臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(10月21日掲載・其のⅢ・決定版)

2013年10月25日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]


(東京都・香西和衛)
〇  誘われて行けなかったあの日のデモ今なら行くよ君を誘って

 私たち鑑賞者は、本作は「永田和宏選」の首席入選作品であり、選者が過ぎし「2010年8月12日」に、愛妻・河野裕子氏を黄泉路に旅立たせた永田和宏氏であることに留意しなければならない。
 即ち、永田和宏氏に於かれましては、「今なら行くよ君を誘って」と言っても、誘うべきお相手が既にいらっしゃらないのである。
 〔返〕  若き日に逆立ちして見し虹の橋渡りて君は天空に消ゆ  鳥羽省三


(瀬戸内市・安良田梨湖)
〇  「やってる?」と研究室に顔を出すおでん屋の客みたいな先輩

 またまた「やってる?」ですか!
 あそこでもかしこでもさんざんに遣り捲ってもう飽き飽きしていますから、評言も返歌も、もう勘弁して下さいよ。
 〔返〕  遣ってるやってる遣ってる山で姪と島崎藤村安上がり  鳥羽省三
 「乗ってる乗ってる乗ってるヤマハメイト、メイトに乗れば安上がり」というCMが十二吋厚型ブラウン管テレビでがなり立てていたのは何時の事であったのかしら?
 安上がりを企てた文豪・島崎藤村も今では岐阜県出身者扱いにされてしまいました。


(名古屋市・中村桃子)
〇  わけもなくため息でるのはなぜだろうすべてが秋のせいじゃないけど

 そう、解っていらっしゃる!
 確かに懐具合の所為もありますからね!
 〔返〕  逝く夏や白桃見つめ溜息を吐きし中年・西東三鬼  鳥羽省三


(岡山市・酒井那菜)
〇  思い出してほしい何かがある秋の隅で炎をあげるあの花

 「秋の隅で炎をあげるあの花」とは、曼珠沙華なのかしら?
 それともダリヤなのかしら?
 その何れにしろ、「何か」がありそうなイメージではある?
 〔返〕  ダリヤならもっと激しくキスしてと言うが如くに咲く花である  鳥羽省三


(いわき市・岸本靖子)
〇  怖いもの知らずで勝ち気だったのに誰に遠慮をしてるの?わたし

 「生きてゆくのが/つらい日は/おまえと酒が/あればいい/飲もうよ俺と/ふたりきり/誰に遠慮が/いるものか/惚れたどうしさ/おまえとふたり酒」つて具合には行かないものでありましょうか?
 〔返〕  怖いもの知らずで勝ち気だったから今頃になり遠慮するのさ  鳥羽省三  


(名古屋市・杉大輔)
〇  君の眼と僕の眼との間にはレンズが四枚風も吹いてる

 「君の眼と僕の眼との間にはレンズが四枚」も在るってことは、近眼同士のキスシーンかも?
 でも、「風も吹いてる」っていう付け足しがなかなか宜しい。
 〔返〕  風が吹く鐘が鳴ってるもう帰ろこれ以上行くと母に叱られる  鳥羽省三  


(伊那市・小林勝幸)
〇  ひつじ雲仰ぎてしばし坂に佇つ木曽の馬籠の石畳道

 「木曽の馬籠」も、今では岐阜県中津川に編入されてしまい、文豪・島崎藤村は岐阜県出身の偉人と成り果ててしまったのである。
 「石畳道」を歩いていても、何だかがっかりしてしまいますよね。
 〔返〕  馬籠宿「京へ五十二里半・江戸へ八十里半」と道標にあり  鳥羽省三


(横浜市・折津侑)
〇  サムクナッテキテ秋ですねえとぞジョン君の日本語の習熟度いまひとつなり

 発音やアクセントの置き方はともかくとして、「サムクナッテキテ秋ですねえ」という言い方自体には、論理的矛盾は何ら認められません。
 〔返〕  ジョン君の日本語力はともかくも折津侑さん短歌未だし  鳥羽省三


(神奈川県・富田茂子)
〇  関わりし女性らの名を列挙して『断腸亭日乗』は二ページを割く

 本作の題材となったと推測される箇所を、下記の通り『断腸亭日乗』より転載させていただきました。
 
 昭和十一年一月三十日。
 晴れて風烈し。
 去冬召使ひたる下女政江西洋洗濯屋朝日新聞其他自分用にて購ひたる酒屋のものなど其勘定を支払はず行方不明となりしため朝の中より台処へ勘定を取りに来るもの三四人あり。
 其中呉服屋もあり。
 政江といふ女わが家に殆二ヶ月程居たりしが暇取りて去る時余に向ひては定めの給料以外別にゆすりがましき事を言はず。
 水仕事に用ゆるゴムの手袋と白き割烹着とを忘れ行きしほどなれば、金銭の慾なく唯しだらなく怠惰なる女なるが如し。
 貸したものも催促せぬ代り借りたものも忘れて返さぬといふやうなる万事無責任なる行をなすものは女のみならず智識ある男子にも随分多く見る所なり。
 西洋人には少く支那人にも少く、これは日本人特徴の一ツなるべし。
 つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし。

