旅の途中。~乳がん編~

H17年34歳で体験した乳がんの記録。

退院後の日々。

2007年07月24日 | Weblog
これからはもう絶対に無理はしない。
固くそう決意した私は、退院後、かけもちしていた仕事のひとつ、フェイスエステの仕事をついに辞めました。
このうえない開放感を感じました。
本当はずっと前から辞めたいと思っていたのです。

電話オペレーターの仕事は、予定を少し早めて、退院4日後に復帰しました。
「3月からって言ってなかったっけ?もっとゆっくり休んでいいんだよ」
と、ありがたい言葉をいただいたのですが、先生にはすぐに復帰しても大丈夫だと言われたし、仕事しながら放射線治療を受けてる人だってたくさんいるのです。
もう充分すぎるくらいゆっくりしたし、これ以上ゆっくりしたら脳みそが腐って社会復帰できなくなってしまうかも…そんな不安がありました。

勤務時間が13時半から21時半だったので、入院中21時就寝だった私が(その時間には寝てませんでしたが…^^;)、その時間帯にきちんと仕事が出来るかどうかちょっと心配でした。
それに約2ヶ月も休んだので、仕事を覚えているかどうか心配でした。
そんな不安だらけの状態で出勤した復帰1日目。
「あ~!お帰り~!!」
「待ってたよ~!」
と、みんな私の顔を見るなり笑顔で迎えてくれて、不安な気持ちが吹き飛びました。
嬉しいような照れくさいような…。
みんなの笑顔が胸にしみました。
こんなにあったかい人たちに囲まれて仕事してたんだ。
そう思うと胸が熱くなり、「ここで頑張ろう」、そう心に誓いました。

最初の5日間は勤務時間を短くしてもらい、それ以降は通常の時間に戻しました。
ずっと座ったままで電話を受ける仕事なので、体力的には楽なハズなのですが、通常勤務の一日目はへろへろに疲れ果て、次の日仕事に行く事ができませんでした。
予想以上の体力の低下に戸惑いました。
無理をしないように、少しずつ体を慣らしてゆきました。
会社の人たちも家族も、そんな私を温かく見守ってくれました。

入院中は看護師さんや同じ病気の患者さんたちがそばにいて、何かあってもすぐに対処してくれたり、相談したりできたのですが、これからはそうはいきません。
ある意味ぬくぬくと保護されていた状態から、無情(?)な社会へ飛び立たなければならないのです。
疑問に思うことが出てきたり不安になった時、どうすればいいんだろう…。
私は他の患者さんたちと連絡先を交換し合っていなかったことを後悔しました。
そして、乳がん患者と医療従事者が参加しているメーリングリストに登録しました。
不安な気持ちや悩みを吐き出し、共有し、分かち合う場が欲しかったのです。
そのメーリングリストで、過酷な状態で頑張っている人たちのことを知り、私のような早期のモノが乳がん患者を語ってもいいものだろうか?発言してもいいのだろうか?と少し複雑な気持ちになりました。

仕事も通常の勤務時間をきちんとこなせるようになった頃、なぜか私は急に情緒不安定に陥りました。
『経過観察中』という宙ぶらりんの状態に、強いジレンマを感じていました。
「もう治ったの?」
そう聞かれると、なんて答えればいいのか分かりませんでした。
治療は一通り終わりました。
定期的にクリニックを受診し、半年ごとにCTの検査を受けなければなりませんが、それは転移・再発がないことを確認するため。
ということは、私はもう治ったということだろうか。
今はもう健康なのだろうか…。
主治医からは乳がんの場合、10年間転移再発がなければ完治とみなされると言われています。
じゃあ今の私は一体何なの??
考えれば考えるほど訳がわからなくなり、母に「あんた更年期なんじゃないの?」なんて言われる位、感情の浮き沈みが激しい状態でした。

そして、同病の元アナウンサーの訃報が追い討ちをかけました。
追悼番組を見て、激しく動揺してしまいました。
“乳がんって怖い”
それは私が告知を受けてから始めて感じた恐怖でした。
その時、乳がんの恐ろしさに気づかされたのです。

大丈夫。
先生が転移の可能性は非常に少ないって言ってるんだから。
大丈夫。
10年生存率は94%なんだから。
早期で見つかってラッキー。
タチのいいがんでラッキー。
いつも自分でそう言ってるじゃないの。
大丈夫…。

どんなに自分で自分をなだめても、心の震えは治まってくれませんでした。

予後がいいっていったって、転移・再発が100%ないとは言われてない。
いつか転移するかもしれない。
どうしよう。
怖い、怖い…。

94%の残りのたった6%が、とてつもない数字に思えました。
やっぱり抗がん剤治療を受けるべきだったんじゃないだろうか…。
色々な思いが頭を駆け巡りました。

ちなみに、なぜこんなに転移を恐れるのか念のために書かせていただきますが、がんが転移した場合、また手術で取ればいいといった単純な話ではありません。
実は私もそう考えていましたが…。
転移してしまうと、根治は難しいと言われています。
なので、治療も完治を目指すのではなく、症状の緩和によるQOLの向上と延命が目的となります。
つまり、“転移=余命○年”。
私はそうとらえています。
だから怖いのです。

