楽健法セラピスト第8期講座レポート

楽健法セラピスト養成講座第8期の記録と報告です。

第12回 3月15日(2日目 その5)

2009-03-18 21:37:53 | 楽健法セラピスト養成講座第8期記録
ここで学んだことが、皆さんのこれから仕事の助けにもなればそれはいいことですけど、今朝も話しましたけれど、楽健法を広く色んな人に知ってもらうというような形での努力というものが根底にあって、それでやって頂けたら一番有り難いと思います。楽健法のノウハウとか、そんなもので天狗になってもしょうがないので、自分の人柄、人格を練っていくっていうようなことで、できるだけ開かれた人になっていけば、自然と人も寄ってくるようになりますから、そういうような志で、一つ楽健法と取り組んでいって欲しいと思います。

 天然酵母パンと楽健法という二本の柱を、皆さんにお伝えして、曲がりなりにもパンが焼けるようになると言うところまで皆さん、来たと思いますので、頑張ってパンにも取り組んでください。

 慣れれば慣れるほど非常にクオリティーが高い仕事だと思います。楽健法もパンもそうですけどやはり他ではちょっと得られないようなクオリティー、そういう内容だと思いますので、生活の中に取り入れていって、それがまた自分の人生の一助になっていくように頑張って欲しいですね。よろしくお願い致します。

 では、これくらいにしておいて時間のある人はゆっくりして、泊まっていく人もゆっくりしていただいて、それからあれ(看板)に、裏に、もう乾きましたか?乾いてたらはんこ押したりして、署名する人は。あ、墨ほっちゃったけど、また出して。日付とか、希望があったら裏書きしておきます。はい。

何か他に要望とか質問とか何かありましたら、どうぞ、今おっしゃって頂けたら。中ったらいつでも電話でも結構ですから、気楽に連絡して頂けたらと思います。今日、誕生日の人は、誕生日と言ったら年を取ることだと、失礼ですけどおいくつになられるのですか?

65歳になります。
(受講生)え〜〜

まだ若いね。65歳か。

(受講生)若いね〜びっくりした。


 











 
















花束贈呈








あすか美人からの贈り物

(あすか美人)感謝の気持ちを込めてちょっと作りましたので、一つずつ。

え、何を作ったの?

(あすか美人)ティッシュ入れです。先生と男の方には、ちょっとあれですけど、こんな袋を。
(受講生)かわい〜
(幸子先生)中島さんに、ようけあげやなあかんやん。

僕はパソコンのコードとか部品とか旅行用品入れるのに、何か袋欲しいと思ってたんだ。

保険のこと 
(菊地さん)私、保険の話を聞いたんですよ。個人で入れる保険がありますから。お守りとしてお入りになったらいかなと。

まあほとんどは使うことはないですけど、これは10年くらい前から私も、アーユルヴェーダ学会と楽健法とね、希望者が入れるようにというのでそれでここにも書類はあります。まあ何か患者さんに不具合が生じてトラブルになったときに医療費を払わないといけなくなったときに活用できるように。

去年、来られた生徒さんで一人、Kさんて言う人が去年の何月頃やったか、秋だったかなと思うんですが背中、初めての女の人に軽くやってあげたのにひびが入って痛くて仕事が出来ないとか言われてそれで当座、保険も何も入ってなかったんですね。だから、言って来られたときにまあ3万円包んでお見舞いに行ったそうですけど、1ヶ月ほど仕事を休まざるを得なかったとか言って、補償して欲しいと言うようなことを言われて彼女は15万円を後で払ったとききました。

 それで、まあいい勉強になったと言ってましたけど、勉強になったと言っても2千円か3千円でやってあげてて、こんな補償をしなければならないのは大変です。

 ひびが入ったって。まあひびが入っても平気で何でもありませんって1週間か10日したら治りますからね。何も言わない人もいるんですけど。中にはごててうるさいことを言う人もいるので、そういうときの為に入っておきましょうということですね。

(宮越さん)病院にかかって3万円以上の治療費がかかったときに3万円以上の分が出る保険ですよね。一度調べてみたんですけど、3万円以上の医療費を使うことになると言えばなかなかないですよね。そこまで大きいけがっていうのは。

(宮越さん)私も聞かなかったです。

まあ、年間1万8千円のね保険なんですね。普通は保険会社というところはこういう治療費のための保険というものをやっているところはいくつかあるらしいんですけれど、民間療法でも入れますといって入っても、実際に事故が起こったときに、国が認めている療法ではないからお金は払えないといって払おうとしないというようなインチキみたいなことがよくあるそうなので、そういうことに対応しようと、これは出来た組織なんですね。だから、民間療法もここの保険に入れるわけですね。

(辻田さん)民間療法で1事故、1億円って書いてある。対人補償。対物500万。

1億円って書いてある? (一同笑)

(辻田さん)でも、免責は3万円、1事故あたり。これは会員負担。3万超えて…
(菊地さん)興味のある方は電話番号だけでも控えていらっしゃれば。
(宮越さん)宥厳先生が窓口だから、宥厳先生の方から…。
東光寺に申込用紙はありますから、希望の方は言ってください。

卒論
 卒論皆さん書きました?まだ書いてない人いる?…(修了書を)返して!(一同爆笑)

(ちあき)出てなかった、辻田さんの原稿がまだなので、ブログあげられませんって書いておきます。(笑)

メールで送っといてください。

(辻田さん)ブログが出来ないのは私のせいですって?プレッシャーかかるなあ。

ま、他に何か質問はないですか?

