臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

日暦(5月18日))

2013年05月18日 | 我が歌ども
      禱り      鳥羽省三


とこしへなれ!業務スーパーの義捐金募集箱の新渡戸稲造! 

とこしへなれ!我がお財布の万札と桂歌丸の頭髪十本!

とこしへなれ!我が家の冷蔵庫の筋子一腹と夕張メロン!

とこしへなれ!鳥羽省三の拙い歌ごころとささやかな批評精神!

とこしへなれ!瀬見の小川の清き流れと糺の森の木漏れ日と!


 連れ合いに頼まれて「業務スーパー・宮前店」に製パン用の強力小麦粉七袋(七キログラム)の買い出しに出掛けたところ、店内に置かれた「東北大震災・義捐金募集箱」の中に、三ヶ月前と変わらずに一円玉を中心とした少額貨幣盛り沢山(お客が釣り銭を入れるのかな?)と新渡戸稲造氏の肖像が描かれた五千円が一枚入っていた。
 あの五千円札一枚は、募集箱の中に義捐金を入れさせる為の策略でありましょう?
 だとしたら、太平洋の架け橋・新渡戸稲造氏はカスミ網の前に置かれた鳥籠の中の囮の鶯である。
 「孤弱な犠牲者」と申しましょうか?
 彼・新渡戸稲造氏は、これからもずっとあのプラスチックの狭い箱の中で、肩身狭い思いをしながら孤独を託っていなければならないのに違いない。
 そこで、か弱い者の味方を自認している私としては、思わず「とこしへなれ!業務スーパーの義捐金募集箱の新渡戸稲造!」と禱らずに居られなかったのである。  

一首を切り裂く(007::別・其のⅤ)

2013年05月17日 | 題詠blog短歌
(砂乃)
送別会「またね」と言いし同僚の葬儀に「またね」が無いことを知る

 人間の世の習慣というものでありましょうか?
 それとも、私だけの悪しき性癖でありましょうか?
 私は、通勤帰りの道で出逢った知人とひとしきり立ち話をして別れる時でも、たまに訪れた孫娘二人を送って行ったバス停で別れる時にても、何気無しに「またね」との別れの言葉を口にしてしまうのである。
 本作の作者・砂乃さんも亦、私と同様の悪しき性癖を身に付けておられるのか、作中の「同僚」の「送別会」に於いて、「またね」との何気無い挨拶を交わして別れてしまったのである。
 ところが、あろう事か、その何気無い挨拶「またね」を交わし合って別れたばかりの「(元)同僚の葬儀」の席に座らなければならないことになってしまったのである。
 冷たい棺桶の中の人となってしまった者に向って言う「またね」はありません。
 それにつけても「またね」とは、なんという哀しい言葉でありましょうか。
 〔返〕  「またね」とは哀しき言葉 女子会で「またね」と別れし親友の通夜   鳥羽省三
      「おっつけ私も行くから」と涙を流して閉ぢたる柩の蓋の軽さよ     鳥羽省三 


(映子)
春兆す月夜にひとりくちを吐く別れ唄あり思い出の歌

 詠い出しに「春兆す月夜にひとりくちを吐く」とありますが、それは、作者の映子さんが歌おうともしないのに「思い出の歌」即ち「別れ唄」が極く自然に、まるで口から吐き出されるようにして出て来るからでありましょうか?
 〔返〕  春兆す十六夜月の「別れ唄」道に倒れて誰かが歌う   鳥羽省三


