臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(095:黒・其のⅠ・決定版)

2011年01月28日 | 題詠blog短歌
(龍庵)
○  風を待つ少女のなかの雪原を黒馬一頭駆け抜けていく

 「風を待つ少女」ならば誰しもその胎内に「雪原」を養っている。
 そして、その「雪原」を「黒馬」の一頭や二頭を「駆け抜けて」行かせたとしても何の不思議もありません。
 本作は、知性的な少女の精神内部に巣食う疾走への衝動を詠んだ作品であり、それに対する作者の“共感”乃至は“驚嘆”或いは“讃仰”の気持ちを述べた傑作である、などと評してお終いにしても宜しいのであるが、今回はもう少し駄弁を弄ばさせて頂きましょう。
 一方が他方の成立に大きな影響を与えた、などという生臭いことを申し上げるつもりはいささかもありません。
 だが、本作に接して私は、今は亡き葛原妙子氏の歌集『橙黄』(昭和25年刊)所収の「奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり」という作品を思い出し、それと本作との比較を試みたくなってしまったのである。
 両作共に、“冬の原野を一頭の馬が駈け抜けて行く情景を詠んだ”という共通点は在るが、それよりもむしろ、私がこの両作品の比較を試みようとした理由は、両者の内容及び創作意図には歴然とした違いが在ることを感じたからである。
 そこで先ず、一方に在って他方には無い要素は何かと言うと、葛原作には、閉塞され拘束されている現実生活から逃亡したい、脱却したいという感情が横溢していて、その拘束から脱却しようとしても容易に脱却し得ない“悩み”とか“焦り”のような思いが認められ、そうした点にこそ、この作品の創作動機やテーマが存在するのに違いない、と思われるのに対して、龍庵作には、そうした要素は皆無ないしは微量にしか認められないのである。
 次に、“エロティックな要素”或いは“劣情的な要素”の有無について述べると、龍庵作に於いては、「風を待つ少女のなかの雪原を」「駆け抜けていく」「一頭」の「黒馬」が作者ご自身かとも思われ、全身に性欲を漲らせていてそれからの解放を切なく願っている作者ご自身が、「一頭」の[黒馬」に我が身を託して己の欲情を満足させた、或いは満足させようとした、との解釈も可能であるのに対して、他方の葛原作には、そうした要素が皆無なのである。
 この両作を比較する時、もう一つ無視してならないものは、葛原作の「奔馬」と龍庵作の「黒馬」との本質的な違いであり、また、葛原作の場合は、「奔馬」が「ひとつ」「冬のかすみの奥」に消え行くのであるが、龍庵作の場合は、「黒馬」が「一頭駆け抜けていく」となっていて、その違いの大きさである。
 即ち、「奔馬」とは“暴れ馬”であり、作者ご自身の心中には、「その“暴れ馬”を自分自身が持て余していて、制御しようとしても容易に制御し切れないで困惑している」といった気持ちが在るのに対して、他方の「黒馬」はあくまでも「黒馬」であり、その意志の赴くままに、何処までも駆け抜けて行くのである。
 また、葛原作に於いては、「奔馬」が「ひとつ」「冬のかすみの奥」に消え行くのであるから、その後の「奔馬」の行方については何方も知ることが出来なく、その「奔馬」に託した作者の思いが実現したかどうかについても、作者を含めた何方にも知ることが出来ないのである。
 それに対して、龍庵作に於いては、「黒馬」が「一頭」誰に制止されることも無く「駆け抜けていく」のであるから、作中の「少女」の“思い”、乃至は作者の“願望”は成就したのである。
 然らば、両者に共通している要素は何かと言うと、これら両作には、秩序を秩序として認めたくないとする反社会的な要素と、荒涼殺伐とした精神風景の存在が歴然として認められるのである。
 それともう一点、類似した事象を詠んでいるこれら両作品には、その詠み手たる男女の“性”に対する認識の違いも歴然として表わされている。
 即ち、男性たる龍庵作に見られる“性”は、欲望の対象としての“性”であり、その“性”の実現を願ったり、或いは充足に喜悦したりしている“性”であるのに対して、女性たる葛原作に見られる“性”は、欲望や充足の対象としての“性”では無く、それに因って拘束され、その拘束から脱却しようと切なく願う性質の“性”なのである。
  〔返〕 奔馬たれ黒馬たらざれ女性みな奔馬となりて天翔けて行け   鳥羽省三

