臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の「朝日歌壇」から(11月21日掲載分・其のⅡ)

2016年12月03日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○ 薩摩なる峡の陶房ゆらゆらと壺立ち上がり柿の実熟るる (霧島市)久野茂樹

 「陶房」の背景として枝もたわわに実を付けた「柿」の木が生えている光景は、日本全国各地の陶磁器生産地で見られる光景であるだけに、「薩摩なる峡の陶房」と「柿の実熟るる」との取合せはやや平凡である。
 然しながら、足踏み式の轆轤から粘土の「壺」が生き物のようにして立ち上がる光景の描写としての「ゆらゆらと壺立ち上がり」という表現は、その場の雰囲気をよく掴まえているのでなかなか宜しいと思われます。
 [反歌] ゆらゆらと登り窯の火ゆらめいて秋たけなはの丹波立杭
 

○ 山林に自由は存れど家近き山除染せず帰還るに難しと (福島市)青木崇郎

 国木田独歩作の新体詩「山林に自由存す」は、私たち日本国民のよく知るところであるが、本作は、その詩の一部を取り込んで、被災地・福島の県民としての望郷の念を詠んだ歌である。
 然しながら、殊更に「帰還(る)」と漢字書きして、それを「かえ(る)」と読ませようとする表現には、かなりの無理がありましょう。
 何事にも限度というものがあり、特殊なフリガナに寄り掛かった短歌には「秀作・佳作・傑作」と呼べるような作品が無い、と本作の作者及び選者の永田和宏氏は知るべきである。
   山林に自由存す
   われ此の句を吟じて血のわくを覚ゆ
   嗚呼山林に自由存す
   いかなればわれ山林をみすてし
   あくがれて虚栄の途にのぼりしより
   十年の月日塵のうちに過ぎぬ
   ふりさけ見れば自由の風は
   すでに雲山千里の外にある心地す
   眦を決して天外を望めば
   をちかたの高峯の雪の朝日影
   嗚呼山林に自由存す
   われ此の句を吟じて血のわくを覚ゆ   国木田独歩作「山林に自由存す」
 [反歌] 木も土も核物質に汚染され夜の森公園花見客無し


○ 『禮記』手に五十を艾と板書する生徒らを背にしばし佇む (朝霞市)青垣 進

 「艾」の字は「よもぎ」と訓読するのであり、人間も五十歳ともなれば「髪が艾 (よもぎ) のように色あせて白くなる」ことから、「五十歳」という年齢を指して「艾」と言ったり「艾年」と言ったり「艾老」と言ったりするのである。
 ところで、廿一世紀も四半分を過ぎた現在に於いては、「五十歳」という年齢はこれからという年齢である。
 私は、七十代の半ばに達して居りますが、「昔の年齢は今の年齢の七掛け」と言いますから、私は、今まさしく「艾老」でありましょう。
 本作の作者の青垣進さんも亦、昔式の言い方で言えば、既に「艾年」に達しているので、「『禮記』手に五十を艾と板書」しながら「生徒らを背にしばし佇」んだのでありましょう。
 つらつらと思うに、人間誰しもいつまでも若く在りたいものです。
 [反歌] 『禮記』四十九篇、前漢の戴聖の著せし経書ならんか?


○ それぞれが離れた施設でニコニコと認知の母と認知の娘 (兵庫県)高垣裕子

 「認知の母」は、年齢が年齢ですから「致し方無し」としなければなりませんが、「認知の娘」とは、これは亦どうしたことでありましょうか?
 [反歌] 我の我足らざる所以を認知せざれば認知症なり


○ 唯一の被爆国なり発議して賛成すべきを「反対」と言う (名古屋市)諏訪兼位

 国連総会第1委員会〈軍縮についての委員会〉は、去る十月二十七日、「核兵器禁止条約」制定交渉開始を定めた決議案を賛成多数で採択した。
 この決議案は、核兵器の所有を国際的に非合法化することが目的で、核兵器非保有国のメキシコやオーストリアなどが主導して発議されたものであり、国際社会の法的枠組みの中で核兵器を全面的に使用禁止にすることを目指すものであり、延べ五十五カ国以上が共同提案し、年内に総会本会議で採択され、正式な決議となる見通しである。
 然るに、日頃から「核廃絶」を訴えている、我が国・日本は反対に回った。
 世界で唯一の被爆国でありながら核兵器禁止の条約案に反対するのは何故だろうか。


○ 母国語の辞典は二冊日本語の辞典は五冊我は歌詠む (大阪市)金 忠亀

 「日本語の辞典」を「五冊」も持っていれば、短歌を詠んだり読んだりする場合の基礎資料としては十分でありましょう。
 それはともかくとして、たったそれだけの事を述べただけのこの一首が、馬場あき子選の六席に選ばれたのは、如何なる理由があってのことでありましょうか?
 もしかしたら、選者の馬場あき子先生は、この一首の出来栄えはともかくとして、作者の〈金忠亀さんの気概を良し〉として選ばれたのかも知れません。
 [反歌] 日本語の辞書幾冊を所持しても詠めない者には詠めない短歌


○ 妙義嶺の麓に青き煙立つこんにゃく畑仕舞う晩秋 (安中市)鬼形輝雄

 「妙義嶺の麓」に「立つ」「青き煙」は、「こんにゃく」の製造工程と何らかの関わりがあるのでしょうか?
 それとも、畑仕舞いの為に焚いた火の色がたまたま青かっただけのことでありましょうか?
 そのいずれにしろ、「妙義嶺の麓」の「こんにゃく畑」から立ち上る「青き煙」は、ものみな枯れる「晩秋」の物悲しさを演出する小道具である。


○ 祭礼の幟にあらず黒に緋の「鹿に注意」北国の秋 (北海道)斉藤洋子

 お祭り好きの作者は、「黒に緋の『鹿に注意』」の立看板を、村の鎮守の「祭礼の幟」と見間違えたのでありましたが、やがて、それと気付き愕然としたのでありましょうか?


○ 奥利根の水源の森姥百合の種子飛び散れり鹿飛び跳ねて (熊谷市)内野 修

 「奥利根の水源の森」で、「鹿」が「飛び跳ね」たが為に、「姥百合の種子」が四方八方に「飛び散」る結果となったのである。
 「姥百合の種子」のみならず、植物一般の「種子」というものは、斯くして「飛び散」り、種族保存を為すのでありましょうか!


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