(光本博)
「べ」で終はるしりとりあれば別所哲也などとこたへず別所長治

 「別所長治」と言えば、安土桃山時代の武将。
 彼は、元々、織田信長陣営の武将の一人であったのであるが、毛利征伐を巡っての信長の意に不満を感じ、妻の実家である丹波国の波多野秀治と呼応して三木城に籠って信長に反逆した。
 開戦当初は、僚友・荒木村重の謀反や毛利氏の援軍などもあって、信長の命を受けた秀吉の軍勢によく対抗し得たのであるが、それも束の間、やがては、秀吉の「三木の干し殺し」戦法に遭い、神吉城や志方城などの支城も次々と落とされ、毛利氏からの援軍も途絶えて、遂に籠城してから二年後の天正8年(1580年)、城兵達の命を助ける事と引き替えに妻子兄弟と共に自害した。
 講談で有名な「秀吉の三木の干し殺し作戦」の一方の立役者は、彼・別所長治である。
 本作の作者・光本博さんは、長年、ご近所のスナックで飲み仲間と<人名尻取り合戦>をしようと企てていて、その際「『べ』で終はる」人名の尻を取らなければならないような場合は、極く平凡に人気タレントの「別所哲也などとこたへず別所長治」と答えようと、こころ密かに思っていたのでありましょう。
 〔返〕  「べ」で終わる名前の尻は「別所哲也」ではなくて「別所毅彦」と応えてやろう   鳥羽省三
     物知りと認識されたいゆえなのか?戦国武将の名前で応ず             鳥羽省三  


(藻上旅人)
別れの日なんにも言えなかったので想いはいつも私を責める

 いざ、その場に立たされてみれば、どんなに雄弁な人だって、何にも言えずに別れてしまうものです。
 したがって、藻上旅人さんは、そんなにも我が身を責める必要はありません。
 藻上さんのことですから、どうせ、旅路の途中で一夜の契りを交わしただけの年増の女性に対しての罪の意識に苛まれているのでありましょう。
 〔返〕  往く所無暗矢鱈に子種植え肥やしを掛けろ遠慮はするな   鳥羽省三


(鳥羽省三)
『サニー・サイド・アップ』別して言へば<目玉焼き・加藤治郎の第一歌集>

 自作ながら、類稀れなる傑作を投稿させていただいたと自惚れております。
 初稿は「ビン缶の分別作業は神が決め我が担ふべき天職ならむ」でありましたが、あまりにも自己卑下的な作品と思ったりもして、上掲の作品を再投稿させていただきました。
 〔返〕  第二歌集は『マイ・ロマンサー』などと自惚れて道誤るな能無し男   鳥羽省三

一首を切り裂く(007::別・其のⅣ)

2013年05月17日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
雨降りし後の舗道は暖かし旧き友らと別れて帰る

 ひとしきり初春の「雨」が「舗道」を濡らして降った後の街に幾分かの暖かさを感じながら、本作の作者・西中眞二郎さんは、「旧き友ら」と会して語り合った、今日一日の思い出を温めながら家路を急いでいるのでありましょうか?
 季節は未だ「名のみの春」。
 雨上がりの「舗道」から暖かい蒸気が上がっている筈はありません。
 作者にとっての暖かさは季節の暖かさでは無く、「旧き友ら」との語らいの後の気分の温かさでありましょう。
 〔返〕  懐に金が有るから暖かし今夜の語らい会費は無料   鳥羽省三


(不孤不思議)
腐れ縁をもうこれまでと訣別の意志を固めて半世紀過ぐ

 「訣別の意志を固め」たのまでは良かったけれど、現実的には「訣別」することが出来ないままに「半世紀」の月日が過ぎてしまった、という訳でありましょうか?
 だとしたら、それが即ち「腐れ縁」の腐れ縁たる由縁でありましょう。
 〔返〕  「今度こそ断固切る!」との意志をもて歌人ちゃんとの腐れ縁切れ!   鳥羽省三


(西村湯呑)
バイバイキーンと陽気に別れるはずだったバイバイまでで号泣してた

 「キーン」の部分までは到達せずに「号泣」してしまったので、結局のところは、元の腐れ縁がこれからも延々と続くのでありましょうか?
 〔返〕  断固たる決意で以って別れろよ!黴菌女とバイバイキーンと!   鳥羽省三


(シュンイチ)
約束をひとつ交わしたあの日からあなたは別のひとになったね

 その「ひとつ」の「約束」とは「煙草が値上げされてしまったので、この機会に喫煙を断固止めます!」との「約束」であったとしたら、作中の「あなた」からニコチンの匂いが漂わなくなり、月々のお小遣いの残りで買った寿司折などをぶら下げて帰宅するようになった、ということもありましようか?
 だとしたら、奥様が「約束をひとつ交わしたあの日からあなたは別のひとになったね」と仰るのも、「宜なる哉」といったところでありましょう。
 〔返〕  「今日限り俺は浮気はしないから!」シュンイチさんは堅く誓った         鳥羽省三
      「俺は浮気はしないから!多分しないはずだから!」シュンイチさんはやわな男だ  鳥羽省三   