(ちあき)先生、写真は?集合写真は?

あ、取ろか?じゃあ、ここをバックに。

(受講生)看板代はおいくらですか?

2万円もらっておきます。去年までは3万円だったんですけど、看板代が1万円だったの。板が。僕が買うのが。それでね、3万円頂いていたんですけど、これは地元で作ってあまり板の作り方は上手じゃないんですけど。素人っぽい板なんで。板代はこちらで負担します。

(受講生)じゃ、幸子先生に?

私と幸子先生で山分けしますので。(一同笑)字が気に入ったという人はプラスしてくれても構わないよ。(一同笑)。
これは上限は設けませんから(笑)。最低の金額言うてるから。
 

幸子先生からの贈り物

集合写真のあの人は…

また逢う日まで!

 
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第12回 3月15日(2日目 その6)

2009-03-18 21:00:53 | 楽健法セラピスト養成講座第8期記録
卒論
(淑子)1年間ありがとうございました。楽健法とのご縁をいただいて5年になりました。今までは身近な人を施術させていただいていましたが、これからは楽健法を多くの人に伝えていきたいと思っています。これからもご指導よろしくお願いします。

(ミヤ)東京より南に来ることもなかった私が一人で東北の仙台より大阪伊丹空港に降り、不安いっぱいで桜井駅に夜着き、歩けど歩けど目的地らしき所に着けず心細くなり、山内先生のお電話でまったく反対の方向に進んでタクシーを回して下さり、暖かい部屋の東光寺に着いたのは、つい最近の様です。パン作りは私には出来そうもないと思ってたのが先輩の後押しのおかげで酵母パンの美味しさを覚え、我が家の朝は今はパン食としゃれています。それだけでも大収穫です。楽健法の技施術の資格を頂ける日が来ました。折しも私の誕生日で記念日となります。季節の野菜でおいしい食事を作ってくださった幸子先生、やさしくご指導下さった宥厳先生からは「人となり」を教えて頂いたような気がします。大阪弁のフットワークの良さについて行けず、オドオド、関心しきり、皆様のお陰様で楽しい受講の一年間でした。今後、人様のお役にたてる様につとめます。また、お会い出来るの時、おいしい漬物を持参します。お世話になりました。ありがとうございます。

(美百)あっという間の1年間、毎回踏んで踏まれること楽しみに通ってました。今回、3回目のセラピスト講座参加です。北から南から集まり、食生活、生活習慣の違いを新鮮に感じ、めずらしいお土産に舌鼓を打ちながらのおしゃべり等々、楽しい思い出ばかりです。来月からは淋しくなるだろうなあと思いつつ…この場を借りて“1年間ありがとうございました。お世話になりました。”南に向かう時には是非足を伸ばしてお立ち寄りくださいね。

(博子)過ぎてみれば早いもので1年がまたたく間に過ぎてしまいました。思い返せば初めてセラピスト講座の皆さまと顔を合わせた時には皆さんがすごい大先輩のように思え、気の弱い私はただただ萎縮してしまいました。三カ月程は身も心も硬くなり、果たしてやっていけるのだろうか?との不安。ふm、あれて痛いのもつらく来る前に出来るだけ自分で自分の身体をほぐしてくるようになって痛み方も段々変りました。この頃皆さんの上達ぶりに焦りを感じたりしてしまいましたが、楽しみが増え欲も出始め、お陰とこうしたらいいんじゃないかとのひらめきみたいなものも出始めおもしろ味が増してきました。まだまだ目標を高く持ち自分なりの努力を続けていくつもりですが、今の私があるのは先生方、皆様の存在が刺激となったからに他なりません。1年間本当にありがとうございました。

(壽子)1年間とても充実した時間が過せました。年上の方も多く最初は緊張しましたが、みんな目標は一緒と言うことでだんだん打ち解けて行き話も出来て、とても楽しかったです。季節毎のお料理も勉強になりした。楽健法はもっと回数をこなし、周りの人にも楽健法の心地よさを伝えていきたいと思います。

(泰子)楽しい一年間、どうもありがとうございました。いろんな年齢層の人たちに囲まれての合宿は私にとってとても有意義なものでした。料理の作り方、パン・ジャムの作り方、健康法、そして宥厳先生のお話と教えて頂いたものは、私にとってちょっとしたカルチャーショックでした。健康法と共にいろんな事を吸収できました。これらの自分にどんな風にプラスになって返ってくるのかが楽しみです。

(かつ子)1年間の東光寺通い楽しく過ごさせていただきありがとうございました。第1回目の4月には固くなり、踏む足もぎこちなく、これで1年間通うことができるのだろうかと内心心配しておりましたが、回を重ねるうちに先生はじめ皆様の和やかさに支えられ楽健の心を学ぶことができました。又、踏むことは踏まれることで身につくものだと感じ始めた秋以降、何かを掴むことができたような気がします。これからも多くの方々に踏まれ、踏ませて頂き、この1年間の学びを自分のものとして育てていきたいと思っています。200仏に見守られ心素直に踏む足軽く。〜白髪の乙女〜

(美紀子)気楽に申し込んだ楽健でしたが、あまりにも未熟な自分が恥ずかしくなりました。そして、相手が少しでも体が楽になり喜ばれるような楽健ができるようになりたいと心から思いました。願いとは裏腹になかなか上達しません。毎回研究熱心な人達に囲まれて自分の甘さを思い知らされた一年でした。早朝のお勤めや行事の数々、楽しい思い出もたくさんいただきました。人生様々、生き方いろいろ、折にふれ話を聞く度に心が少しずつ広がり豊かになりました。先生を始め皆様に感謝です。

