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ヒーローたちの肖像〜空母「ミッドウェイ」博物館

2017-10-19 | 軍艦

「ミッドウェイ」のヘリコプター歴史コーナーに、メダルオブオナー、
名誉勲章を受賞した二人の海軍軍人が紹介されていました。

彼らの写真の下にそれぞれの乗機の写真があることでもおわかりのように、
彼らは名誉勲章をもらったヘリコプター操縦士です。

それぞれの写真の横には、彼らに授与された感状のコピーがあり、
その功績が記されています。

ジョン・ケルビン・ケルシュ中尉は、名誉勲章を授与された史上初めての
ヘリコプターパイロットです。

ヘリ部隊 HU-1のパイロットとして USS「プリンストン」乗組になったケルシュ中尉は、
元山で墜落した飛行機の搭乗員を海上から救助する任務に就いていました。

1951年、元山の偵察任務中撃墜されたコルセアのパイロット、ウィルキンズ大尉ら
乗組員3名を救助するために武装を持たないヘリで現地に向かったケルシュ中尉は、
霧の中単独山地に降り、まず捜索を開始。

程なく彼らを見つけ、負傷者をロープで引き上げている間に敵の放火をあび、
乗って来たヘリは墜落してしまいました。
9日間山中を逃げた末敵の捕虜になった彼らは虐待され、尋問されましたが、
ケルシュ中尉は拷問にあってもこちらの情報を自白せず、他の捕虜をかばいました。

その強さ、誇り高い様子は他の捕虜たちに強い艦名と勇気を与えましたが、
捕虜になって3ヶ月後、ケルシュ中尉は栄養失調と赤痢のため亡くなりました。

クライド・エヴァン・ラッセン中尉が功績を挙げたのは
ベトナム戦争中のことです。

1968年、撃墜された USS「アメリカ」の艦載機F-4Jのパイロットを
救出するためUSS「プレブル」から「シースプライト」で向かったラッセン大尉は
鬱蒼としたジャングル、敵の対空砲火の中、捜索のために
機体を極限まで低空飛行させ、無事パイロットを揚収することに成功しました。

ギリギリまで捜索を続けたため、帰還したときに彼のヘリには
燃料があと5分しか残っていなかったと言います。

ラッセン中尉はベトナム戦争で名誉勲章を受けた最初の海軍航空士官となり、
ペンサコーラ基地の司令官まで昇進しましたが、がんのため引退し、
その2年後、わずか52歳の若さで亡くなりました。

彼の名前はUSS「ラッセン」に残されました。
「ラッセン」は第7艦隊に配備中、横須賀でその姿を我々に見せてくれ、
2015年の海上自衛隊観艦式には外国海軍部隊として観閲を受けました。

2016年1月「ラッセン」はUSS「バリー」と配備を交代し横須賀を去りました。

 

通路には甲板の上で仕事をする人たちのパネル人形が立っていたりします。
白のジャケットですので、彼の仕事はエアウイングの品質管理要員、飛行機検査員、
安全管理などですが、最もよく知られている白いシャツの着用者は

着陸信号役員(LSO)です。

何かイヤーカバーのようなものを持っているので彼もLSOかもしれません。
LSOは「Landing Signal Man Officer」のことで、フライト・デッキ左舷後方にある
LSOプラットフォームに立ち、着艦するためアプローチしてくる艦載機の
高度・スピードなどをパイロットに無線で指示する係。
パイロットでないとできない仕事とみなされていて、
それぞれの艦載機部隊から順番に任務を行うのです。

LSOはフライトデッキで唯一ヘルメットを着用しない係なのですが、
彼はせめて帽子はかぶった方がいいと思います。

 

また、白シャツはすべての郵便物、貨物および乗客の取り扱いと運搬をする係、
また航空機および医療従事者に液体酸素を供給する乗組員であったりします。

 

ここまで見終わると、またハンガーデッキに戻って来ます。
2機の大東亜戦争時の戦闘機を見てから、その向こうの
「ミッドウェイ海戦」コーナーに入り、一つ上の階から出て来たことになります。

再びハンガーデッキの展示を見ていきましょう。

「カクタス・コリジョン」(サボテン衝突)
とありますが、1980年5月横須賀勤務を終えた「ミッドウェイ」は

7月29日、フィリピン北部のパラワン島付近を航行中、
パナマ船籍の商船「サボテン」と衝突しました。

衝突は液体酸素プラントの近くで起こったため、不幸にして
ちょうどプラント内で作業していた2名の乗組員が死亡し、
3名が負傷するという大事故になってしまいました。

「ミッドウェイ」艦体も軽微なダメージを受け、飛行甲板にあった
F-4「ファントム」のうち3機も破損したということです。

航空機がぐしゃぐしゃ・・・・。

さぼてんくんはもっとぐしゃぐしゃです(´・ω・`)

