虹の架け橋  a rainbow bridge

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いま憲法25条“生存権”を考える

2009-05-04 | 社会
5月3日(日)夜10時からNHK教育テレビのETV特集「いま憲法25条“生存権”を考える」を見た。
昨年来の世界金融危機で、「派遣切り」により失職する労働者は15万人を超えると予想される中、職や住む場所を失い、生存そのものの危機に直面する人が続出している。62回目の憲法記念日を迎えて、“生存権”を規定した憲法25条が取り上げられた。
「第25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
番組では昨年末「年越し派遣村」村長にもなった湯浅誠さん(40)と、経済評論家として90年代から派遣労働などへの規制緩和に警鐘を鳴らし続けてきた内橋克人さん(76)のお二人が対談した。
生存権に関る訴訟として、1957年の朝日訴訟(通称:念のため判決)がある。訴訟そのものは原告(朝日茂さん)が上告審の途中で亡くなったため最高裁は「訴訟は終了した」との判決を下し、さらに「なお念のため」として生活保護については厚生大臣をはじめとする行政府の裁量に任されていることを意見として付け加えている(生活保護法第8条では厚生大臣が生活保護の基準を定めることが規定されている)。1960年以降は高度経済成長の中で、一度は国内から貧困が消えたようにも思えた。しかし、オイルショック以降になると財政基盤が弱まるにつれて社会保障は抑制へと転換。生活保護は適正実施の名の下に審査が厳しさを増した。2001年小泉首相が誕生すると構造改革路線の中で見直された社会保障費は削減され「自助と自立へ」と舵が切られ2003年には生活保護基準の切り下げ。2004年製造業の派遣法成立、そして2008年に金融危機が起こり、現在はちょうど朝日訴訟が起こった50年前のように社会に貧困者が溢れている。
生存権はなぜ形骸化してしまったのか。そもそも生活保障制度が財政状況で左右されるという解釈に問題がある。生存権の先駆けとなったワイマール憲法では、人間の尊厳の原理が最高とみなされ、財政状況に関らず保障される権利と考えられている。国家がその義務を果たさなければ国民の権利は実現されない。
日本では1990年代まで企業一元支配社会の中にあって、企業内福祉によって人々は支えられていたが、本来あるべき社会保障制度を並行して走らせることが出来ていなかった。90年以降企業はグローバル化の中で己の飛行機をより早く飛ばすため、錘になっているかに見えるエンジンを機体からはずしてしまった。企業内福祉を放棄してしまったのである。そして国が果たすべき社会保障制度が整備されていないために、人々はいつでも「貧困」に陥る可能性のある「滑り台社会」となってしまった。
かつて貧困者は怠惰であり罪であるという貧困を個人の責任とする考え方から、20世紀に入り貧困を社会の歪として捉える考えに変わってきている。しかし未だに貧困を個人の責任と見る考えが残っている。
内橋さんは「共生経済」を提唱される。生存に関る食糧(Foods)、エネルギー(Energy)、ケア(Care)の3つFEC自給権(圏)を共同・連帯・参加で実現する共生セクターを立ち上げることから社会保障を実現させたいと考えている。また、湯浅誠さんは90年以降の新自由主義の過ちの一つは人間の生存コストを計算に入れなかったことを指摘し、社会保障が備わった社会を用意するために市民の思いを結集するためのactivist(活動家)つくりを始めておられる。今こそ“生存権”をめぐって、日本の国があるべき福祉国家に向けてスタートする機が熟したと言える。


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