(キリ子)春から身体が良くなっていくのが嬉しくて楽健寺の合宿が待ち遠しい日々でした。終了となると淋しい気がします。楽健法に出会ってからいろいろな人とめぐりあい幸せをいただいています。楽健法をいろんな人に伝えて幸せを感じてもらえるようになりたいと思います。宥厳先生、幸子先生、感謝しています。ありがとうございました。皆さまにもお世話になり楽しい日々、有難うございました。

(美枝)「楽健法に出合へて」楽健法と言う言葉を聞き、足で身体を踏んでもらいこんな施術があったのかとビックリしたのが昨日のように思えます。6年近く前に楽健寺を訪ね、自分の体の悪さにただただ驚きでした。自分自身、人様を癒す仕事をしていたのに目からうろこでした。昨年4月から東光寺へお世話になりましたが、1年間無事に来れるだろうか、私に務まるかどうかという不安と、東光寺に来させていただけた喜びと入り混じった気持ちでした。何度目からは電車でも友達と待ち合わせました。夏の暑い時、秋の山々の景色を楽しみ、1月はまだ暗い石段を登り、ふるえながら般若心経を唱えました。折角この年になって勉強させて頂くのだから何か一つと心に定めて実行しようと思い、日々体を動かし、体の内からきれいにしようと思いました。今もあまり手抜きにならないように心掛け少しずつ効果が出てきだしています。楽健法で健康になり、人様を癒せることが出来れば幸いです。自分が辛かった体を思い、一人でも多くの方々に楽健法を伝えられたらと思います。宥厳先生、幸子先生有難う御座いました。16人の仲間の皆さん有難う御座いました。

(琴美) とても 早い一年でした。昔から 団体行動がきちんと できなかった 私が12回無事に通うことができて とても うれしいです。一緒に 学ばせてもらった皆様にも 感謝の気持ちで いっぱいです。私の楽健法は まだまだはじまったばかり楽健法に辿り着くまで 他のマッサージをいろいろ習いましたが これだと 思えたのは 楽健法だけでした。 この一年で どのくらい成長できたか わかりませんが これからも 楽しく 一踏み 一踏み 少しづつでも 成長していきます。 世界進出の夢も 抱きながら 楽健法を広めていきたい、、、広めて いきます。一年間 ありがとうございました。 これからも よろしくお願いいたします。ここで 一句
桜咲く
一踏み 一踏み
楽健法

(敦子) この1年間色々ありがとうございました。  最初のころは,皆さんがとても上手なので,ここで皆さんと 一緒にやっていけるのかな〜と,戸惑いもありましたが,宥厳先生 幸子先生,そして皆さんに色々やさしく教えて頂き無事すごす事が 出来ました。そして,この”楽健法”と”楽健寺の天然酵母パン”に出会って,食に関する考えや人生の流れが,ほんのちょっと変わったように思います。そして8期生の皆さんと一緒に無事に卒業させて頂き,ほんとうに楽しい1年間でした,ありがとうございました。

(光弘) 四月、第1回目の一泊二日の合宿、よく理解することもなく、あっという間に終わってしまったような気がしましたが、東光寺の階段を降り、桜井駅へ向かう道々実感したのは、なんとも爽やかな気持ちで、とても楽しかったな、という思いでした。毎月毎月通うのが楽しみでした。技術的にはこうして、こうやってとは、ほとんど教わることがなかったのに、不思議と以前より確実に上達したんだなと感じております。東光寺での一年は、楽健を味わい、身につける、素敵な学びの時でした。宥厳先生、幸子先生、同期の皆さん、本当にお世話になり、ありがとうございました。

(美江) ここに来て いろんな人と出会い、様々なことを学びました。先生方を含めひとりひとりが大きな世界を持っていて、こうして「集う」ということが 大変な意識の拡大につながることを実感しました。素直に事をとらえ、素直に実行してゆくことが課題です。

(正孝)宥厳先生、幸子先生を始め研修生徒の皆さんにはたいへんお世話になりました。おかげさまで、毎月研修に通うのが楽しみでした。楽健法の技術を学ぶのみならず、ものの本質を追求したり、自分で考え、行動して行くということをまなびました。どうもありがとうございました。これからも、楽健法を少しでも、ひろめていきます。ブログを作ってくださったちあきさん、ありがとうございました。

(ちあき)今期も学ぶことが多かったです。先生の「名人の1回よりは素人の100回のほうが遙かに勝る」という言葉を信じて、一生懸命踏んでい行こうと思います。シンプルに、でも丁寧にがんばります。先生方と仲間のみなさんがいてくださるので世界が広がります。ありがとうございます。そして、みなさん、ブログの作成に快くご協力くださってありがとうございました。

〜終了〜
今回、アップが遅れて申し訳ございませんでした。また来年度も応援してください。
先生方、みなさん、ありがとうございました!
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第11回 2月14日(1日目 その1)

2009-02-16 21:01:05 | 楽健法セラピスト養成講座第8期記録
琴美ちゃんのケニア土産

初めてみた、殻に入ったマカダミア・ナッツ!

新しいパン作り

一から種を起こし、生地を作る。これは干しブドウから作った元種を使います。


中島さんはプロ級!