一首を切り裂く(007:別・其のⅢ)

2013年05月16日 | 題詠blog短歌
(ことこ)
適切な距離で暮らしていけるなら隣の殻で別居しようか

 なんだか蓑虫みたいで悲しくなってしまいますよ!
 でも、団地生活の如きは蓑虫とそんなに変わりませんからね。
 団地と呼んだって、マンションと呼んだって、集合住宅のひと部屋ひと部屋は、蓑虫の「殻」みたいなもんですからね。
 〔返〕  出来得ればスープの冷めぬ距離に居て孫の顔などたまには見たい   鳥羽省三


(コバライチ*キコ)
「悲別」とふ架空の町の人びとを知っているやうな茜色の空

 1984年に連続テレビドラマとして話題となった名作『昨日、悲別で』は、1990年には、『今日、悲別で』として舞台上演されたのであったが、昨年・2012年には、新しく生まれ変わった『明日、悲別で』として、再度舞台上演されたのである。
 その内容について記せば、「架空の炭坑町・悲別を舞台として、人間本来の持つエネルギーをテーマにして、若者たちの〈希望〉と〈失意〉と〈情熱〉を描いて来た倉本作品が12年ぶりに東京にやって来た」のである。
 2011年の東日本大震災に続く原発事故の被害を経験した今だからこそ、東電に騙された私たちだからこそ考えたい本当の意味の〈エネルギー〉。
 巨匠・倉本聰が贈る新たなる感動の名作とも言えましょうか。
 都会暮らしを長くやっていると、時折り、本作に描かれたような空、「『悲別』とふ架空の町の人びとを知っているやうな茜色の空」に遭遇することがあるのである。
 〔返〕  酎に酔ひジャズダンスに痺れても忘れ得ざるは茜色の空   鳥羽省三
      恋に痴れ親しき友を失くしても永久に忘れぬあの町の空


(遥)
別々の景色の中にいた人と同じ絵を描く夢を見ました

 「同床異夢」という四字熟語は在りますが、それとは、ほぼ真逆のケース、即ち「別々の景色の中にいた人と同じ絵を描く夢を見ました」といったようなケースを端的に説明する四字熟語の存在を私は寡聞にして存じ上げません。
 因みにお伺い致しますが、作中の「同じ絵」というのは、具象絵画でありましょうか?
 それとも抽象絵画でありましょうか?
 〔返〕  「別々のベッドの中に寝ていても私は君を愛している」と   鳥羽省三


(今泉洋子)
葬列の人ら犇めく受付に貰ふ悲礼の引換券を

 此処を先途とばかりに並み居る弔問客を掻き分け掻き分けして「受付」のテーブルにしがみ付いて「悲礼の引換券」を手に入れようとしている作中人物の姿が彷彿として来る作品である。
 或いは、作中人物=作者でありましょうか? 
 だとしても、ご自身の姿を思いっ切りカリカチュアライズしてお詠みになるのが、今泉流短歌の極意の一つでありますから、私たち読者は、決して騙されてはなりません。。
 今泉さん一流のこの手に嵌って余計なことを書いてしまったら、早速噛み付かれますから十二分に注意しなければなりません。
 それはそれとして、今泉さんのように、歌壇付き合いを広範に長くなさって居られたら、大変な物入りでありましょう。
 でも、出て行く分は必ず返って来ますから、今泉さんとしては、広範かつ手厚くなさっておられるのでありましょう。
 とは言え、ご自身がお亡くなりになってから返されたって一文の得にもなりませんから、程々のお付き合いにしなければなりませんね。
 ついつい、うっかりと失礼なことを申し上げてしまいました。
 何卒、お許し下さい。
 〔返〕  甘噛みなら御遠慮なさらずして下さい。本格的に噛んでは駄目よ。   鳥羽省三


