ベトナム文学、少し大学でやってみては? 01

Étudier sur la littérature vietnamienne : n'est-ce pas ce qu'il faut pour nous, pour nos aînés de la génération Dankaï et pour nos jeunes ?
 How about trying to know even a little about Vietnamese literature ?


今の時にふさわしいかどうか自分でもよくわからないのですが、日本とベトナムに関するわたしの思うことを、我田引水みたいな感じになってしまうかもしれないのでいやですが、書いてみたいと思いました。

 (最近ブログがあんまり書けないのは、わたしの心の中にあることが、あんまり外に出すには不穏当なことになってるからかなあ、と思うのですが、単に時間がないということもあります。
 だからタイトルに「01」とつけておきます。これは書きかけです、まだ思索・議論を尽くしてはいません、作りかけです、という意味と解していただければ幸いです。それでも、許してもらえないときは許してもらえないでしょうけど)




 わたしの上の世代の方々、団塊の世代の方々はいろんなことをされました。ある意味、あとの世代はその影響下でしか生きられないところがあります。

 団塊の方々の関心事の中には「ベトナム戦争」があったと思います。それについて詳しいことはわたくしから述べることもないと思います。

 わたしにとって引っかかるのは、政治的大嵐の時代が終わってわれわれの「大航海時代」、海外旅行の時代の始まり以後になってしまうと、ベトナムのことを皆が忘れてしまったかのようだ、ということです。

 今はベトナムが経済的に注目される国として、日本で働く人の送り出し国として、その他の理由でもって、また注目を浴びていることは周知のとおりです。
 最近、天皇皇后両陛下も訪問されました。

 でも日本の知的営みがベトナムのひとの心にアクセスする気を欠いているように見える、ということは変わらないわけです。

 さて、大学の「文学概論」担当者としては、文学というのはひとの心へのかなり特権的なアクセス手段というふうに見えます。

 だからこういう状況は気になります。
 これはあまりに状況としてばかばかしい。なぜか、日本人が不必要に愚かで無情な存在にさせられている感をもちます。

 周知のとおりベトナムはフランスに植民地化された歴史をもっていて、近代化ということがフランスと深いかかわりをもった国でもあります。
 フランスとの関わりということからベトナム文学史を大学で教えてみる、学んでみることには確実に意義がある、かなり前にそう思いました。

 それで、実は数年前から、大学院授業ですが、ベトナム文学史の授業をたてていました。
 これまで受講生がひとりもいなかったのですが、幸い今期ひとり、かなり無理っぽくではありますが、受講してもらいました。
 フランス語で書かれた浩瀚なベトナム文学史の本を、近代文学のところから読んでみる、という授業内容です。英語による文献ももちろん合わせます。
 わたくし自身ベトナム文学についてはほとんど何も知りません。それでは教え手として失格ではないか、という考え方もありますが、現時点の日本では、こういうのは「あり」だし、またなくてはならない、と思います。
 こういうことができるために、フランス語は習えるようにしておかないといけないと思います。
 また「アクティブラーニング」なんて、こういう状況の認識から発想すべきことでもあるようにも思います。

 「文科系のやるべきことがわからないなんて、誰が言った?」Who said that Bunkakei is worthless ? Qui a dit que le bunkakei ne sert a rien de rien ?

 文科省、国大協の方々、どうでしょうか。こういうのは文系の学問のひとつの存在意義を指し示していると思うのですが。
 文科系の問題は、やるべきことがあまりにも膨大にありすぎて、しかもまだほとんど手がついていないところがあるということです。そして、案外日本でそのことが先鋭的に見えるのだろうと思います。

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