これはジャガイモから作りました!


いよっ、飛鳥美人★


大きく育ってね♪

不易のものなどない世界に生きる

 おはようございます。二月ですね。来月で一年、第8期の区切りになりますね。
 今お配りした詩は、この間、原稿の依頼があって書いたものですけど、明日の夜、大阪の精華小劇場というところで、中島陸郎没後10年の前夜祭があって、その時に朗読をすることになっています。晩に七時から。精華小劇場というのは、高島屋のほうから道頓堀筋に入って、すぐ右側に精華小学校があったんです。

 古い建物で。そこが廃校になって、現在は小劇場として活用されています。そこでちょうど亡くなって十年目になる私の親友ですけれども、中島陸郎さんという演劇のプロデュース、若手を育成したり、いろんな企画で大阪市に働き掛けて、廃校を小劇場に活用するとか、芸術創造館という稽古場を建てることを働きかけて実現したり、関西で演劇ができる環境をつくる活動した人です。

 彼が1999年になくなってちょうど十年目にあたりますので、中島陸郎さんを慕う若手の人たちが彼を偲んで追悼の演劇祭を企画しています。それで5つの劇団が応募の結果決まっています。

 中島陸郎さんと私とが出会ったのがちょうど私が二十歳のころですね。随分長い付き合いだったんですけど、出会ったのは、大阪円型劇場「月光会」という劇団に入ったことからです。
 そこに先輩としていられたのが中島さんだったんですね。

 当時、中島陸郎さんは裁判所の書記官をしていて、月光会では製作、プロデューサーを担当していまして、劇団活動の中心になっていた人です。私は中島陸郎さんと二人で、だいたい数年間ですけど、裏方でいろいろ仕事をしました。舞台監督、演出助手、それから私は指物師ですから、舞台の大道具とか小道具とか、いろんな手間のかかるものを随分製作したんです。
 
私は数年で退団しましたが、間もなく「月光会」が瓦解しました。

 劇団の主宰者、中心になっていた人は、内田朝雄さんという人で、のちに俳優として映画にも悪役などでよく出ていましたから、顔を見られたら、ああこの人か、と皆さん思い出すかもしれません。
 まあそういう人を中心に劇団活動をやったわけです。

 私は一回だけ、三好十郎の「廃虚」という芝居にちょっとした役で出ましたけど、この劇団の特徴は円型劇場と言って、ホールの真ん中に舞台をこしらえて、ぐるりからお客さんが見るというようなやり方だったんです。古代からコロシアムとかいって四方から見る競技場なんかの有名な建築がありますが、劇場のコロシアムは、三方から取り囲むような形の舞台と言うのは結構あるんですけれども、完全円形というのはあまりないんですね。

 今回、中島さんを追悼して企画されている舞台は完全円型で、それぞれの劇団がチャレンジするという企画なんです。

 明日2月15日の夜、前夜祭をやることになっています。会費は500円とか言ってめっぽう安いんですけど、私は献杯の音頭と詩の朗読とをやることになりました。

 中島陸郎のオマージュに友人が詩を書いて、詩集を発行することになり、先月の半ば頃かな、急に原稿依頼があったものですから、書いた作品なんです。読んでみます。

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『夢時間』
       山内宥厳
昨年七月に
孤独死したのか
中島康郎(やすお)
はじめて出会ったのは一九六〇年
鳥打帽を被った面長のとがった頤
南のトリスバーには背の高いカウンター
凭れのない椅子に
痩せたお尻を乗っけて
よじるように腰掛けていた
傲慢が服を着ているような仲間の詩人に
自由美術の画家だと紹介されて
中西康郎の目が笑ったが
そのときいろいろ話したかどうか
半世紀を越えるながい付き合い
司会を頼まれた結婚披露宴や
出産や離婚もあって
生きることの困難について
互いにわかっていたが
そのことには触れず
出会えばいつも酒になった
個展の案内葉書の讃を書かされたり
わが詩集への挿画と装丁をまかせたりと
どこかが似通った
親しい友はいつも胸に住まっていた
ことし年賀状が来なかったので
予感はあったが
半年も知らずにいたとは…



一九五六年ぼくは中島陸郎と出会う

中島陸郎は
線路工夫や石鹸のセールスを経て
裁判所の事務官になっていた
身内とは断絶したひとりぐらし
勤務を終えると
機関車の蒸気や轟音が聞こえる
中津の稽古場の幼稚園へ
いち早くやってくる
園児たちへの紙飾りがある教室に
薄暗い裸電灯がともる
きちんとしているが質素な身なり
稽古場の幼児椅子に座って
次回の公演の企画などを
まつげが目立つ目で
自分の言葉を眺めながら
切符の分担はひとり百枚ですなどと
低い声で事務的に伝達する
高卒四五〇〇円ほどの初任給の時代
一三〇円の切符百枚は
簡単にさばける枚数とは思えないが
陸郎はたんたんと話をすすめる

大阪円型劇場「月光会」
内田朝雄は陸郎の心酔する指導者だった
不易のものなどない世界に生きる
生き物のありように愕然とするときが
やがてやってきたが
転身を重ねながら
ひとつの舞台に結集するエネルギー
そこにむけて連帯する
こころの美を見いだし信じていた陸郎は
舞台の刹那の時に賭けて
青春の無残の花びらを振りまきながら
舞台の闇のなかに走り去った
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 こういう詩です。不易のものなどない、という最後の連からがちょっと難しいかな。暗喩的なというか象徴的な書き方をしていますから。この月光会の中心だった内田朝雄さんという人は大変雄弁な理論家で理想家でした。劇団の若い人たちに思想的にも非常に大きな影響を与えるような博学の人で、人生いかにあるべきかというような話をされて、若い人を魅了していたんですね。
 
