臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月23日掲載・其のⅠ)

2010年09月12日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○ 倦む姪をなだめて鶴を折りはじむ薄暗き病院の待合室に  (千葉市) 愛川弘文

 本作の作者と思われる<話者>とその「姪」とは、いかなる理由で以って「薄暗き病院の待合室に」居るのだろうか?
 話者は、いかなる理由で以って「鶴を折り」はじめたのだろうか?
 「姪」は何に倦んだのだろうか?
 「姪」が「倦む」以前にも話者は「鶴」を折っていたのだろうか?
 もし折っていたとすれば、「姪」も一緒に折っていたのだろうか?
 「倦む姪をなだめ」た結果、「なだめ」られた「姪」は、話者と一緒に「鶴を折り」始めたのだろうか?
 などなど、この作品は謎だらけの作品であるが、その謎を解いて行くのが、本作の観賞と思われるので、以下、作中の表現を手掛かりにして、拙いながらもその謎を解いてみよう。
 <話者>とイコールの関係にあると思われる本作の作者・愛川弘文さんは、本日、命を賭けての数時間に及ぶ大手術を施されている実姉の付き添いとしてこの病院を訪れたのであり、手術が行われ始めた先刻からは、患者であり実姉である女性の一人娘の「姪」と一緒に「薄暗き」「待合室」に居て、手術の成功を祈り、あらかじめ用意して来た折り紙で千羽鶴を折っていたのであるが、自分たちの置かれた立場を正確には理解していない「姪」は、手術時間の長さとその間に叔父と一緒に行っていた千羽鶴を折る作業に飽きてしまい、ぐずり出したのである。
 しかし、本作の作者の愛情の籠った説得の結果、作者と一緒に「姪」もまた千羽鶴を「折り」はじめ、その甲斐もあって、作者の姉であり、「姪」の母である女性の大手術は成功裏に終わるに違いありません。
 本作について、もう一つ申せば、手術を受けている女性の夫であり、「姪」の父である男性の姿が、この一首の何処にも見当たらなく、そのことが、この一首に深い陰翳を付与していることである。
  〔返〕 孕ませし男に去られ病ひ得て今日の手術にいのち預くる   鳥羽省三


○ 熱湯をポットに二つ詰め終えぬ抗癌の朝の始まりとして  (岡山市) 小林道夫

 本作の作者・小林道夫さんは、律儀で働き者であるが故に、入院中で「抗癌」治療を施されている身の上にも関わらず、毎日、何か身体を動かすことをせずには居られないのである。
 その一方、毎日何かをすることは、癌と闘い、昨日から今日、今日から明日へと命を永らえて行く作者の楽しみの一つであり、生きて行く姿勢の表れなのでもある。
 そこで彼は、今朝も亦、「熱湯をポットに二つ詰め」て自分の病室に持って行くのである。
 「熱湯」の入った二つの「ポット」の中の一つは彼自身のもの、もう一つは、寝たきり状態になっている同室の病友のものである。
  〔返〕 昨日の朝給湯室で会ひし友今朝は顔見ぬ如何なる故か   鳥羽省三


○ 草を刈る額の汗を舐める蜂に鎌を放れず見入る炎天  (福島市) 澤 正宏

 「鎌」で「草を刈る」作者の「額」に停まって「汗を舐める蜂」が居るのだが、この暑さの中の草刈り作業中では、「鎌」を放り投げて「蜂」を追い払うことも出来ず、本作の作者・澤正宏さんは、ただ茫然と「炎天」を「見入る」ばかりなのである。
 私ごとながら、私たちは一昨日、形ばかりの引越しを済ませ、一年二ヶ月の仮住まい生活
から解放されて、川崎市多摩区の新居での生活を始めたのであるが、先程、出窓からひょいと視線を外に向けたら、寓居の隣家のご主人と思われる高年齢の男性が草引きをしているのを視てしまった。
 ところが、それから十分ぐらい後に、再び目をやったら、庭を埋め尽くしている草はほとんど引かれず、先程の男性は、既に屋内に引き揚げた後であった。
 今年の夏の猛暑の中では、全国いたる所で、こうした光景が展開されているのでありましょう。
  〔返〕 草を引く妻の柔肌刺す蚊居て我は茫然眺むるばかり   鳥羽省三


[佐佐木幸綱選]

○ 湧きたちてワカシ釣れるも江の島の沖より秋は始まりにけり  (東京都) 野上 卓

 「ワカシ」が釣れる頃になると、長い夏が終わって、秋が来るのだと言う。
 本作の作者・野上宅さんは、「江の島」の岩場で友人たちと一緒に「ワカシ」釣りを楽しんで居られたのだが、たまたま何方かの竿に「ワカシ」が掛かったので、岩場一帯から一斉に歓声が上がり、その場が「湧き」立つような雰囲気となったのであるが、その賑わいの中で、この「江の島の沖より」既に「秋」が始まっていることを感じ、思わず嘆息を洩らしたのでありましょう。
  〔返〕 ワカシ釣れ夏も終りと思へども今日も今日とて三十六度   鳥羽省三


○ 失言が売りの美容師今何処夫婦共々不器用だった  (八王子市) 朱音あや

 私はかつて、田舎者とどやされ笑われる為に、高値の寿司屋やスナックににせっせせっせと足を運んだものであるが、この世の中には、「失言が売りの美容師」夫婦が居て、彼らの「失言」を浴びせられたいが為に、その美容院に頭と足とを運んだ女性客も居たのだろうか?
 でも、その「失言が売りの美容師」夫婦は、「夫婦共々不器用だった」そうだ。
 この夫婦の「不器用」さは、生きる姿勢の「不器用」さだったのだろうか?
 それとも、「美容師」としての腕前の「不器用」さだったのだろうか?
 そのいずれにしても、彼ら夫婦が店を閉め、本作の作者に「今何処」と言わせる状態に陥ったのは、その「不器用」さと関係があるに違いない。
  〔返〕 諂いが上手い夫婦の床屋居て今もそこそこ繁盛してる   鳥羽省三
      尻軽と噂の寡婦の村床の美貌衰へ今寂れたり         々


○ 戦闘機三機呑み込み夏雲は轟音抱きて盛り上がりゆく  (浜松市) 桜井雅子

 「戦闘機三機呑み込み」が宜しい。
 巨大な「夏雲」を前にしては、さすがの「戦闘機」も、まさに呑み込まれんばかりなのである。
 「戦闘機」を「三機」も「呑み」込んで膨張した「夏雲」を、「轟音抱きて盛り上がりゆく」としたのも宜しい。
 気圧の関係で、見る前に膨張してしまった「夏雲」は、まさに「轟音抱きて盛り上がりゆく」としたのも、観察の行き届いた表現である。
  〔返〕 戦闘機三機呑み込み夏雲はむくりむくりと身体太らす   鳥羽省三