臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の「朝日歌壇」から(10月31日掲載分・其のⅢ)爆笑かつ超真面目な短歌鑑賞!作者の方々に対しては無断引用多謝!平身低頭!

2016年11月02日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]
○  地震にも噴火にも負けぬとイチゴ植う阿蘇のハウスに希望がともる  (熊本市)徳丸征子

 「地震にも噴火にも負けぬとイチゴ植う」とありますが、これが、「と」抜きの「地震にも噴火にも負けぬイチゴ植う」であったとしたならば、「熊本で苺の新品種の栽培が行われている!」と
報道がマスコミで為され、これまで九州地方の苺栽培をリードして来た佐賀県や福岡県の苺栽培農家や両県の園芸連などを恐怖のドン底に突き落とすことにもなりましょう。
 こと程左様に、本作に於ける「引用を表す格助詞〈と〉」の存在は巨大なのである。
 要するに、本作の作者・徳丸征子さんは、「地震・噴火と二度に亘る災害にも負けたくない」という固い意志の下に、「熊本VS03」という品種(その品種自体は昨年度に開発され、熊本県内での栽培が定着した)の苺を植えただけのことでありましょうし、だからと言って、その苺が「地震にも噴火にも負け」ないで成長して出荷され、私などの首都圏の人々に賞味され、栽培農家の徳丸家に莫大な富を齎すかどうかは、今のところ不確定なのでありましょう。
 しかしながら、人間が事を行う場合は、それを必ず成し遂げようとする固い意志を持って行うことが大切ですから、苺栽培の農家の主婦たる、本作の作者・徳丸征子さんは、歌詠みとしてのみならず、農家の主婦としても賞賛されるに値する人物である。


○  山よりもおおきな傘があるのなら阿蘇の町にさしかけるのに  (熊本市)星ひかり

 仮に、「山よりもおおきな傘」が存在したとしても、それを「阿蘇の町」に、如何にして「さしかける」かが問題なのである。
 某大手自動車生産会社の次世代製品開発スタップの一員である私の甥の語るところに拠ると、「自動運転自動車の開発自体は容易であり、既に商品化可能な段階まで到達しているのであるが、それを実際に路上で走行させる為には、法整備などの条件を整えることが必要であり、それと同時にそれを所有する人間のモラルの問題などもあって、これからが大変である」とか。


○  二島まず返還されてあと二島はこれからといふ者ら出はじむ  (川越市)小野長辰

 「出はじ」めた事は事実でありましょうが、あの国が、あの大統領閣下やその配下の者が、四島返還は愚か、二島だってそう簡単には返してくれるとは思われませんよ!
 仮に、山口会談の結果、歯舞・色丹の二島が返還されたとしたら、その裏側では莫大な保証金や裏金の遣り取りが行われた結果である、と思われますよ! 


○  消しゴムのかすを片付け日本語を消して借用教室を出る  (アメリカ)西岡徳江

 自前の集会室を持たない日本人仲間が、日曜日などに現地の小学校を借用して歌会などの寄り合いを持たれた事に取材しての一首でありましょう。
 だが、事の運びの順序が事実と少し違うのではありませんか?
 即ち、通常ならば、先ず第一段階として「『消しゴム』を用いて『日本語』で書かれた落書きを消す」。
 それから、第二段階として「『消しゴムのかす』を座敷箒を用いて『片付け』る」のであり、それらの段階が終了してから、「借用教室を出る」という第三段階に至るのでありましょう。
 事の序でにもう一点だけ申し上げますと、私たち日本民族の習性として、机の前に座らせられたら、その机が自前のものであろうと借用したものであろうと構わずに、その机の裏側か何処かに、あの肥後守を用いて「余は偉大なる落伍者となって. いつの日か歴史の中に蘇るであろう」 などと彫るのが常でありますから、その方面の手当も必要となりましょう。
 なにせ、他人の所有物を借用して使うのは大変気苦労の多い事ではありますからね!


○  来年の外郭をもう見せている秋の書店のシステム手帳  (男鹿市)天野美奈子

 「goo国語辞書」の記するところに拠ると、「がいかく【外郭/外廓】とは、城や建物の周囲にめぐらす囲い。そとがこい。そとぐるわ。転じて一般に、そとまわり、外側のもの」を意味する言葉であり、「官庁などの組織の外部にあって、これと連携し、その活動や事業を支援する 組織、即ち〈外郭団体〉などという言葉の一部として用いられる」とか。
 であるならば、本作での「外郭」という言葉の用い方は、通常の用い方とは言えません。
 我国に於いて、ピカイチの人口減少県である、秋田県男鹿市にお住まいの天野美奈子さん、当朝日歌壇の入選者席の順常連とも言うべき有能な歌詠みではありますが、この点を考慮すると、今回の入選作は〈凡作〉とは言えないまでも、決して、決して、佳作とは言えない作品である。