(円)
やがてくる別れの数を眠る前布団の中で数え続ける

 ご両親、ご兄弟ご姉妹、及び御親戚の方々、並びにご近所の方々、そしてご親友の方々、指折り数えて居れば限りがありません。
 とは言え、これも亦、「ヒツジが一匹、ヒツジが二匹、ヒツジが三匹........」と同様の就眠儀式の一種でありましようか?
 だとしたら、ご遠慮なさらずに、毎晩お遣り下さい。
 〔返〕  母と兄 父・義父・義母と姉二人、それを追うごと義兄が三人   鳥羽省三
 私の身辺の物故者たちを、亡くなった順番に並べて返歌とさせていただきました。

一首を切り裂く(007:別・其のⅡ)

2013年05月16日 | 題詠blog短歌
(とおと)
木蓮の灯る夕べを別るれば触れあひし箇所熱傷のごと

 「木蓮」は、春の代表的な花木の一つであり、三月から四月にかけて、葉に先立って、洒落たランプシェード型の赤紫色の花を樹冠一杯に咲かせます。
 したがって、本作の作者が「木蓮」が咲いている様を、まるでフレンチアンティーク・ランプシェードに擬えたが如く「木蓮の灯る夕べ」と表現したのは、極めて美しくかつ極めて適切な表現と言えましょう。
 また、「木蓮」の花の表面の赤紫色は熱を帯びたようなイメージであり、その美しさに魅せられて触ろうとすれば、ジュツと音を立てて触ろうとした者の掌を焼くようにも思われるので、後半の「触れあひし箇所熱傷のごと」という七七句も、極めて印象的な表現かと思われます。
 〔返〕  木蓮の散る夜別れし人なるも未だに胸の炎は消えず   鳥羽省三


(海)
愛情を保つためには別居って理想的だと思う四年目

 そうですか。
 ご経験をなさっての一首でありましょうから、評者としても頷くより仕方がありません。
 〔返〕  愛情の醒めた頃には別居してそれきり離婚なんてこともある   鳥羽省三


(芳立)
当たり前みたいにゴミの分別を客にやらせることがエコかよ

 「客」と言ってもいろいろござんして、ただ飯を食うために我が家を訪れる「客」には、一種の見せしめとして、食前にトイレ掃除や庭の草取りを遣らせているお宅も在るとか?
 したがって、「ゴミの分別」ぐらいは、まだましの方かと思われます。 
 〔返〕  当然の如く二杯目を出す野郎には沢庵の尻尾でも食わせとけ   鳥羽省三


(原田 町)
別腹と言いつつマカロン頬張りぬ血糖値などしばし忘れて

 作中の「マカロン」とは、「泡立てた卵白にラッカセイもしくはアーモンド・砂糖・小麦粉(この他にバターを用いる場合もある)を加えて小球形に焼いた和菓子のこと」であり、通常は「カカロン」とは言わずに「マコロン」と言う。
 それを承知の上で、ことさらに「マカロン」としたところに、本作の作者・原田町さんの「ざーます族趣味」が感じられる。
 それはどうでも、砂糖菓子の食べ過ぎはお身体に毒ですよ! 
 「原田町」さんが「腹だ満痴」さんになってしまったら、多くの原田町短歌ファンが悲しみますよ!
 〔返〕  別腹と蔑まれたる吾なれば言いたい事を思うまま云う   鳥羽省三


(ろくもじ)
別々のクラスになって泣く女子もそのうち性に走るんだろう

 これは亦、悟り切った言い状ではある。
 一体全体、本作の作者は中学の先生でありましょうか?
 それとも生徒でありましょうか?
 〔返〕  別々のクラスになって泣いていたこの娘らも受験勉強   鳥羽省三


(湯山昌樹)
「別にぃ」と子供が言えば人一倍それを気にしているという意味

 そうかも知れませんが、何を訊いても、どんな場合でも「別にぃ」と応える子供が、十人に一人ぐらいの割合で居りますからね。
 〔返〕  「別にぃ」とは格別含みのある時の拗ねた生徒の言い方である   鳥羽省三

一首を切り裂く(007:別・其のⅠ)

