想風亭日記new

星空がきれいな人里離れた森、風の谷で古代に憧れ旧事(フルゴト)をめくる日々、黒ラブは永遠のアイドル、今は犬神様になったよ

あか牛ステーキ弁当と憲法記念日感慨

2017-05-03 17:20:15 | Weblog
デパ地下を歩いていたらくまモンの幟を
発見。どこにでも出没するので驚かないが。

す通りしなかった理由は、そのそばに小さく
阿蘇あか牛の文字があったからであります。
どれどれと見に行く。
と、昼飯どきなのに空いている。

GWの谷間の平日だから都心は心なしか静か、
デパ地下もふだんより空いている。


聞けば生産者が阿蘇から来たというので、
肉食しないけど、ひとつ買った。
その場で焼いて白いご飯の上に丁寧に
並べていた。
ステーキの列と細切れの列、お新香の
たかな漬けその他二種類の付け合わせ。

ちなみに食べた人の感想は、
「ご飯がめっちゃうまかったす」
でありました。
肉の感想、言えよ! と言うと
うまいっす、そりゃあそうですよ、と。

そうだなあ、と思う。
ご飯が美味しい。それはよく知っている。
東北大震災の後から、阿蘇の友人が
毎年暮れには玄米を送ってくれているからだ。

その友は、去年の熊本地震で甚大な
被害を受けた。田んぼも自宅も。

しかし今年正月が明けるといつも通り
新米が届いた。

お礼の電話をすると、自宅建て替えの
ために借入ができるどうか、心配だと
いう話になった。
金ならあるぜよ、と言いたいと切に
思った。

何があっても立ち止まるわけには
いかない、だから起き上がり、働き、
一日一日をどうにか勤めている。
そのような人がいる。
そのような人がたくさんいる。
ほんとうは、そのような小さな暮らし
を守っている人々が国の主なのである。

小さな暮らしが根本だと知る人は
少なくなった。
無名は亡き者とばかりに置き捨て、
忘れられてしまう。
そのような国になったのはいつからか…

そうであっても、省みて、正して
根本から離れては生きていけないと
言い聞かせる大人がいたはずだが
それもいなくなった。

憲法記念日の今日、朝日新聞には
1946年2月22日に幣原喜重郎首相と
天皇が面談した際、GHQの草案に対し
「これでいいじゃないか」と発言された
ことが、憲法学者の故宮沢俊義・東大
教授のノートに記されていたと報じた。

象徴天皇は押しつけだとしている改憲
推進派は、これにどう反応するのだろう。
わたしはさもありなんとしか思わない。
なぜならば、奈良時代大化の改新以前も
以降も明治維新前までの長きにわたり、
天皇は国の姿を示すための手本であり、
美しき象徴であるがために存在した。
権力や権威のためではないのである。

権力や威力よりむしろ、和を以て
国を治めよというのが天皇の心であり
務めである。それが古来日本の道で
あった。

無知無教養のやからが、にわか造りで
こしらえた政府は、他国を侵略して
富を奪うという、恥ずべき国策を
中心に置いた。それが明治憲法である。

昭和天皇は、国破れて山河ありの地平
に立たれて、ようやく天皇たる本意を
遂げることができた。
それが象徴としての天皇である。
しかし同時にその犠牲はあまりにも
大きかった。
今上天皇に引き継がれた慰霊の旅は
力なき人々と天皇が直接会うための
行いである。政治家の利権がそこに
立ち入ることはできない。

日本国憲法は現在、すでに違憲行為が
まかり通り、無効化している状態だ。

先の大戦は軍部の暴走によって拡大した。
政府が一部権力者に私物化されること
がないように憲法は定められている。

天皇が現行憲法を大切にされる理由の
一つは基本的人権はさることながら
憲法遵守の義務を公務員が負うている
ことだろう。

北朝鮮の脅威をあおり、地下鉄を止め
安保法によって米軍と共に自衛隊を派兵
する。これらはすべて違憲である。
日本の人々は、何年も賃金は上がらず
行楽気分に浮かれる人も減っただろうが
せめて、今日くらいは日本国憲法を
声に出して読んでみてはどうだろうか。

昨年12月刊行された「古代憲法」
末尾に日本国憲法を併録している。
奈良時代以前のわが国初の憲法と、
現在の日本国憲法との間にあるのが
明治憲法である。
明治憲法は載っていないが比べれば
その異常と偏りのひどさが際立つ。

万世一系や、天孫という言葉と
天皇を結びつけた皇国史観を嫌う
人は、この古代憲法にも読まずに
嫌う向きがあるようだ。
だが、万世一系や現人神という
表現は明治以降のものでしかなく
元々のものではない。

古代憲法の作者は聖徳太子である。
日本の歴史上、未だ、この聖人と
呼ぶべき偉人以上の人は政治上に
現れていない。
私情はさておき、まずここに学ぶ
ことに、益はあっても害はない。

政家憲法第十三条
(前略)顧みるところは黎民の苦
にありて我が身に在らず。
公を実(みた)し、私を虚にして
其の果を考えざれ。

国の民が苦しまないように配慮は
しても自らの保身のためではない。
公に専念し、私を捨て、我が身の
栄達を望むことなく務めなければ
ならない。

この逆の事がずずずずずっと国会
審議を遅滞させる原因になって
いる。現行憲法にも古代憲法にも
逆らっているのが今の閣僚たちで
ありますよ。

 











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