○  木犀の香の強ければ思い出す亡き弟の出棺のとき  (千葉市)愛川弘文

 一口に「木犀」と言っても、「橙黄色の花を咲かせる金木犀」と「白い花を咲かせる銀木犀」とが在るが、「木犀」は九月の中秋の頃に花を咲かせる樹木であり、その花は小さいが香りが高いところから、木犀と言えば、その樹や葉や花で以て私たちに印象付けられているのでは無くて、金田咲子の名吟に「匂はねばもう木犀を忘れたる」とあるが如く、その独特の強い香りで以て印象付けられているのである。
 この香り高い樹木と短詩型文学との関わりを説明すれば、木犀は、古来、短歌よりも俳句の題材として用いられることが多く、蕉門の高弟・服部嵐雪は、これを題材にして「木犀の昼は醒めたる香炉かな」という名吟を残している。
 次にこの高い香りを放つ樹木は、その独特な特色ゆえに「人間の死」や「闇」と結び付けられて俳句の題材とされる事が多く、次に引用する数句などはその代表例でありましょう。

 木犀の香につつまれて旅立てり  早坂静生
 忌ごもりの家木犀の匂ひけり   高木良多
 五十回忌の木犀の香に父ありき  溝内健乃
 妻あらずとおもふ木犀にほひけり 森澄雄
 木犀の香がしてひとの死ぬる際  小寺正三
 木犀や記憶を死まで追ひつめる  橋本多佳子
 金木犀の香の中の一昇天者    平井照敏
 銀木犀指切るほどの兄もゐず   塚本邦雄
 北側の木犀の闇匂ふなり     竹内悦子
 木犀の流れて闇のかぐはしき   梶浦玲良子
 木犀の香や名月は曇りけり    正岡子規

 結社誌「かりん」所属の愛川弘文さん作の傑作を鑑賞すると言いながら、俳句のことばかり言い連ねて来たのは、「木犀の香の強ければ思い出す亡き弟の出棺のとき」という本作を解釈するに当たって、「木犀の香の強ければ」、何が故に「亡き弟の出棺のとき」を「思い出す」のか、という事を説明したかったからであり、本作に於ける「木犀」という香り高い樹木は、それ以外の香り高い樹木と交換する事が出来ない、ということを文学的かつ合理的に説明したかったからでもある。


○  剣道の試合の朝は土日でもごはん味噌汁納豆で行く  (名古屋市)中村玲子

 一見すると、三句目の「土日でも」という説明句は不要有害な五音のようにも思われるのであるが、本作の作者・名古屋市にお住まいの中村玲子のお宅では、学校や勤務先などに出掛ける必要のない、土曜日や日曜日の朝食は、米飯食では無くて、トースト一枚に野菜サラダと珈琲を添えた程度の軽食なのであり、作者の中村玲子さんは、その事を強調して述べたかったから「剣道の試合の朝は土日でもごはん味噌汁納豆で行く」などと、お詠みになってしまったのでありましょう。


○  一枚目は倒されにけり二枚目は捨てられにけり「捨てるな」の看板  (宗像市)巻 桔梗

 久々の巻桔梗さんの傑作に接して、私は最近になく緊張して居りますが、「『捨てるな」の看板」の「一枚目は倒され」てしまい、「二枚目は捨てられ」てしまうという事は、この広い世間にはよく在る事であり、その点に就いては、巻桔梗さんの故郷の新潟県でも、現住地の福岡県でも何ら変わりが無い事を指摘して、本作の鑑賞を終わらせていただきます。


○  凄惆の意といふを思ひゐぬ秋薄曇る空を見上げて  (本庄市)福島光良

 「うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りしおもへば」は、『万葉集』の編纂者と推定される大伴家持の代表作であり、奈良朝に生きながら「近代的な叙情」を詠んで作品としても有名な作品であるが、その左注として記されているのが「春日遅々として〈倉庚〉正に啼く。悽惆の意、歌に非ずんば撥ひ難し。仍りて此の歌を作り、式て締緒を展ぶ。但し此の巻中、作者の名字を称はず、ただ年月所処縁起をのみ録せるは、皆大伴禰家持の裁作れる歌詞なり」という漢文調の但し書きである。
 今、その大意を述べると「春の日が遅々として暮れなずみ、鶯(雲雀とも?)が丁度鳴いている。もの悲しく打ち萎れた私の気持ちは、歌でなければ取り除けない。そこでこの歌を作って、固く凍結した心持をほぐす。それからこの巻の中で作者の名字を言わないで、ただ年月と所、作歌の事情とだけを記したのは、皆大伴宿禰家持の作った歌である」といったことでありましょう。
 従って、本作は、件の『万葉集』の四千二百九十二番歌の「左注」を典拠とした、〈本歌取り的〉な一首でありましょう。
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