのではなく、特に傷害や恐喝が生じた場合は法律問題として解決すべきという点については、賛同するところである。
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