フランス語を英語で教える理由(その1)


このエントリーから続きます)

 英語でフランス語を教える、学ぶというのをやってみる理由ですが・・・
 まず、たぶんその方が日本語で教えるのよりフランス語が「自然に」導入できるだろう、学べるだろうということ。
 それから、学ぶのはフランス語ですが間違いなく同時に、必然的に英語を学ぶことになる、それも非常に有効なやり方で学ぶことになる、ということ。

 英語=フランス語間の「距離」は、日本語=フランス語間の「距離」よりはるかに近いのは言うまでもないことだと思います。
 まず構文的な親近性に着目すると・・・
 英語を媒介言語に使うと、フランス語のかなりの学習事項が英語からの「転移」transfer(日本語ネイティブにとって英語を第二言語とするとフランス語は第三言語になりますから、この術語の使い方がほんとうに適切かどうかちょっと自信がないのですが)で受け入れられ、とくにとりたてて意識的に、日本語の術語、構文を駆使しながら「教え」なくても、他の「こと」を教えている最中に「自然に」「訓練」することになると思うのです。

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大統領!


 オランドさんおめでとさん。

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2012年5月5日に詠める


 金色の
 スーパームーン 日本
 原発全停止
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カンヌ新潟版


 みなさま連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。

 連休の印象からひとつだけ。

 新潟県のスーパー、Lion d'orさん。リオンドールさん。

 眺めていると地元の人(わたしの身内です)が、「あれはもと『ライオン堂』と言ってました」と言うんですね。

 ライオン堂が、Lion d'orですか。これはまた一気に超おしゃれにしはりましたなー。

 ネット検索してみると、福島県は会津若松市の会社ですね。


 
 
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フランス語を英語で教えます


 今年後期から、フランス語を英語で教えるクラスをやってみます。
 
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バス事故


 このたびの関越道大事故を起こしたバスは金沢発でしたから、金沢大学生が巻き込まれていないか心配していました。
 そういうことを学生さんへのメールに書いていたら「(犠牲者は)金大生でなくてもかわいそうです」という答えがかえってきました。本当にそのとおりです。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
 負傷した方々の速やかなご回復をお祈りします。

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さて今回は


 昔の紙を捨てていたら、こんなのがでてきました。

 ご覧の通り、1981年4月27日付 France Soir はフランス大統領選第一回投票でジスカールデスタン優勢と報じてます。結局このとき勝ったのはミッテランでした。

 31年前! 現在、ミッテランはもう亡くなってますがジスカールデスタンは存命ですね。
 そしてわたしも、なぜか、生きている。


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プラテーロ


 ・・・わたしはヒメーネスの『プラテーロ』に弱いのです。

 カステルヌオヴォ=テデスコのギター曲の『プラテーロ』も絶品だと思います(この『プラテーロとわたし』Platero y yoという作品はどうも音楽家を刺激するようで、他にもエドゥアルド・サインス=デ=ラ=マサとか、ええとお名前を失念しましたが日本のギターの人とかが曲をつけてます)。
 ロバのプラテーロがのそーっと野原の向こうから現れるような第一曲 Platero、燕が乱舞する Las Golondrinas ―なんて美しい響きの言葉だろう―とか、心に残る曲がいくつもありますね。
 手元にはセゴビアの独奏が5曲ありますがこれはLPレコードなので、今のわたしの環境では音を出して聞くのが面倒。CDは福田進一さん(村治香織さんのお師匠さんで、前にも述べた通り関西大学出身の三大偉人のひとり)のギター、江守徹の朗読というのを持ってます↑。これもいいなあ。
 ネット検索したらいまは福田さんのソロ演奏版が出てるんですね。知りませんでした。

 でも『プラテーロ』に関しては、ヒメーネスの言葉の力がすごい。

 ・・・授業でこれを語っていると、声がおかしくなっていたと思います。
 学生さんたちは変に思っただろうな・・・

 いちばん力のあるところは授業では扱いません。扱うべきではない。
 文学は、教壇の上から受け取るものではないです。
 文学の受け取り方は、かなり難しいです。
 でも・・・適切な作品を、適切な時に、適切な形でツボにはまるように受ければ、これほど強力なものはないはずです。音楽とはまた違った形で・・・

 ・・・文学が表向き力をなくしているとしたら、それは「教育」の場で文学と文学研究が過去の「澱」のようなものをたくさん身にくっつけてしまったせいではないだろうか。
 われわれは文学をどうしてしまったのだろう。

 ヒメーネスは『プラテーロ』以外にもたくさん詩を書いたひとですが、残念ながらそういう業績は日本ではたぶんほとんどの人が知らない。わたしも知らない。
 それでもとにかく『プラテーロ』があるからヒメーネスは、ルベン・ダリーオより多くの人に知られているでしょう。

[追記] 上記のCDは、濱田滋郎さんの訳がいいですね。江守さんの朗読もすばらしい。でも廃盤ですか。はあ・・・ 2012.4.29.
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アンダルシア


 ふう。ほんと懸命に仕事しました。気がついたらブログもほとんど書いてませんでした。
 国際学専攻の大学院も今年からスタートだし、グローバル人材育成推進事業というのもあるし・・・

 でも学校関係でなによりもつよい印象を受けたことは、まだ正確な数はわかりませんが、どうも今年の一年生のフランス語履修生では、国際学類の学生さんの数が人文学類の学生さんの数を上回ったらしいということです。
 つまりこれは、文学や思想、歴史研究のためにフランス語を学ぶ人より、国際的場での有用性を念頭に置いて学ぶ人の方が多くなった、ということのように思います。
 上の方のクラスでは、科目の組み方のせいでもありますが、わたしのクラスは圧倒的に国際の学生さんが多いです。

 その意義についてはまたゆっくり、詳細に考えたいと思います。率直に言って、これがフランス語教育の現実だと思います。

 でも、今日はむしろ、文学の方に頭を向けてみたいです。

 ・・・というのは、去年からスペイン語文学とフランス語文学の影響関係、という変な授業をやっていて(去年は受講生ひとりでしたが、今年は6人になってる!)、昨日Juan Ramon Jimenezが出てきたからです。

 昨日、今日はいい天気でした。金沢では稀にみる、と言いたくなるような。
 花粉の季節もそろそろ終わり、空気は暖かく、空は青い。
 わたしはこれだけで十分満足なんですけど、ヒメーネスのことが思われて、この青空がまるで遠いアンダルシアの空のように思えてならないのです・・・


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健在さくら


 先週の週末に咲き誇っていた金沢の桜も、今週末はどんどん散っていきます。

 金沢大学角間キャンパスは山の方にあるので、平均気温もいつも少し低いのですが、そのせいかまだ花が多く残っているようです。

 向かう道の途中、白っぽい花のと赤っぽい花がまじって咲いているところがあります。
 うーんいいなあ。
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