2013年05月16日 | 題詠blog短歌
(音波)
くるぶしがさやさや光る別々のけものになって駆けるくさはら

 若者たちに明るい招来展望を持つことを許さないのが現代社会の本質である。
 斯かる閉鎖社会に身を置かなければならない若者たちにとって、「出来るならば、恋人と一緒に虎の雌雄となって、原野を自由に駈け回りたい」といった、ロマンチックな「変身願望」を持つことは当然のことでありましょう。
 本作の題材となっているのは、言わば『平成版・山月記』である。
 〔返〕  痩身がさやさや光る月の夜は異類となって君と翔けよう   鳥羽省三


(佐藤紀子)
満ち潮に寄せ来る波の音を聴く別府温泉野天砂風呂

 佐藤紀子さんとしては詠み慣れた作風の作品、即ち「別府温泉野天砂風呂」の絵葉書風な作品である。
 〔返〕  轟々と寄せ來る波の音を聴く震度六強津波襲来   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
カルメンを演じるときはシンデレラ役のときとは別人のよう

 題材となっているのはジョルジュ・ビゼー作曲の歌劇『カルメン』及びロッシーニ作曲の歌劇『シンデレラ』である。
 本作の趣旨は、「同じ女性を演じる時でも、ビゼー作曲の『カルメン』の主役を演じる時は、ロッシーニ作曲の『シンデレラ』の主役を演じる時とは『別人のよう』な印象を与える」ということである。
 同じ女性であっても、カルメンとシンデレラとでは性格が真逆である。
 したがって、本作の作者は、言わば、当然のこと、即ち解り切ったことを述べたまでのことである。
 〔返〕  ミスキャスト!あれはまさしくミスキャスト!カルメン女優ががシンデレラを演ず!   鳥羽省三
 

(秋月あまね)
今日なりの別れをしよういきものはいつ死んじゃうかわからないから

 そう、そうなんですよ!
 私たち「いきもの」は「いつ死んじゃうかわからないから」、「今日なりの別れ」方をすれば、それで充分なんですよ!
 〔返〕  それなのにあの人ったら泣き騒ぎ一緒に死ぬとか云ったりもして   鳥羽省三


(梅田啓子)
「いつ帰るの」会うや尋ねるおさなごは別れの意味をもう知っている
 
 本作に接して、私は「逢うが別れの始めとは/知らぬらぬ私じゃないけれど/切なく残るこの想い/知っているのは磯千鳥」という歌の歌詞を思い出してしまいました。
 事の序でに、その歌の二番、三番の歌詞を記しますと、「泣いてくれるなそよ風よ/望み抱いたあの人に/晴れの笑顔がなぜ哀し/沖のかもめの涙声」「希望の船よ銅鑼の音に/いとしあなたの面影を/はるか彼方に消えてゆく/青い空には黒煙」となっております。
 要するに「逢うが別れの始め」ということは、中唐の詩人・白楽天の昔から現代に至るまで永遠に変わらないテーマ、人類普遍の文学的主題でありましょう。
 私たちは人間である以上、そうしたテーマの中で愛別離苦を繰り返しつつ生きているのであり、作中の「おさなご」も亦、その例外ではないのでありましょう。

 別れちゃ嫌だと 泣いたとて
 花でもつんで すてるよに
 そしらぬふりして 別れゆく
 あなたは男 つれない男
 いいえ私は はなさない

 死んでもはなしは しないよと
 誓った言葉 嘘なのね
 口笛吹き吹き 別れゆく
 あなたは男 気強い男
 いいえ私は はなさない

 別れちゃならぬと すがりつく
 私のこの手 この心
 あっさり振り捨て 別れゆく
 あなたは男 きままな男
 いいえ私は はなさない
     (作詞:石本美由起・作曲:上原げんと『渡り鳥いつ帰る』)
 〔返〕  身に迫り耳欹てて聴きました。ちあきなおみの「渡り鳥いつ帰る」。  鳥羽省三

日暦(5月16日)