 彼に非常に魅了され、影響を受けていたうちのひとりが中島陸郎さんだったわけです。

 内田朝雄さんの絶えず言っていたことは、「アマチュア精神を忘れたらいけない」というようなことでね。我々はテレビのタレントになったり、そういうふざけた世界に足を踏み込むようなことは邪道だ、というようなことをいつも言ってたんです。
 純粋な芸術活動みたいな理念を持って、円形劇場というアバンギャルド、前衛演劇をやって行こうということで、その考え方に陸郎さんは非常に心酔していたんですね。

 私は演出助手や、舞台監督をやって、身近に内田朝雄の仕事ぶりを見ていましたから、割りと彼の言っていることと、現実とのギャップに気が付いていましたから、あんまり信ずるに足りないという気持ちを持っていたんですけど、中島陸郎さんは本当に心酔していたんですね。

 ところがそれが、「不易のものなどない世界に生きる 生き物のありよう」というのは、つまり、生き物と言うのは変わるものなんですね。

 内田朝雄さんに例えばNHKからテレビドラマの出演の依頼なんかがあったりすると、劇団活動に穴をあけても出かけていくようになり、そういう仕事が増えてきて、だんだん劇団活動がおろそかになるんですね。
 不易のものなどない世界に生きる 生き物のありよう、というのは、生き物としての内田朝雄の変化をいっているわけです。自分がいっていたことを忘れ、仲間を見捨ててでも、知名や経済に惹かれて変化していきます。
 自分だけがどんどんどんどん有名になって行くようは方向に向かっていくんですね。
 それでついに劇団が潰れてしまうわけですね。

 陸郎さんは、そういうことに対する反発や不信感で、内田朝雄が許せなくて、恨の気持ちを生涯抱いて生きたかと思います。その恨の思想、怒りを長い間抱いていて、それを執拗に芝居に書いたりしましたね。
 内田朝雄は信ずるに足りない、ということを、ぼくが劇団をやめるときに長文の手紙を陸郎さんに書いておくりました。深入りすべきではないと。しかし彼は純粋で有り続けて欲しかったんですね。

 劇団が潰れて愕然として、それで裁判所をやめて広告業界。大阪読売広告という会社にコピーライターとして入ることになって、そしたら、一気に給料が倍くらいになるんですね。裁判所に比べたら。ま、そんなところからそこにはいって、それがやがてオレンジルームなんていう劇場が出来て、そこの仕事を担当したりして、だんだん演劇の企画やらいろんなことをやるようになってきたんですね。

 そういう時期に、私の「がらんどうは歌う」という劇も、中島陸郎さんが是非芝居を、モノローグドラマを書きませんかと、是非書いてくれ、というようなことで勧められて、浜崎満さんていう人を私に紹介してくれたりして、浜崎満が演じる脚本としてあれを書いたんです。

ま、しかしこの一つの舞台に結集するエネルギー。このことが人間の素晴らしさだと思うんですね。1つの舞台に結集するエネルギー。例えばそれはオーケストラであっても構わないわけです。いろんな楽器をもった人がそれぞれ一定のレベルを持って、それでコンダクターがタクトを振って指揮をしていく。それが全く一つのアンサンブルのとれた素晴らしい音楽に演奏されて出てくるわけですね。結集される。

 で、演劇もやっぱりそうなんですね。いろんな、全く違ったジャンルの人が、舞台を作る人、音楽を作る人、それぞれみんな主張を持っているわけだけれども、それが一本の台本を仕上げるためにどういう風に協力し合っていくかということで、そこではお互いのエゴもあるんだけれども、やはりそれをお互いに協力し合って最終的にはひとつの目的、いい舞台に持っていく。

 演劇というのはそういう、一つの完成に向けてみんなが協力していく。それは裏方として入口で、やって来たお客さんの切符を、もぎりって言うんだけど、もぎってる女の子にしても、それから使い走りにしても、幕を引くだけの担当をさせられている人であっても、それぞれ自分の分担をキチッとこなして、初めて舞台が出来上がっていくわけで、まあ、そういう人間の協力していく、目的に向かってみんなが一致していく、そういう美しさ、そういうものが、人間に得難い体験をさせてくれるんですね。

 演劇なんてものは、音楽もそうなんですけど、一回こっきり、その場限りのものなんですけど、そのためにエネルギーを結集していく。その努力に対する人間の心の連帯感みたいなのですね。そういうものを感じられるからね、演劇の世界にかかわって、やってられるわけですね。みんなが美しいものを実感するんです。

 話をしたことがあるかもしれませんが、生まれて初めて衝撃を受けた事件があった。

 それは、人間のこういう連帯のすごさというか、そういうことに気がついたのが、4歳くらいの時ですね。   
 なぜ気がついたかと言うと、家に数枚のレコードがあったんです。それと蓄音器。

 子どもには蓄音器のねじをよう回さないから、誰か大人にねだって、母親にねだって巻いてもらう。それでレコードをかけて、針を落としてですね、音を聞くわけです。

 絶えずそういうことをやっていたわけですね。三歳くらいのときから、レコードも針がなくなってきてましたので、レコードの針を父親が砥石で尖らせてくれる。それを見ていて、それ以後は自分がそのレコード針をはずして、砥石で研いで尖らせて、また聴くというようなことをずっとやってたんですね。