フィリピンで修理を受ける「ミッドウェイ」。

ここには「グリーンマン」がいます。

「トラブル・シューター」と呼ばれており艦載機部隊の整備です。
整備が緑、なんとなく納得の色ですね。

飛行作業が始まると、エンジン整備、電気系統、機体、武器、エレクトロニクス、
安全装置の係がそれぞれの部隊から各一人ずつフライト・デッキに待機していて、
万が一機体にトラブルが発生するとすぐに対応するのです。

また、

●カタパルトとアレスティングギアのクルー

●貨物取り扱い

●フックランナー

●写真係

●ヘリ着艦の際の信号員

などもグリーンシャツです。

O2N2プラントと液体酸素コンバーターのある通路。
中国人の観光客多し。

さて、以上を見学すると、もう一度ハンガーデッキに戻ってくることになります。

ハンガーデッキには何機もの退役機が展示されていますが、
どれも大変手入れが行き届いています。
割と近年塗装をやり直したのではないかと思われるこの機体は、

F4U-4 コルセア戦闘機

今初めて知ったような気がしますが、コルセア”CORSAIR"という単語を辞書で引くと
古語で「海賊船」という意味が出てきます。

冒頭の写真を見ていただけると一目瞭然ですが、その特徴は逆ガル翼。
プロペラを大きくする代わりに、逆ガル翼によって重量のある主脚を短することで
艦載機に必要な着陸時の衝撃に対処するという思想のもとに設計されたものです。

連載中の「アルキメデスの大戦」でも、逆ガル翼は

「飛行中の直進安定性の高さ、中翼配置は空気力学的に優れ、
限られた翼端長でより大きな翼面積が得られ旋回性能が高められる。
胴体と地面の余裕幅が大きく取れるので推進効率がよく、
大口径プロペラが装着できる。
さらにはW型の主翼は通常翼より前下方視界が良い」

と櫂少佐が絶賛しておりましたですね。

ただし櫂少佐はこの後三菱の堀越次郎氏に

「空母着艦時の大迎え角時の姿勢安定に不安がある」

というわけですが、このシーケンスのアイデアはコルセアの失敗から
取ったのではないかとわたしは思います。

実際コルセアは当初

「失速挙動を起こす」「前方視界が不十分」
「プロペラブレードが長く、着艦時に甲板にプロペラを打ち破損する可能性」

を懸念され、空母艦載機としては通用しないという評価を与えられたため
初期精算機は全て海軍ではなく海兵隊に引き渡され、陸上で運用されることになりました。

ここにあるコルセアは、翼の下をご覧になればわかりますが海兵隊機です。

コルセアの横に、胸に航空バッジと海軍の防衛徽章(ってアメリカでもいうの?)
をつけたやる気満々のベテランがいて、立ち寄る人に説明をしていました。

「第二次世界大戦のベテランと語ろう」という企画で、
本日のベテランは

ドン・ハバード海軍少佐(元パイロット)

です! ( ̄∇ ̄ノノ"パチパチパチ

いやー、若い時のハバード少佐、超イケメンじゃないですかー。

もう一度、若い時の写真と並べてみる。
こちらのハーレーダビッドソン乗りのいかついおっちゃんが話を聞きながら

「はえ〜」

って感じになっているのを見ても、アメリカ人から見てかっこいい爺さんなんだろうな。

ちなみに調べてみたところ、彼が海軍に入隊したのは1943年。
ウィングマークを取ったのは終戦後の1947年ですから、煽り文句の
「第二次世界大戦のベテラン」とは正確には違います。

しかし、戦争中にもかかわらず飛行士の訓練にこれだけ時間をかけるのは
アメリカの信念というか、余裕があったのだと感じずにはいられません。

それだけに一人のパイロットにはお金と時間をかけた価値があると考え、
人命重視の装備を開発し、さらには救出に力を入れ、搭乗員を死なせまいとする。

日本軍とは根本的に考え方が違っており、ましてやこんな軍隊からは
搭乗員の一つしかない命で、最大限うまくいったとしても敵艦一隻しか沈めることのできない
特攻などという非効率的で非科学的な外道の作戦は生まれるべくもないと思いました。

残念ながらわたしたちはこの後の予定があり、脚を止めていられなかったので、
ハバード少佐のお話は聞けなかったのですが、彼の経歴で特筆すべきは、
朝鮮戦争中、

AJ-2「サベージ」

に乗って、命令がくだれば

中国と朝鮮に原子爆弾を落とす

という任務を負っていたことでしょう。
原子爆弾は長崎のファットマン型で、中国に2発、
そして朝鮮半島に1発が割り当てられていました。

しかもホームページによるとこのおっさん、

” Nice to think about killing 10,000 people with one bomb!”