  一 鈴木かつ {柳橋芸者にて余と知り合ひになりて後間もなく請負師の妾となり、向島曳舟通に囲はれ居たり、明治四十一年のころ}
  二 蔵田よし {浜町不動産新道の私娼明治四十二年の正月より十一月頃まで馴染めたり、大蔵省官吏の女}
  三 吉野こう {新橋新翁家富松明治四十二年夏より翌年九月頃までこの女は事は余が随筆『冬の蠅』に書きたればこゝに贅せず}
  四 内田八重 {新橋巴家八重次明治四十三年十月より大正四年まで、一時手を切り大正九年頃半年ばかり焼棒杭、大正十一年頃より全く関係なし新潟すし屋の女}
  五 米田みよ {新橋花家(成田家か不明)の抱、芸名失念せり、大正四年十二月晦日五百円にて親元身受、実父日本橋亀島町大工なり、大正五年正月より八月まで浅草代地河岸にと三ヶ月ばかりにて手を切る、震災後玉の井に店を出さし由}
  六 中村ふさ {初神楽坂照武蔵の抱、芸名失念せり、大正五年十二月晦日三百円にて親元身受をなす一時新富町亀大黒方へあづけ置き大正六年中大久保の 家にて召使たり、大正七年中四谷花武蔵へあづけ置く、大正八年中築地二丁目三十番地の家にて女中代りに召使ひたり、大正九年以後実姉と共に四谷にて中花武 蔵といふ芸者家をいとなみ居りしがいつの頃にや発狂し松沢病院にて死亡せりと云ふ。余之を聞きしは昭和六年頃なり、実父洋服仕立師}
  七 野中直 {大正十四年中赤坂新町に囲置きたる女初神田錦町に住める私娼なり、茅か崎農家の女}
  八 今村栄 {新富町金貸富吉某の見寄の女、虎門女学校卒業生なりと云ふ、一時書家高林五峯の妾といふ、大正十二年震災後十月より翌年十一月まで麻布の家に置きたり、当時二十五歳}
 十三 関根うた {麹町富士見町河岸家抱鈴龍、昭和二年九月壱千円にて身受、飯倉八幡町に囲ひ置きたる後昭和三年四月頃より富士見町にて待合幾代といふ店と出させやりたり、昭和六年手を切る、日記に詳なればこゝにしるさず、実父上野桜木町々会事務員}
 十二 清元秀梅 {初清元梅吉弟子、大正十一年頃折々出会ひたる女なり、本名失念大坂商人の女}
 十一 白鳩銀子 {本名田村智子大正九年頃折々出会ふ陸軍中将田村□□の三女}
 十五 黒沢きみ {本名中山しん、市内諸処の待合に出入する私娼、昭和八年暮より九年中毎月五千円にて三四回出会ひ居たり明治四十二年生砲兵工廠職工の女}
 十六 渡辺美代 {本名不明、渋谷宮下町に住み夫婦二人づれにて待合に来り秘戯を見せる、昭和九年暮より十年秋まで毎月五十円をやり折折出会ひたる女なり、年二十四}
     此外臨時のもの挙ぐるに遑あらず、

 〔欄外墨書〕  九 大竹とみ {大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に囲ひ置きたる私娼}
 〔欄外墨書〕  十 吉田ひさ {銀座タイガ女給大正十五年中}
 〔欄外墨書〕 十四 山路さん子{神楽坂新見番芸妓さん子本名失念す昭和五年八月壱千円にて身受同年十二月四谷追分播磨家へあづけ置きたり昭和六年九月手を切る松戸町小料理屋の女}

 「もの好きにも程がある」とのみ記しておきましょうか?
 〔返〕  吉田ひさ・銀座タイガの女給にて大正末年一夜三交  鳥羽省三


(伊賀市・秋田彦子)
〇  花ならばさしずめみんな猫じゃらし三人寄れば二百歳の夏

 過ぎし十余年前の夏の日、私は友人・油屋満夫氏の経営する「秋乃宮博物館」に無給の学芸員として手伝いに出掛けていたのでありましたが、その折りに目にした活花の美しさに陶然としてしまったのでありました。
 件の活花とは、江戸切子の玉杯に野の花「猫じゃらし」を一輪のみ活けたものでありましたが、このあまりにも素朴な活花が、博物館内に展示された油屋満夫氏の蒐集品と映じ合って醸し出される、件の博物館内の雰囲気は、言葉も絶するほどの静寂にして荘厳なるものであり、東京からわざわざ出掛けて来た入場者の方々も、唖然としてその場に佇んで居るような有様でした。
 したがって、「花ならばさしずめみんな猫じゃらし」という本作の上の句の叙述を、私は「花に例えるならば、私たちは、さしずめ野の花・猫じゃらしの如き素朴にして可憐な女性である」と解釈させていただきます。
 「三人寄れば二百歳」と言っても、三等分すれば僅かに七十歳足らずの御年でありますから、まだまだ若い。
 これから、ひと花もふた花も咲かせることが可能でありましょう。
 〔返〕  吾はまた伊賀の野に生ふ猫ぢやらり組みつ揉まれつ擽りもせむ  鳥羽省三


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