2013年05月16日 | 我が歌ども
唐傘か否あんぶれらソンブレロ被りて憩ふビル影も無し   鳥羽省三

 運動不足が原因なのか、身体のあちこちが痛い。
 昨日の午後は久しぶりに生田緑地まで散歩に出掛けたのであるが、その熱いこと熱いこと、もはや真夏日である。
 向ケ丘遊園駅近くの商店街で擦れ違う女性の多くは日傘を被って暑さ凌きをしているのであるが、不思議なことに彼女らの被っている日傘の色は一様に真っ黒なのである。
 小学生の頃の学習雑誌から得た知識であるが、真夏に遮光の為に差す傘は太陽光を反射する白いものでなければならないはずである。
 だが、昨今の女性たちは、いつの間にかレースで縁取りした真っ黒い日傘を差して外出するようになっていたのである。
 あの不可思議にして非科学的な現象には、必ずや冷徹な仕掛け人が居るはずだ。
 ラジオから聞こえて来るのは、佐藤惣之助作詞・古賀正男作曲の戦前の流行歌『緑の地平線』である。
 歌い手は楠木繁夫。
 続いて聞こえて来たのは、藤山一郎が歌う『青い背広で』である。
 楠木繁夫と言い、藤山一郎と言い、戦前の歌手たちはどうしてあんなに優等生的な歌い方をしたのであろうか?

 青い背広で 心も軽く
 街へあの娘と 行こうじゃないか
 紅い椿で ひとみも濡れる
 若い僕らの 生命の春よ

 お茶を飲んでも ニュースを見ても
 純なあの娘は フランス人形
 夢を見るよな 泣きたいような
 長いまつげの 可愛い乙女

 今夜言おうか 打明けようか
 いっそこのまま 諦めましょか
 甘い夜風が トロリと吹いて
 月も青春 泣きたい心

 駅で別れて ひとりになって
 あとは僕らの 自由な天地
 涙ぐみつつ 朗らにうたう
 愛と恋との ひとよの愛か    

『青い背広で』(作詞:佐藤惣之助・作曲:古賀政男)

 藤山一郎が歌った『青い背広で』の二番の歌詞に「ニュースを見ても」とあったことについて、司会者の川野一宇アナが「『ニュースを見ても』と歌っているが、ニュースを見るとは何(媒体)でニュースを見るのかしら?新聞でニュースを見るのかしら?ニュース映画を見るのかしら?ニュース映画なのかも知れないけれど、その頃にニュース映画が在ったのかしら?」などと余計な詮索をしている。
 我が国のニュース映画の起源は1930年の松竹による「松竹ニュース」とされているが、私が川野一宇アナの投げ掛けた疑問について「余計な詮索」と言っているのは、その点についてではない。
 川野一宇アナは、おそらくは、作詞者の佐藤惣之助が「ニュースを見ても」と言っているだけで、その媒体について述べていない点について疑問を感じたのでありましょう。
 流行歌手・藤山一郎が『青い背広で』を歌ったのは昭和12(1937)年のことである。
 昭和12年と言えば、浅草六区の劇場街が黄金時代を謳歌していた頃であり、都会の少壮サラリーマンが恋人連れで浅草界隈を徘徊したり、映画館に入ったりすることが、羨ましい都会風俗として若人の羨望の的とされていた頃である。
 したがって「ニュースを見る」とは、勿論、映画館で「ニュース映画を見る」ことであり、その頃の人々にとっては「ニュース」と言えば、それ自体目新しい都会的な言葉であったから、わざわざ「(映画館で)ニュース(映画)を見ても」などという、七面倒臭いことを言わなかったまでのことである。
 高齢者相手の「ラジオ深夜便」のアンカーを務める為には、川野一宇アナはまだまだ勉強しなければなりません。
 彼・川野一宇アナは、今のところ、「低能タレント」或いは「お笑い芸人」相手のバラエティ番組の司会者が、身分相応の役割りなのかも知れません。
 〔返〕  そんぶれろ否アンブレラ蛇の目傘差して通へる小町娘も無し   鳥羽省三  

日暦(5月15日)