 ちっちゃいときからそういうことをやって音楽を聴いていた。

 やがてその内に、ラジオを父親が買って、昭和14年くらいじゃないかな。ラジオから音楽が鳴り出したんですよ。で、その音楽を聴きながら、ああ、きれいな音だということはもちろんわかるわけですけれども、あの音楽と言うのは僕がこっちでレコードで聴いているように、あれもレコードを回してそれが流れているんだと、そういう風に思ってたんですね。思いこんでたんです。

 だから、いつ聴いてもレコードからは同じ音が出てくる、あれが音楽だと思ってたんですね。

 ところがある日、アナウンサーが言っているのを聞いていたらいろんな人が集まってきて、生演奏をやっているんだということに気がついたんですね。それで、オーケストラか何か、生まれて初めてそうやって、要するに生まれて初めてラジオですけれども、生演奏の音を聞いて、その時に愕然としたんですね。

 僕がレコードだと思っていたあれはみんな人間がやっているんだと。それで、いろんな違った楽器を持って、そういうことは知っていたけれども、それをああいう風に一つのハーモニー、アンサンブルとしてきれいに出来上がったものがああいう風に流れて、そういうことができる人間とは何とすごいもんだろうと思ったんですね。それが僕の人間に対する最初の発見だった。

 ショックを受けたというか、カルチャーショックですね。それから僕は何だって人間はできるんだという風な気持ちになってきて、それで自分だって何だってチャレンジさえすればできるんだというような気持になってきて、今だにそれが抜けないんですね。本当は自分が出来ることなんて限られて、たかが知れてるんだけれども、やれば俺にだってできるじゃないかというような気持があってね。まあ、だからいろんなことがこなせるのはそういう気持ちが、ちっちゃいときに頭の中にあったから。

 つまり、いつも可能性、ポテンシャルの方を信じる。ぼくには出来ないなんてことは決していわない、否定的じゃないんですよ、だから、ものごとにネガティブじゃない。

 僕の考え方っていうのはね「やればできる」という気持ちがいつでもあってだからやってみる。まあ、そういう意味で私は指物もやったり、芝居もやったり、パンも作ったり、歌も歌ってみたり、いろんなことをやるんだけれども、全部同じことなんですね。やってみたら、何かこうそれなりものができる。人間っていうのはそういうものじゃないか、という風に思うわけですね。

 だから、今世の中がみんなうまくいかないのは、言うたら、そういうポテンシャルをちゃんと信じて、そういう大きな流れとして、何か自分の運命みたいなのを捉えて、生きていこうとする人があまりにも少なすぎるからですね。

 今の日本の政治もそうだし、世界が平和でないのもそうなんです。やっぱり平和という一つの壮大なフィクションを作り上げるために、みんなが立場を乗り越えて、つまり一人一人の物差しでものを見るんじゃなくて、やっぱり一つのものを仕上げるんだという物差しを持って、みんなが力を合わせていけたら平和って言うものができるかもしれない、本当はね。

 ま、楽健法もそういう意味では最少単位かもしれないけど、一対一にしてもね。お互いに平和な関係がなければ成り立たないわけですよ。まあ、そういう意味では健康法と言うのは平和であるということを自覚した上で、お互いが、相手と立場が違っていてもそれをお互いに容認しあってね、寛容に接してやっていけるという、そういう気持ちがお互いになければ、楽健法だって成立しないわけだ。

 だから、家庭でみんながそれぞれちいちゃなエゴでお互いに生きておったらなかなか物事ってうまくいかない。そういうような意味で、人間て言うのは、僕は、ここにタイトルに「夢時間」って書いてあるけど、本当に私たちはどこで何をしているかと言ったら、結局はみなさんの頭の中にある、脳の中の、脳細胞の命ずるところに従って私たちは生きてるんですね。本当は。だから、脳と脳のお付き合いであるわけですね。

 それで、その脳を、頭の中を、どうやってこのブレインをみんなの役に立つような、脳の働きをするような人間になるのか、自分のことだけ、カチッと守ってね、自分が得するようにさえ生きたらいいというような脳を持って生きるのか、ま、それは人それぞれですけれども、私たちは一個の生き物として、ここに書いているように、「不易のものなどない世界に生きる 生き物のありよう」、私たちは本当にその辺飛んでいる鳥も、そんなに変わらない命を持っているわけですね。

 それで、それぞれ、この頃うちのマニスもだいぶ年を取ってきてね、ちょっと何かもたついているような感じもするし、後ろ脚見ててもなんとなく力がないし、だいぶこの子は歳をとったんだなあと思うんです。この子っていうけど、僕より年上かも知れないね、今や(笑)。ま、そんなのを見てても、やっぱり、しかし、一人一人、人間もそうなんですよ。単なる生き物であると言ったら単なる生き物なんですね。

 だから、それがお互いがお互いを認識しあって、尊重してそして生きていくということができ、社会の中で生きていけば、単なる生き物を越えて、ちゃんと人格をもった立派な人間として存在しうるわけです。