どうすればいいんだろう。
どうすればこの不安から解放されるんだろう…。

私は不安スパイラルの中でもがき続けました。

ところが。。。
ある時急に吹っ切れました。

残り時間が限られているのはみんな一緒。
その時間をどう生きるかが大事。

病気のことばかり考えていると、どんどん落ち込んでしまう。
だから、楽しい事をたくさん考えよう。
楽しい事をたくさんしよう。

なぜか突然そう思えるようになったのです。
一度とことん落ち込まないと、そう思えないものなのかもしれません。(笑)

2ヶ月ごとに受診する乳腺クリニックの検診結果は常に異常なし。
時々偶然顔見知りの患者さんとはちあうことがあり、お互いの近況などをおしゃべりするのが楽しみでした。

3月と6月に放射線科の外来を受診。
日焼けのように黒く汚らしくなっていた皮膚も、6月にはほぼ元に戻っていました。
「後は乳腺クリニックにお任せします」
先生にそう言われ、嬉しくなった私は思わず満面の笑顔で
「もうお世話になることがありませんように」
と…。^^;
そんな憎らしい発言に、先生は「そりゃあそうだ」と苦笑しました。

その頃になると、病気のことを考えない日のほうが多くなりました。
夜友達と飲みにでかけたり、旅行に行ったり、温泉にも行きました。
私の場合、幸いしこりが小さかったうえに、主治医が綺麗に手術してくれたので、ぱっと見全然分からないと思うのですが、やはり術後しばらくは温泉に行っても人目が気になって、あまりゆっくりできませんでした。
傷痕が見えないように、透明なお湯の温泉は避けていました。
脱衣所でも、傷が見えないようにコソコソ着替え、洗い場では肩からタオルをかけて、傷痕を隠して体を洗ってました。
今思うとかえって怪しいですよね。(^^ゞ
でもそうやって必死で隠していた時のほうが、逆に動作が不自然で人目を引いていたような気がします。

母と妹と日帰り温泉に行った時、片方胸がない人に母が気づいたのですが、私も妹も全く気づきませんでした。
その方は隠さず堂々としていたそうです。
温泉で人の体を気にして見ている人なんて、いないですよね。
今は大好きな温泉や岩盤浴を満喫してます。^^

術後8ヶ月目の6月、それまで大きく体調を崩す事のなかった私は、突然体調不良に襲われました。
なんとなく首の付け根あたりに違和感を感じ、寝違えかな?と思っているうちに、ほとんど首を動かせなくなってしまいました。
首から背中にかけてぱんぱんに張り、ほんの少し首を上下左右に動かすだけで激痛が走りました。
その時、真っ先に頭に浮かんだのが骨転移でした。
私は慌ててインターネットで骨転移について調べました。
恐怖にとりつかれ、私ってなんて想像力が豊かなんでしょうって思うくらい、悪い妄想はどんどん膨らみました。

整形外科を受診するか、それともまずは主治医に相談したほうがいいのか悩んだ結果、予約していた日よりも1週間早くクリニックを受診しました。
不安でいっぱいだった私は、主治医の顔を見た瞬間、なんだかほっとしてあやうく涙がでそうになりました。
先生に首の痛みを訴え、
「骨に転移したんじゃないかって思うんです」
今にも泣き出しそうな声でそう言った私に、先生は、
「多分大丈夫(転移ではない)だと思いますよ」
と言いながら、紹介状を書いてくれました。
その足で整形外科を受診した結果、腰で言うところのぎっくり腰と診断され、胸をなでおろしました。
本当にビビリました。(^^ゞ

処方された薬を飲んでも痛みは治まらず、痛み止めの注射も効きませんでした。
藁にもすがる思いで治療院に行き、電気を流したり、生まれて初めて針治療も受けました。
それでも2週間以上痛みが続き、ようやく良くなってきたと思ったら、今度は左耳が突発性難聴になってしまいました。
電話オペレーターの仕事柄、ヘッドセットは必需品。
でも医者から禁止され、1週間仕事を休みました。
5日間毎日点滴に通い、薬の副作用で全身がぱんぱんにむくみました。
先生には聴力が戻らない人もいると脅され(?)ましたが、無事戻りました。

整形外科でも耳鼻科でも、同じ事を聞かれました。
「最近強いストレスを感じたり、疲れを感じる事はありませんか?」

正直、なんでもかんでもストレスのせいにするな!!って思いました。
でも実際、ストレスのせいなんですよね。

そして、ストレスに弱い自分の体を恨みました。
こんな体イヤだ!!
そう思いました。
そして、はっとしました。

私、また自分をいじめて責めている―。

ストレスに弱かろうが、こんな体だろうが、命が終わるその日まで、私はこの体で生きていかねばならないのに。。。

2ヵ月ごとの検査で異常がないのをいいことに、私は体ががんになる前の状態に戻ったものと勘違いしていたのです。
考えてみたら術後まだ1年も経っていないというのに…。
私は自分の体を思いやることを怠っていたことに気づき、反省しました。
神経質になりすぎるのもどうかと思うけど、きちんとからだの声に耳を傾けていこうと改めて思いました。

これからも体調が悪くなるたびにビクビクすることになるのでしょうが、そんな不安も受け止めながら…。