2013年05月15日 | 我が歌ども
粟島に三つ葉ツツジが咲いたとておん出た子らの戻ること無し   鳥羽省三

 作中の「おん出た」は、サ行五段活用の動詞「追い出す」の俗な言い方として使われていた動詞「おん出す」を自動詞化して用いる動詞「おん出る」(ダ行下一段活用)の連用形「おん出」に完了の助動詞「た」が接続したものであり、その意は「自分から進んで出た・さっさと出た」といったところである。
 ところで、関東地方の某県での教員生活から足を洗った後、小学校五年生になるまでご自身も住み、ご尊父様の出生地でもある香川県の粟島を「終の棲家」として定められた私の知人・北さんは、必ずしも、彼の地・粟島を「自分から進んで出た」わけでも、棲息するに相応しくない土地として「さっさと出た」わけでもないように推測されます。
 だとすれば、作中の「おん出た」は、必ずしも適切な表現とは言えません。
 〔返〕  沖縄をおん出た後の米軍に「どうぞ起こし!」と云う県の無し   鳥羽省三
      名にし負う百々手祭の粟島は「機関車先生」のロケ地でもある   鳥羽省三

日暦(5月15日)

2013年05月15日 | 題詠blog短歌
街路樹に最適な木は欅なの!夏は緑陰!冬は裸木!   鳥羽省三

 つい先日まで桜吹雪が舞い散って居たのであるが、昨日の朝のバスの中から見た新百合通りは、欅の新緑で輝いていた。
 と、その時、私の前席にいた女子大生らしき女性が、同席していた同年輩の男性に向って、「ねえ、ねえ、街路樹に最も適している木はなんだか知ってる?あなた知らないんでしょう!それはねえ、欅なのよ。あなた欅ってどんな木なのか知ってる?可哀そうに、それも知らないのか!ほらほら、あそこに在る木が欅なの!あれ見てよ!あれよ、あれ!欅は新緑の頃もいいけど、もう少し経って真夏になったら、もっともっといいのよ!真夏に欅並木の下を歩いてると、木漏れ日を浴びてるって感じなの!欅は葉が残らず散って、冬になってもすごくいいわよ!だいぶ前のことだけど、堀内孝雄が『裸樹』という曲を歌っていたのは、貴方でも知ってたでしょう。なんだ、それも知らなかったのか!それでは話にもなんないけど、あの曲に歌われている裸木は、府中市の馬場大門って所にあるケヤキ並木なんだってさ!大國魂神社っていう神社の参道に、太い欅が百五十本も生えてるんだって!欅の巨木が百五十本も並んで生えていたら、壮観って感じかしら?ねえ、ねえ、私って、意外に物知りでしょう!」と、立て続けに話し掛けていた。
 相手の男性に首を振る暇も返事をする暇も与えなかったほどの早業であった。

 語り終えた後で 言い残した事が
 涙に姿変え 時を移して散る
 くちびるに手を当て うつむいて黙って
 煙草の吸殻に あなたは瞳を伏せる
 何か言って お願いだから
 心変わりを 許されるのは
 責められるより 辛すぎる
 
 木の葉を 脱いだ裸樹が
 北の星座に 震えるように
 人は 独りなんだね
 人は 独りなんだね
 そんな淋しい 言い方されて
 突き離すだけ 辛すぎる
 
 荒れ野の果ての裸樹も
 凍る大地に根をおろすのに
 人は何んて脆いの
 人は何んて脆いの
 時の流れに足をすくわれ
 すがる腕さえないままに
 時の流れに足をすくわれ
 生きて行くなら辛すぎる
(松本隆作詞・堀内孝雄作曲『裸樹』より)  

一首を切り裂く(006:券)