 例えば、パレスチナの子供たちのように隣の国から、バーンともう本当にとんでもない攻撃を受けたりするような状況では、人間でいられなくなります。

 私たちが家の中にムカデが出てきたら、捕まえて殺すように、単なる生き物と変わらないような扱いをされているわけですね。だから、そういう意味で、命の大切さみたいなことを十分わかった人たちがやはり芸術なんかもやっていって、素晴らしいものを人に見せられるんではないかなと思ったりするんです。

 まあこういう話はやれば、際限がありませんけど、「夢時間」というこんな詩を書いたのでお見せしました。

 私もやっぱり72年、3年ですね。この間の誕生日で73になりましたけれども、やっぱり夢のような時間ですね。一条の夢ですね、人生なんて。パーっと生きて、やがて終りが来るのは確実なわけで、ま、そういうことも踏まえながら、どういう風にして人生を見ていくのか。

 どんな眼差しで、和やかな目で人を見ると言うこと。よく、小林秀雄なんかね、「和やかな目」っていう言い方をしますけれども、ま、和やかな目で人を見ると言うことは、なかなか難しいことでもあるね。

 私はなるべくそういう風にしたいと思うし、ありのままの相手をちゃんと見つめて、それで、これはどうにもこうにもしょうがないと思ったら、相手にしないで逃げますけれどもね(笑)。ま、できるだけ和やかな目で人のことを見て。それで和やかな柔らかい気持ちで楽健法もして差し上げられたらと言う風に思います。

 だから、あんまり踏まれて痛いのはそこが悪いからだと力を入れて、あんまりがつがつやらない方がいいですね。楽健法は、ソフトにやって本当に良く効くというようなそういう楽健法の能力を身につけて頑張ってほしいと思います。ま、それくらいにしておきましょう。じゃあ、今から楽健法。もう、組み合わせわかってるの?

(辻田さん)3からです。

中島陸郎没後10年に捧ぐ http://www2.begin.or.jp/~ytokoji/ric/ric.html
2009年2月16日の朝日新聞記事http://www2.begin.or.jp/~ytokoji/ric/asahikijinakajia.jpg

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第11回 2月14日(1日目 その2)

2009-02-16 21:00:34 | 楽健法セラピスト養成講座第8期記録
楽健法37(3)

うふっ


硬いねぇ。

夕食

美味しい葉っぱ。名前、忘れちゃった!


ご飯のお焦げが最高


ヘルシー・豆腐ハンバーグ


パンの試食。うん、なかなか。


くせがなくさっぱり。


良い香りがしました!


ちょっと、アンタ!何写してんの!強制してるんよ、じゃない「矯正」!

楽健法38(4)

なるべくたくさん踏むぞ!


お〜いてぇ〜 

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第11回 2月15日(2日目 その3)

2009-02-16 20:59:42 | 楽健法セラピスト養成講座第8期記録
夜明け前

暗いけど、先月よりは明るくなっています。季節の移り変わりを感じます。

朝のお勤め

願いが叶いました。ありがとうございます。(過去完了で)


宥厳先生のお手伝い。きゃ〜飛んじゃった!


願いよ〜届け〜


後始末、後始末。


ご利益がありますように

朝の作務

プレーリードッグみたいでかわいい梅田さん


花壇のかわいいお花。


せっせ、せっせ。


ご来光★


枝の間からの、木漏れ日も素敵。


道場の前の花壇。


かわいい。宥厳先生が愛情込めて


すみずみまで丁寧に。

朝食

琴美ちゃんのケニア土産の紅茶で美味しいチャイを♪


お風呂もきれいにします。足が冷た〜い

楽健法39(5)


大事件!!

地盤沈下で排水パイプが曲がって、噴き出てしまいました。


排水の養分で巨大化したタンポポの葉

昼食

田中さんの愛情いっぱい受けて育った美味しいヒヨシ豆(?)おいしゅうございました。 

磐余堂にて


ここへ時々来てお参りされるのは、カトリックのペテロ神父さんという人です。

(一同)へぇ〜〜〜

僕もここに入って瞑想したら、もっと悟りが開けるかもしれん。これ以上開けん(笑)。

(石原さん)でも、全然痛んでないもんね。

そうそうそうそうそう。

(石原さん)昭和12年やって。

う〜ん。そない書いたある?
まあ、お座りください、どうぞ。

(田辺さん)お祀りされている方はどなたですか?

 これはチベット密教の仏さんです。歓喜佛ですね。本初佛 法身普賢という名前です。合体佛ともいって、男女が交わりながら抱擁してる姿をしています。それで、こういう仏さんは瞑想したりするためにお祀りされる仏さんで、だから、磐余堂は瞑想のための道場としてしつらえました。昼間でもここのカーテン閉めたら薄暗いから瞑想にもってこいですね。

(石原さん)ここ、カーテンがあるんだ。
(幸子先生)だから、この隙間から見えてたでしょ。
(受講生)外から全然見えなかったんですよ。
(菊地さん)この部屋四畳半くらいかしら。

まあ、こっち側四畳半でしょうね。
この掛軸っていうか、タンカって言うんですけど、ネパールとかチベットの方ではタンカって言って、これは全部同じように見えますけれども、密教の五佛が描かれているんです。たまたま、ここのお堂が出来た直後に不思議なことにこの仏様もこの五佛もみんな寄進していただいたのです。偶然入ってきたの。何も頼んだわけでもないのに。

 この密壇も大阪の光明寺っていうお寺さんが、宥厳さんがここのお寺に入ったら、使えるんだったらこれ使わずに置いてあるからあげます、とか言ってくれたんですよ。何か一気にパッと揃ったんでお祀りしたんです。

ここは静かで落ち着くんですよ。瞑想するのに。

(受講生)このお堂は先生がいらしたときはまだ何も?