(少し差し障りのある内容なので翻訳は自己責任で)
なんて嬉々として書いてるんですよね・・・・。

いやはや、勝った国の軍人ってのは全く言いたい放題ですな。

これを知っていたら世界唯一の核被爆国の日本人代表として
本当にあんたそれを知っていても原爆を落としてみたかったのかい?
って聞いてみたかったなー(棒)

こちらは別の日にゲストで来ておられたらしいヴェテラン、
スタン・アベール司令のお写真。

アベール司令もコルセアに乗っていたようですね。

スタンさんは、現在94歳です。

毎週ここ「ミッドウェイ」にやってきては、かつて現役時代に
海軍で体験したこと、ことにパイロットとして乗り組んでいた

「空母バンカーヒルで体験したカミカゼ2機の突入」

について皆に生き証人として語っているのだそうです。

それによると、特攻機が突入してきた時、彼は日本機を自軍の機だと思いこみ、
それが撃墜されてしまうと!心配していたのだそうです。
それが間違いで、「ジャップだ!」と気付いた時にはすでに特攻機は激突していました。

キャットウォークに逃れたアベールは、爆発の引き起こす猛烈な火と煙から逃れ、
他のメカニックらと共に海に飛び込んで救助を待ち、そして助かりました。

甲板に引き上げられた時、炎は消えていたものの、そこに並んでいたのは
無数にも思えるキャンバスバッグで包まれた仲間の遺体でした。

 

この日アベールさんは「ミッドウェイ」にはきていなかったようですが、
この方の話も、日本人としてはぜひ直に聞いてみたかったと思いました。

その後、コルセアは後期型になって着艦に向かないという欠点を克服し、
「バンカーヒル」にも配備されることになります。
 
ドン・ハバードがウィングマークを取って乗ったのも、
スタン・アベールが「バンカーヒル」で乗っていたのも、コルセアでした。
 
註:
 
ちなみにこの上の写真はアベンジャーですが、当初コルセアだと勘違いして書いてしまい、
皆様から色が一緒ならおめーは皆同じに見えるのか!と突っ込まれてしまいました。
本文を訂正するのがもちろんいいのですが、面倒臭いので自戒のためにこのままにしておきます。
 
ガル翼がコルセア、折りたたみ翼がアベンジャー、と_φ( ̄ー ̄ ))
 
 
ミッドウェイシリーズ、続く。
 
 
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F4U (お節介船屋)
2017-10-19 09:38:37
ヴォートF4Uコルセア
1940年初飛行、1942年から部隊配備、前方視界不良のため主として海兵隊使用、後に空母搭載。朝鮮戦争でも活躍。
生産機数12,620機(2,500機は英仏に引渡)、
主要目
 幅12.4m、長さ9.8m、全備重量5.8~6.3トン、出力2,000馬力、速力毎時635km、12.7mm機銃6門、450kg爆弾2発搭載

日本海軍のも逆ガル翼機がありました。
艦上攻撃機「流星」B7A1-S2
昭和16年夏、愛知航空機に1社特命で試作指示された十六試艦上攻撃機B7Aでした。ただ海軍要求が悪い癖の最大速度毎時556km以上、航続力1850km以上、いずれも爆弾500kg搭載、零戦なみの運動性能、主翼に20mm機銃2挺という戦闘機なみの過大要求でした。
必要な2000馬力のエンジンは開発中の中島「誉」しかなく、要求速力から爆弾を胴体内へ、主翼は中翼、主脚を長くなることから逆ガル翼、また空母エレベーター寸法から天山と同じ14.4mとしたが長さが制限を超え11.47mとなった。
過酷な要求でしたが昭和17年12月試作完成、ただ要求値をはるかに下回る。
強度計算を誤り、全面よりなおし、昭和19年春、漸く審査を通り、量産命令、本空襲、東海地震の打撃、終戦までに111機生産。
敗戦直前、特攻で15機を失った。
参照光人社野原茂「空母機動部隊の打撃力」「日本の軍用機」、海人社「世界の艦船」No291
特攻 (Unknown)
2017-10-19 20:17:03
非科学的で非効率ですが、今に至るも無形の抑止力になっていると思います。