 上掲の龍庵作との関係で、もう一つ注目するべき文芸作品は、今は亡きあの西東三鬼の俳句「白馬を少女瀆れて下りにけむ」である。
 「黒い乗馬服に身を纏って白馬に跨っていたあの少女は経穴に穢れて下馬しただろう」という意味のこの句と、龍庵作の短歌との関連は確かに無視し難い。
 しかし、龍庵作中の「黒馬」と三鬼作中の「白馬」との違いなどに着目すると、三鬼作の存在は、龍庵作に対する前述の私の解釈が必ずしも的外れな解釈では無い、という事を裏付けることにもなりましょうか?
  〔返〕 春情の少女貫く黒馬の逸物太き灯点し頃か   鳥羽省三


(tafots)
○  吾が胸にうつむく人の黒髪のさらさら降らむ 月が明るい

 私のようなごく普通の男性ならば、本作の話者の如き圧倒的な豊胸を見せ付けられたならば「うつむく」しか術を知らないのである。
 で、話者の圧倒的な豊胸を見せ付けられた男性の「黒髪」は、あまりのことに動転してしまい、「月が明るい」季節には「月」の光の微粒子のように、或いは一握の砂のように、握れば指の間より「さらさらと」堕ちるのでありましょうか?
 五句目に“何気に”といった感じで置かれた「月が明るい」という語句が真に不気味である。
  〔返〕 見てしまい慌て俯く君の髪なにげに指せばさらさらと降る   鳥羽省三


(西中眞二郎)
○  風寒き入江の海は黒ずみて雪被りたる岬は低し

 構図の整った作品ではありましょうが、好みの問題もありましょうか?
 「入江の海」という二重表現めいた言い方にも、やや疑問を感じます。
  〔返〕 波荒き磯辺に一人屈み居て藻草採らなむ朝餉にすべし   鳥羽省三


(髭彦)
○  赤腹も白腹もゐて黒腹はをらぬのをかし鳥の世界に

 ここまで言われたら、なにが何でも「クロハラ~~」という名称の「鳥」を探してやるぞ、と思い、向きになって探したのであるが、探し当てたのは「クロハラアジサシ」だけであった。
 「クロハラ円楽」「クロハラ小沢」などと、人間界なら星の数ほどにも居るに違いない「クロハラ~~」が、鳥の世界には何故少ないのだろうか、と理解に苦しんでいる鳥羽省三である。
 ところで、『ウィキペィディア』の説くところに拠ると、鳥類でただ一種類だけの腹黒な鳥「クロハラアジサシ」は、「学名(hlidonias hybridus)、チドリ目カモメ科に分類される鳥類の一種であり、ヨーロッパ南部から中央アジア、アフリカ、南アジア、中国東北部、オーストラリアで繁殖するが、繁殖地域は点在している。北方で繁殖した個体は、冬季アフリカ、インド、オーストラリアに南下し越冬する。日本では旅鳥として5月から10月にかけて各地で観察されるが、数は少ない。南西諸島ではよく見られる。」とのことである。
  〔返〕 赤玉も白玉も無く今春はミズノ社製の球投げるだけ   鳥羽省三
 プロ野球各球団の使用球が今春からミズノ社製に統一されることになりました。
  〔返〕 節分の鬼さえ涙浮かべてる国債格付けスペイン以下に    々
 起き抜けから悲しいニュースに接しました。
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