 このお堂はずいぶん荒れていましたからね。壁も全部塗り替えて、屋根も修理し、須弥壇の床もシロアリにやられていました。そこに大きな石像が二体並んでお祀りされていたのですが、白アリが入ってもう床も今にも落ちそうでしたから、石屋さんに頼んで外へ出してもらったのです。それで、僕が須弥壇の床を自分で張り替えてこういう風にお祀りしたんです。

(田中さん)その石仏がここにいらっしゃったとおっしゃいましたね?

そう、ここの床も張り替えたんです、だから。

(石原さん)この歓喜佛さんは昔から置いてあったわけではなく、宥厳先生がここに入らはったと同時に?

 そうです。何かいろいろとお寺に次々とあげましょうとか言うひとが現れて入ってくるんですね。不思議なもんですね。お寺が呼んでいるんですよ。別に僕が頼んだわけではないんですが、なんとなく形が整っていってね。ま、こうやってここは久しぶりに開扉しました。

 去年の暮れから妹が手伝いに来てくれて、そこらじゅうお参りできるようになってだんだん隅から隅まで整っていくから、まあいいことですよね。

(石原さん)でも、あの徳がある期だったんですね、私たち。8期が。

ああ(笑)。

(石原さん)こういう風にしはったんを見せていただける。

そうですね。何かもう山も荒れ放題では触る気もしないもんね。なかなか手が回らない。
まあ、時期が来た。そういう時期やったんですね。

(石原さん)ちょうどよい時期だったんですよね。

うん。最後の仕上げを御覧じろってな感じで。(一同笑)

ここで般若心経一巻唱えて、みんなで。お母さん、そこへ座って。

(幸子先生)あんたが座ってよ。

院主さんはここにおりますから(笑)。監督やから。

(幸子先生)助監督。(一同笑)

まだそろってないのかな?ちょっとその辺見てきたら?

(幸子先生)また、そんなんしたら余計に遅くなる。
(受講生)来た来た!堀内さん、働きものやから!(笑)
(受講生)堀内さん、ありがとうね〜

心経あげましょ。
〜〜〜般若心経〜〜〜

どうもありがとうございました。
(受講生)どうもありがとうございました。

(幸子先生)うふっ。
(受講生数名)ふふふ。

何がおかしいん?

(幸子先生)いや、おめでとうって…。(一同笑)
(辻田さん)あの、お軸は?

これは密教の胎蔵界の五佛っていってね。5つの仏さんを描いたものを祀ってるんです。高野山でも拝みます。加行のときにね。これ、タンカって言うんですね。上にこうよくネパールで買ってきたら上にあんな布ついてないでしょ?あの布を降ろすと蓋もできるようになってて、ああいう風に絞って巻き込んでおくことで要するに荘厳になるわけですね、天蓋の。そういう使い方をするわけです。お土産に売っているのはみんなああいう布は付けてなくて、これはタンカとして丁寧に作ってあるものですよ。

(辻田さん)真中の仏さんはどなたですか?

 真中の仏様は歓喜佛で本初佛 法身普賢といいます。チベットで作られたものです。日本人が旅行に行って買うと言うようなレベルよりはうんと作りの良い仏様ですけれどもね。丁寧に作られているわけですね。何とかって言うチベットの名前。向こうの名前忘れちゃった。調べたらわかります。合体佛ですね。だから、前から后を抱いているんですね。本初佛はあらゆる佛の母体となった原初の佛を意味しています。

 チベット密教ではお坊さんが修行してくると、もう男女がこういう姿、陰と陽が一つになった姿が完全な悟りの世界だと考えるわけやね。そういう世界を象徴して作ったんです。陰陽の合一やね。で、円満になるんです。陰だけでは、独りものは独りもの。夫婦になって、プラスマイナスが一つになって、完全な形になると言う考え方で作られてるんですね。

 ま、河口慧海さんなんかはこういう仏像を見て、チベット旅行記ではボロクソに書いたわけよ。彼は密教というものをどういうものか知らなかったから。後に第二のチベット旅行記ではそういうことを反省してから、いろいろ批判もされて、それでそのことを訂正したいと言うようなことで、書いているわけだけれども。「続チベット旅行記」と言うのがあります。

 不思議な雰囲気でしょう。いつもペテロ神父さんがここを担当しとるんです。ペテロさんが来るたびにここに座って二時間くらい瞑想しているわ。ま、こういう空間があるのもええことやね。

 ここで、あのもう15年くらい前かな、イナムラさんとシャルマさんの、シャルマさんをなんとか飯が食えるように仕掛けをしようというので、それで僕が企画して、東光寺で2日間の講習会をやったんですよ。下の道場がない頃よ。近所に泊まったりして。それで、ここで一人一人に生年月日を聞いて、それでホロスコープをインドから送ってもらって、一人一人のホロスコープで運勢の判断をしてあげて、それであなたにはこういうマントラがいいって。それを一人一人に授けたんです。それは絶対に人に教えてはいけない。それで、この場所でシャルマさんが伝授したんです。ま、そんなようなこともここでやったりしたんですね。ま、いろいろ面白いことして、遊んで…遊んでるって言ったらいかんけど、

(辻田さん)アガステアの葉とかね。

そうそう。じゃあ、ま。
 
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