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追分の立原道造
その村には ゆふすげといふ黄いろな花が落葉松の林のなかに 三時すぎると明るく ともつた 僕はそれを折つて歸るのであった 或るときは あくる日の手紙の押花に 或るときは… 追分村・八月の歌 立原道造 より
深澤紅子の 道造の「ゆうすげ」を さがして歩く。 道にも林の奥にもいくらでも咲いていた。 ゆうすげは黄色、 よく似た野萱草 ・ 藪萱草ヤブカンゾウもたくさんあった(黄みがかったオレンジ色)。 万葉では 忘れ草で登場する。
忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜シコの醜草シコグサなほ恋ひにけり
巻12・3062 恋の苦しみを忘れるという、忘れ草を垣にあふれるほどびっしりと植えたけれど、なんという、ダメのダメ草なんだ。効きめなんかありはしない。
やっぱり、恋いこがれつづけているじゃないか。 万葉集花語り 清川 妙著 小学館より
訳とともに忘れられない。 ユーモアたっぷりにぼやいている。
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軽井沢の駅を出ると、ヘブンリーブルーの朝顔が迎えた。 落葉松の林をぬけて… 雲場の水にも、おなじあわい藍とみどりの翳が涼しい。 鴨やオシドリが近づいてくる。 |
せわしない黄セキレイ。 堰のあたりを昇り降り。 間近で初めてみた。 尾羽を忙しく振って三好達治の詩を思う。 |
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女郎花のそよぎ、 黄色な群れが郷愁をさそう。 むかし見た風景だ。 |
からまつの林を出でて、からまつの林に入りぬ。からまつの林に入りて、また細く道はつづけり。 白秋はこの詩の注に次のように記している。 |
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雷が遠のいて、 浅間もすこしだけ微笑んだ。
雨あがりのしづかな風がそよいでゐた あのとき / 叢は露の雫にまだ濡れて 蜘蛛の念珠オジュズも光つてゐた… (一部抜粋) 田んぼ道で、 熱いみそ汁をいただく。 ここまでお湯を背負っていらした皆様、 ありがとうございます。 しなの鉄道、追分駅に”あたらさん”編集室がある、あいにく閉じていた。 |
泉洞寺(歯痛の石仏)、 郷土館で聴いた追分節、堀辰雄文学記念館では
特別企画展 堀辰雄と旧軽井沢 ~避暑地・K村・夏の日々~ 12月26日(火)まで。 書簡やエッセイ ノート 原稿 作家たちとの交流を見た。
きのうのたいせつな思い出を ここにしまっておく。
まさに「絵葉書みたい」な見事な瞬間ですね。
白秋の”からまつの林”もまだ健在のようで安心しました。
小諸からの浅間の眺めとはまた違って、三筋ではない煙が、もくもくと湧く雲と分かちがたいのもいいですね。
追体験をさせていただきました。ありがとうございました
折角のラグタイムさんのブログを、じっくりと味わえない…。
ごめんなさい。
役者が良かったですね。間近にみるアオサギ、気品がありました。 羽づくろいのあとも逃げないで 泰然としたふるまいに圧倒されます。
日本画家が、サギも鶴も庭で飼育しながら描くことなど話題にしました。 落葉松は 少なくなっているようです。 探して歩きました。 心がふるえ、写真まで顫えました。
やっぱりいい!
白秋の“からまつ”も耳に馴染んでいるのですが、道造の感覚にはっとさせられる。雫に濡れている“蜘蛛の念珠”だなんて…はっきりと脳裏に浮かぶ凄さです。
その切り取りをなさるラグタイムさんに思わず共振・共鳴していると、錯覚かもしれないのだけれど、頷いています。
どうもありがとうございました。