2013年05月14日 | 題詠blog短歌
(光本博)
メンズプラザアオキの五百円券が財布に残り草臥れてゆく

 「メンズプラザアオキ」などとカタカナ文字を九つも連ねたようなハイカラな言い方をしているが、要するに、今となっては日本全国何処の街にも在る、あの「紳士服のアオキ」のことでありましょう。
 ところで、その「メンズプラザアオキ」では、新店舗をオープンした際などに、五千円以上の買い物をしたお客を対象として「たびもの撰菓プレゼント」と称する、消費者の欲望を刺激するような派手な抽選会を行ったりすることがあるのであるが、その末等当選者(実質的には“外れ”即ち落選者と云うべきか?)に対して、次回来店時に買い物総額から五百円を割引するサービス券を渡すのである。
 作中の「メンズプラザアオキの五百円券」とは、そのサービス券を指して云うのでありましょうか?
 だとしたら、そのサービス券を使う機会は極めて限定的なものになり、本作の作者・光本博さんに限らず、件のサービス券を所持する者は、それを「財布」の中に入れたままになり、結果的には「メンズプラザアオキの五百円券が財布に残り草臥れてゆく」ということにもなりましょう。
 本作の出来栄えについて一言すれば、「本作は有り触れた都会風景に取材した作品であり、私たち都市生活者の生活実感をもリアルに表現した佳作である」ということになりましょうか?
 〔返〕  アオキから買ったスーツで出掛けたが引け目感じて直ぐに帰った   鳥羽省三
     アオキから買ったスーツでデイトしたお安く思われキスも出来ない


(西中眞二郎)
乗車券入れた積りが見当たらずポケット探りうろたえている

 本作に詠まれた内容は、作者と同年配の者としては、我が事のようにも思われ、同感・同情を禁じ得ません。
 〔返〕  ポケットに入れたつもりが見当たらぬ「落したのかな?」といま思ってる   鳥羽省三 


(砂乃)
半券は捨てないでおく思い出もデスクマットに挟んでなぞる

 「デスクマットに挟んでなぞる」と具体化して述べたところが並々ならぬ歌詠み巧者を思わせる。
 〔返〕  持ってても結局棄ててしまうから半券などは貰いたくない   鳥羽省三
      「半券を持ってないなら再入場できませんね」と係員云う


(津野桂)
そのあとで行方知れずになったのを駅の券売機は憶えてる

 「〇〇駅前で誘拐されたかも?」といった新聞記事に接することもありますからね。
 表現について一言すれば、出し抜けに「そのあとで」と詠い出すところがなかなか宜しい。
 〔返〕  一昨日の誘拐事件の発端を券売機のみ未だ記憶す   鳥羽省三


(秋月あまね)
硬券がなければ鋏もないはずでカカカカチッと鳴らす仕草も

 「カカカカチッと鳴らす」との、擬声語を用いての具体的な表現が巧い。
 〔返〕  硬券はおろか軟券も無くなって改札口には駅員が居ず   鳥羽省三


(矢野理々座)
「仕事よりデート優先回数券」裏に山ほど但し書きあり

 評者としては、件の「デート優先回数券」の「裏」側に記された「但し書き」の内容を知りたいものである。
 〔返〕  逢う時の食事代金彼が持ちキスなどしたら直ぐにさよなら   鳥羽省三


(原田 町)
往復の乗車券は無いですか根の堅洲国へ旅立つ友に

 三省堂から刊行されている『大辞林』の解説するところに拠ると、作中の「根の堅洲国(ねのかたすくに)」とは、「古事記が構想した他界の一つ。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が支配し、葦原中国(あしはらのなかつくに)の国造りに間接的に関与する。大国主神(おおくにぬしのかみ)は、ここを訪れることで国土の王たる資格を獲得し、国造りを完成する。なお、出口を同じくするが<黄泉(よみ)の国>とは異質の世界で、日本書紀その他にみえる<根の国>とも異なるか。所在についても、従来考えられてきたように地底ではなく、葦原中国と同一面上にあるとも説かれる」ということである。
 この解説に拘っていると、本作の内容はなかなかに難解とも思われるが、作者・原田町さんの仰りたいことは、要するに「親友が冥界に旅立とうとしているのであるが、私にとっては彼女との別れが耐え難い。そこで冥界を統べる神様にお伺いするのですが、冥界行きの特急列車の乗車券は片道切符ばかりで、往復券は無いのですか?」ということでありましょう。
 〔返〕  なんならばパスモで以って追っ駆けろ根の堅洲国行きは片道切符   鳥羽省三


(鳥羽省三)
華麗なる熟女の恥部に喰い付いた券売機の件は一笑に付せ!

 券売機が「華麗なる熟女の恥部に喰い付いた」りするのでありましょうか?
 寡聞にして、本作の作者たる私も亦、存じ上げません。
 〔返〕  醜悪な熟女の尻を追っ駆けて馬鹿な喜多氏は泡島行きさ!   鳥羽省三