楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第11回2月12日(1日目)その2

2011年02月27日 | 第10期楽健法セラピスト講座
サムハラ・ヘメーメーのカセットテープ

今日、サムハラ行った人誰?誰?ちょっとこれ聞いてみてごらん。

♪インドの流行歌♪

ね、今「サムハラヘメーメー」って言ったでしょう?このテープは何年か前にグジャラート・アーユルヴェーダ大学の学会に行ったんです。その時に僕はシャルマさんにアッシーにされて、車の運転してくれって、シャルマさんが友達の車を借りてあるから、車を取りに行こうって、それで、取に行くことになったの。僕は免許証持ってないから、インターナショナル・ライセンス持ってきてないからダメって言ったら、俺が持ってるから大丈夫だって言うんですよ。それで運転しろって言うの。それで、その友達の家に行ったら日本のちっちゃな三菱かなんかの車だったのね。インド製の。それに乗ってあっち行けこっち行けって、それから僕は走りまわったんです、一週間ほど。その間に、車にテープが入ってたからかけてみたんです。そしたらいきなり「サムハラヘメーメー」って言うのが出てきたんです。

その頃、僕、サムハラとは何か、ということをずっと考えていた時期で、それでサムハラはイコール、シャンバラだという意味ではないかな、という風に想像してたんですね。それで、昔からシャンバラの研究もしていたので(一同笑)。僕のサムハラ研究は小学校へ入る前から始まってるんですよ、実は。

このインドの歌に、なぜサムハラという言葉が出てくるんだろうと思って、それで、シャルマさんにこの「サムハラヘメーメー」って言うのはどういう意味だと聞いたら、「神様どうか私をお助け下さい」という意味だというのよ。それでこれはもう僕の研究しているサムハラに違いないと思って、結局サムハラは古代から日本にも入ってきてるわけですね、いろいろ言い方が変わっても。お坊さんが唱える真言にも「オンサンバラサンバラウン」って言うような、このサンバラ、サンバラもサムハラなんです。

オンバラバラサンバラサンバラインジリヤビシュダニウンウンロロシャレイソワカなんて護摩の時に祈祷しています。このオンサンバラサンバラって言うでしょ、サンバラはシャンバラのことですね。サムハラとかサンバラとかシャンバラには神様を意味する共通語なんですね。なんと不思議な出会いであることか、そんなことから、このテープをその車からパクッて来てポケットに入れて帰ってきたんです(一同笑)。だって、もう二度と手に入らんもんね。ここでもらっていなければ、二度と手に入らない、探しようがないから…。





ま、そんなことからいろいろ調べてみると、サムハラ神社を作った人は万年筆屋の社長さんで、、インターネットの検索にそれが出てくるんです。インターネットにも長いこと出てこなかったんですよ。サムハラ神社のことなんか。だけど一つだけ書いてる人がいたの。それを読むとサムハラ作ったのは万年筆の会社を興して、金を儲けて故郷に錦を飾って、それでまあ、戦争なんかにみんな取られて死んじゃったら可哀そうだというので、神社を作ってそれでそこでサムハラのお守りを売るようになったんですね。そんなようないきさつがあったんです。それで、そのサムハラ神社の奥の院って言うのが、岡山にあるんです。

元の神社があるっていうので行ってみたことがあるんですけどね。何かもう一つピンとこない感じのところでしたね。だけど、サムハラ神社って言うのは、それが高野山で修行すると、オンサンバラサンバラウンと言うような真言で、そのサンバラって言うのもシャンバラのことではないかなと言うことから、それから色々、ニコライ・レイリーッヒの美術館にも足を向けたいと思ったりして、ニューヨークへ行ってみたんですけど、一度だけね、そういうことがきっかけになって。

ニコライ・レーリッヒって言う人が、シャンバラという名前の本を書いてます。上にありますので、読みたい人は貸してあげます。英語で書いてあるけど(一同笑)。梓くんに翻訳してもらわな。

それで、それからシャンバラって言うのをここでときどき話するもんだから、サムハラへ行ってみようって言う人が現れて、それでサムハラ行ってお札を受けてきたら、娘が三人とも国立大学に合格したとかね。いろんなこと言うもんだから。まあ、そんなことです。今のサムハラ神社っていうのは、家内が若いころに、戦前に暮らしていた場所はあの近くなんですね。あの近くやね?どっか。

(幸子先生)すぐ横。
(宥厳先生)今、神社の隣に警察署があるでしょ?家内の家はあのあたりでこうもり傘の布を卸してたんかな?こうもり傘の製造。卸しやってたんですね。船場なんです、あのあたりは。だから、家内は船場のいとはんだったわけです。それで、まあ後々一緒になっていろいろ話を聞いてるうちに分かってきたんですけれど、家内は傘を作る人の家のひとだったんですね。私の母方のおじいさんは日本の和傘をね。蛇の目傘を作るメーカーだったんです。それで、後からよう考えたら傘屋と傘屋が、傘のカーストがどうも一緒になったみたい。これも不思議な縁ですよね。そんな傘屋と傘屋がねぇ、相合傘になるなんて(笑)
(受講生)ほ~相合傘~(一同笑)
(受講生)これはあってはいけないことではないか!
(琴美ちゃん)もう先生、足治るって(一同笑)
(宥厳先生)と言うようなことで楽健法やりましょう(一同笑)。じゃ護身法やりましょう。


楽健法(15)

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