喪家様のご自宅で、
通夜のお務めの後、ご住職から法話をいただいた。
「宗派によって、お唱えするお経は違いますが、私たちは曹洞宗ですから、
“南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)と唱えてください」
「“なむ”とは、お任せしますという意味です。
お釈迦様にお任せしますということです」
そういえば私も“南無阿弥陀仏“の意味が解らないで長い間過ごしていた。
「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無大師遍照金剛」
ご本尊とする仏様によって唱える言葉が違ってくるのだが、
どの宗派がどれなのかも知らずにいた。
それにしても、なぜ“南が無い”なのか?
と、素朴に思っていた時期もあった。
仏教書を読みあさっていた頃、
疑問が解けていくのがうれしくて、
そうなると、よせばいいのに人にも教えたくなってくる。
(被害を被った兄弟に謝っておこう)
南無は、サンスクリット語のナームをそのまま音写しただけで、
漢字そのものに意味はない。
長谷川仏具店の女の子がテレビでいっている、あのナームです。
帰依(きえ)も帰命(きみょう)も南無と同じ意味で
お任せします、ゆだねます、ということです。
お経には、サンスクリット語をそのまま音写した部分がかなりあるそうです。
漢字に訳せない部分があり、また、あえて訳さないほうがいいところもあり。
で、釈迦牟尼仏の“牟尼”―辞書には次のように出ていました。
サンスクリット語muniの音写、賢者、聖者の意。寂黙と訳す。
インドで、山林にあって沈黙の行をする人の称、釈迦の尊称、釈迦牟尼。
今、仏教書は本棚ごとありません。
必要なときはインターネットという、実にありがたいものにお世話になります。
「書物は読むな 」私の師の教えです。
「読まなくても自然と解る」―これを“文殊の知恵”というそうです。(3人寄らずとも)
文殊の知恵をいただけるようになるのは、すっと先のようです。
羅漢http://www.rakan-fuk.co.jp/
通夜のお務めの後、ご住職から法話をいただいた。
「宗派によって、お唱えするお経は違いますが、私たちは曹洞宗ですから、
“南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)と唱えてください」
「“なむ”とは、お任せしますという意味です。
お釈迦様にお任せしますということです」
そういえば私も“南無阿弥陀仏“の意味が解らないで長い間過ごしていた。
「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無大師遍照金剛」
ご本尊とする仏様によって唱える言葉が違ってくるのだが、
どの宗派がどれなのかも知らずにいた。
それにしても、なぜ“南が無い”なのか?
と、素朴に思っていた時期もあった。
仏教書を読みあさっていた頃、
疑問が解けていくのがうれしくて、
そうなると、よせばいいのに人にも教えたくなってくる。
(被害を被った兄弟に謝っておこう)
南無は、サンスクリット語のナームをそのまま音写しただけで、
漢字そのものに意味はない。
長谷川仏具店の女の子がテレビでいっている、あのナームです。
帰依(きえ)も帰命(きみょう)も南無と同じ意味で
お任せします、ゆだねます、ということです。
お経には、サンスクリット語をそのまま音写した部分がかなりあるそうです。
漢字に訳せない部分があり、また、あえて訳さないほうがいいところもあり。
で、釈迦牟尼仏の“牟尼”―辞書には次のように出ていました。
サンスクリット語muniの音写、賢者、聖者の意。寂黙と訳す。
インドで、山林にあって沈黙の行をする人の称、釈迦の尊称、釈迦牟尼。
今、仏教書は本棚ごとありません。
必要なときはインターネットという、実にありがたいものにお世話になります。
「書物は読むな 」私の師の教えです。
「読まなくても自然と解る」―これを“文殊の知恵”というそうです。(3人寄らずとも)
文殊の知恵をいただけるようになるのは、すっと先のようです。
羅漢http://www.rakan-fuk.co.jp/











曹洞宗の本山は永平寺(福井)と総持寺(神奈川)が
あると聞いています。いずれも同列同格とのことです
「きえ」は「帰依」と書きます。