同じ枢軸国でもドイツやイタリアは敗戦して政権が瓦解すると同時に主要メンバーは死ぬか逃亡していますが、日本人は逃げ隠れしていません。

非科学的で非効率ですが、これこそが日本人だと思っています。
写真が・・・ (うろうろする人)
2017-10-19 20:24:59
今回のブログ後半のコルセアについての件、機体の写真は差し替え忘れですよね?ですよね?
「アベンジャー」を撮ったのを、うっかり載せてしまっただけですよね?
冒頭の「コルセア」のものに後で替えるのですよね!ね?
みなさま (エリス中尉)
2017-10-19 22:06:52
お節介船屋さん
流星の逆ガル翼、今確認しましたが実に優雅で滑らかな逆ガルですね。
斜め後ろからの写真など、うっとりしてしまいます。
生産が間に合わず、戦果については全く記録にないそうですが、
横須賀航空隊から8月15日にでた「最後の特攻」で流星が使われたと今知りました。
合掌。

unknownさん
奇しくも流星の特攻の話が繋がってしまいましたが、特攻については一面からだけ
語ることは大変難しいことだと思います。
かくいう私も、日本が特攻という作戦を選択したことが、戦後も日本という国が存続し、
それどころか発展して大国になったことと無関係ではないと固く信じています。

「外道の統率」「外道の戦法」と言いながらもそれを選択した指導者は
「日本人とは自分の命を犠牲にしても国を守ろうとする民族であり
たとえ国は戦争に敗北しても決してその魂は滅びぬ」
ということを後世に知らしめようとしたのは間違い無いでしょう。

そして我々が思う以上に、特攻は効果があり、アメリカ人にとっては
底知れない恐怖を与えたと言われます。
ここでなんども書いているように、沖縄にいた海軍の艦隊では、
特攻の恐怖に屈強なアメリカ軍人が精神を蝕まれ、ニミッツ提督がその状態に
危機感を覚えて上に報告するほどだったということが知られています。

原爆の投下も、特攻を行うような日本の本土上陸をすることをできれば避けたい、
という切なる思いで実行された側面があるくらいです。

先日、選挙関連でテレビのワイドショーの常連コメンテーターの女性が
「やられてもやられても、やめて下さいって言ってる方が良いんじゃないか。
日本人としてそういう事を誇りにしたい」
といったそうですが、私は日本人はこんなことを誇りにしないと思いますね。
外道の作戦、非科学的な作戦とわかっていても国を護るため、
つまり愛する人々を守るため、莞爾として微笑んで死んでいく。
そんな方々がいたということこそが日本の誇りだと思っています。

うろうろする人さん

あ・・・・べん・・・・じゃー・・・だと?

えーと、ちょっと今は忙しいのでもう少し後で差し替えます。
っていうか、これ違う飛行機なのー?!
流星 (お節介船屋)
2017-10-20 11:07:13
名称は艦上攻撃機ですが雷撃も出来る艦爆で天山とは根本的な性格が違います。
要目
乗員2名、幅14.4m、長さ11.49m、鷹さ4.075m、全重量5.7t、公称出力1670馬力、最大速度毎時543km、航続力1850km、武装20mm機銃2挺、13mm機銃1挺、800kg魚雷または爆弾×1、または250kg爆弾×2、または60kg爆弾×6
過大な海軍要求で苦労して開発されるが、徒労と終わった1例である。空母搭載のため、寸法も制限されたが、完成しても空母搭載出来ても大型空母のみ。その空母もなし。
逆ガル翼もスピード要求から胴体内爆弾倉の採用によって必然的な産物。
日本海軍の航空機は長航続力の要求から多くの燃料タンクがインテグラル式タンクすなわち機体や翼外皮がそのままタンク外板のため被弾すると発火する。流星も同じ。
エンジンも開発中の採用で信頼性が乏しく、戦時下の実用とはほぼ遠い。稼働率が50%以下とは?
海軍の紫電、銀河、陸軍の飛燕等エンジン不調で非稼働が多かった。
空襲、東海大地震で生産数が少なく、魚雷攻撃は昭和20年7月25日夜間米機動部隊への攻撃、7月25日から8月15日までの4回の800kg爆弾を抱いての特攻のみであった。効果も不明。
高性能でありながら可愛そうな飛行機でした。
参照光人社野原茂著「空母機動部隊の打撃力」
雑誌「丸」等、戦記出版の光人社は経営不振から産経新聞出版吸収されました。なお今後も戦記物は出版するとの事ですが、読む人が少なくなって、戦史が疎かになっていくのが残念です。
機体色以外は違うかと (Coral)
2017-10-22 13:45:03
エリス中尉

コルセア 低翼、逆ガル翼(かなり特徴的)で折り畳みなし
アベンジャー 中翼、折り畳み翼、胴体内に爆弾倉あり(よって横から見るとかなり不格好で特徴的)
ということで、機体色こそ同じですが(笑)見分けがつくかと

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