羅漢さんの托鉢日記

私の勤める、葬儀社羅漢では、お客様お一人お一人を訪問する、営業方法をとっています。これを托鉢と称します。  

師の教えー如是我聞

2010-10-18 22:51:49 | 師の教え
お経のほとんどは「如是我聞」という言葉からはじまる。
これを読み下すと、“是くの如く我れ聞けり”となり、
「私はこのように聞きました」という意味です。

例えば、阿弥陀経は、以下のようになる。
「如是我聞、一時佛在、舎衛国、祇樹給孤独園、・・・」
私はこのように聞きました。
ある時、お釈迦様が舎衛国の祇園精舎に滞在している時に・・・

お経はお釈迦様が著したわけではありません。
お釈迦様が亡くなられた後に、
その教えを後世に残そうと、弟子たちが編纂したものです。
「私はお釈迦様からこのように聞きました」
と、それぞれの弟子たちが、その教えを語り、経文ができていきました。

さて、例によって “へっぱく”(糸島弁で、無駄ばなし・・私流には能書き)
から始まってしまいましたが、

つい最近、師のこれまでの歴史をおたずねすることがあり、
「如是我聞」が、私の中でクローズアップされた。

「takの理解している如是我聞は、“私はこう聞きました”というところだろう」
「如是我聞は聞法たい」
「聞くだけじゃいかん」
「言うことをきくことたい」
「一言で言えば実行すること!」
お経は一字に千字の意味を含むといわれる。

「如是我聞」の四字には深い意味があったのだ。
「お経の中味が知りたいなどとよく言うが、実行せななんにもならん」

以前、
八万四千(きわめて多い数をいう)の経文ことごとく、
三行の教えにおさまる。と教わった。
素直な心、執われのない心、感謝の心がお経の中味であった。
「如是我聞」は、素直な心と理解した。
師の教えを赤子のように素直な心で実行することが「如是我聞」であった。

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