らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

Always 三丁目の夕日’64

2013-04-26 | 趣味

我が家では、雨の日には映画を鑑賞します。
一昨日は一日中雨だったので、撮り溜めていたテレビ映画「Always 三丁目の夕日’64」を観ました。
この映画は1年ほど前に、いつもコメントを頂いているiinaさんが紹介していた作品で、たまたま2月に読売テレビで放映されたので録画していたものです。

「Always 三丁目の夕日’64」はこのシリーズの第3弾のようであり、設定が昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時代でした。
私はこの頃は、既に東京・八重洲口で勤務をしていましたが、住まいが千代田区の靖国神社に近い場所にある会社の独身寮だったので、この映画に出てくるような下町の生活は全く知りません。
当時は高度経済成長期の真っ只中であり、「どんなに時代が変わっても、夢があるから、前を向ける」と言うこの映画のキャッチコピーは、正にその通りで、東京は勿論、日本中が活気にあふれていたように思います。

映画では、オート三輪“ミゼット”や白黒テレビ、ステレオカラーテレビ、新幹線こだま号、当時の乗用車など、戦後復興を象徴する国産品が映し出されていました。
当時はカラーテレビ・クーラー・自動車 の3種類の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝され、これら3種類の耐久消費財の頭文字のCから、「3C」とも呼ばれ、サラリーマンの憧れの的でした。

・昭和39年10月10日の東京オリンピック開会日に、ブルーインパルスが東京の空に描いた五輪のマークをとりいれたポスターです。(ネットより)

「映画のあらすじ」
1964年(昭和39年)、日本は東京オリンピックの開催を前に国全体が活気付き、東京においても近代的なビルや首都高速道路などの建設ラッシュで土地開発が進んでいた。
そんな急激な時代の流れの中でも、夕日町三丁目とその住民たちはいつも変わらない雰囲気を残していた。

一流小説家を目指す東大卒の茶川竜之介と妻のヒロミ、それに高校一年生になった淳之介は仲良く三人で暮らしていた。
茶川は『冒険少年ブック』で連載を続けるも新人作家に人気を奪われ大ピンチ。そんな茶川を陰で支えるヒロミは身重だが生活のため居酒屋を切り盛りする。
淳之介は東京大学を目指して猛勉強するも、内心は夢である小説家になることを忘れられない。

一方で、向かいの「鈴木オート」では将来は海外へ展開したいと野望を持っている鈴木則文と内助の功で夫を支える妻・トモエ。
そんな両親を持つ一人息子・一平は思春期に入り、鈴木オートを継ぐことを嫌がり、リードギターに明け暮れる毎日。
住み込みで働く星野六子にはあるふとしたきっかけで出会った医師・菊池との出会いでいよいよ春がやって来る。

昭和39年10月10日の東京オリンピック開会日に、ブルーインパルスが描く五輪のマークが東京の空に広がったり、開会式の風景、開業したばかりの東海道新幹線や昔懐かしい特急電車、「ひょっこりひょうたん島」に「恋のバカンス」、銀座をかっ歩する「みゆき族」や当時、一世を風びし「アイビールック」など、約50年前に実際に目にした光景が懐かしく思い出されました。

 

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2 コメント

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なつかしい (iina)
2013-04-26 10:16:33
東京オリンピックの昭和39年に東京駅に通勤でしたか。iinaは古里の北九州で高校一年生でした。翌年に東京に転校したのでした。
同級生のカメラ好きな友が、都下の高速道路を撮りまくってました。いのにして思えば、変転する東京を知る貴重な
資料になると思います。そんな写真でした。

iinaの今日の話題も映画ですが、アニメ「風の谷のナウシカ」は傑作です。テレビ放映で観ましたが、宮崎駿アニメ群
の中で不朽の名作といえる作品です。
未来の地球は汚染されて、海は腐海(ふかい)と化し、聞いていて「不快」のことかと勘違いしてました。結果的に意味
は同じでした。
ブログに、オーム画像を追加したのでご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/tamirin2005/ (タミリン)
2013-04-26 19:53:40
日本も、このくらいの年みたいに
活気があるといいですね。。

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