臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(11月25日掲載・其のⅡ・決定版)

2013年12月01日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

(東京都・鹿野文子)
〇  熊除けの鈴鳴らす人が降りてくる栗駒山の真青なる雲

 「栗駒山」の登山道で熊に出会える確率は、今日のジャパンCダートで3連単を的中させる確率よりも百倍も低いと判断される。
 だが、本格的な高山に恵まれない東北地方のいわゆる「山ガール」たちの中には、あの低い山に登るに際しても、殊更に「熊除けの鈴」を付けていたりする不届き者がいるのである。
 掲歌の作者・鹿野文子さんは、「栗駒山」に登って行く途中でそうした不届きな「山ガール」に出会ったのでありましょう。
 ところで、遥々と東京から遣って来た「山ガール」、即ち鹿野文子さんの目には、「栗駒山」の上に浮かぶ「雲」が「真青」に見えたのでありましょうか?
 〔返〕  サングラス掛ければ青く見えるはず栗駒山の上空の雲


(大和高田市・森村貴和子)
〇  「朝ぼくは何を食べたらいいのだろう」電話の向こうで父が呟く

 高野公彦氏流に言えば「愛娘の貴和子さんに会いたい、の心」でありましょう。
 〔返〕  「今日ぼくは何の勉強するのかな?」勉強嫌いな長男が言う


(瀬戸内市・安良田梨湖)
〇  夕焼けとまぶしく出会う帰り道きみは敬語をやめてくれない

 「高野公彦選」の四席と共選。
 安良田梨湖さんの目に「夕焼け」が「まぶしく」見えるのは、この頃、「きみ」との関係がぎくしゃくしているからではありませんか?
 〔返〕  いつだって敬語で話す君だから「抱かれたい!」とはとても言えない


(さいたま市・佐々木遥)
〇  「本当に知りたいことは教われぬ」ことを知らないセーラーの紺

 「セーラーの紺」とは、三十年前の佐々木遙さんご自身?
 〔返〕  真実に聞きたきことを聞かぬまま彼と別れし十五歳の秋
  

(高岡市・池田典恵)
〇  声がよく似ていることを私ほど嫌がっていない母が謎

 掲歌の作者・池田典恵さんのお母さんの世代の女性の心は、今の若い女性の心ほどデリケートに出来てはいないのである。
 〔返〕  母に似ず器量敗けする娘にて二十歳過ぎても声が掛らぬ


(蓮田市・青木伸司)
〇  ふっくらと肥りし子鴨を五羽のせて元荒川に秋がふかまる

 「子鴨を五羽のせて」と、「秋がふかまる」「元荒川」を小舟に見立てた着想が、江戸情緒たっぷりで宜しい。
 〔返〕  葱掘って鴨鍋にせむ秋深く元荒川に真鴨が浮かぶ  


(アメリカ・郷隼人)
〇  夕されば海霧あわく這うように塀くぐり抜け獄庭(にわ)に漂う

 「夕されば」と歌い起こす著名な和歌と言えば、次のような作品が思い当たるのである。
 〇 夕されば小倉の山に鳴く鹿の今宵はなかず寝ねにけらしも(舒明天皇・万葉)
 〇 夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寝ねにけらしも(雄略天皇・万葉)
 〇 夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして(笠女郎・万葉)
 〇 夕されば衣手寒しみ吉野の吉野の山にみ雪降るらし(詠み人知らず・古今)
 〇 夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞ吹く」(大納言経信・金葉)
 〇 夕さればあらましごとの面影に枕のちりをうちはらひつゝ(建礼門院右京大夫集)

 作者の郷隼人さんは、太平洋を隔てた米国の獄窓の内側に於いて掲歌を詠んでいるのであるが、人間誰しも境遇の違いを超越して、斯かる短歌的抒情に捉われるものかも知れません。
 「夕されば⇒海霧⇒あわく⇒這うように⇒塀⇒くぐり抜け⇒獄庭に⇒漂う」と、一首全体の語句が、末尾の動詞「漂う」に重く圧し掛かって行くような手法は、古典和歌を下敷きにした作品とは言え、なかなか見事なものである。
 また、末尾の動詞「漂う」は、作者の人生そのものを象徴してようにも思われるのである。
 〔返〕  夕されば「鳥羽は死ね」とのメール寄す正体不明のもの憎たらし


(三木市・矢野義信)
〇  静かさは青の争う空なればあらそう秋の静かさ深し

 小生、不勉強にして掲歌の意味が全く解りません。
 したがって、こうした難解な作品ををよく理解なさり、かつ入選作とされる選者の方の博識及び寛大なる御心に対しては、深く敬意を表する次第である。
 〔返〕  静かさは青と争う赤組の大将が声を枯らしたからだ


(イギリス・ボイド知子)
〇  黒雲の巨大なグローブがせり出してすとんと夜が来る冬時間

 「高野公彦選」の七席と共選。
 拠って返歌を割愛させていただきます。


(千葉市・吉井清乃)
〇  思ひ出はわたし独りのものになり記憶違へど言ふ君の亡し

 「思ひ出」「違へど」「言ふ」と「古典仮名遣ひ」を用いているからには、掲歌は明らかに「文語短歌」のつもりで詠まれたものと判断される。
 もしもそうならば、四句目の「記憶違へど」の意味は「記憶が違っているけれど」となり、一首全体の意味は「(君と共有していた)思い出は私独りのものになってしまったのであるが、記憶が違っているけれど、(私が記憶違いをしていると)言う君はもう居ない」ということになってしまうのである。
 それで果たして宜しいのかしら?
 〔返〕  きみ死ねば私一人の君になり誰も文句を言わないはずだ
      きみ死なば私一人の君になり誰も文句を言わないだろう
 選者の永田和宏氏は、「仮定条件」と「確定条件」との違いを解って選者の任に当たっておられるのでありましょうか?
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