ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

潜水艦と赤煉瓦〜自衛隊記念行事 記念式典

2016-11-01 | 自衛隊

殉職者追悼式の日は朝から雨模様でした。
空港からのバスの車中、だんだん強くなる雨足を見ながら
心配していたのですが、地方総監部に到着する頃には雨は上がり、
式典の間は一粒も降らず、
閉会となり、皆が席を立つと同時にまた降り出すといった具合。

またもや「わたしが中国地方に来るとは必ず雨」という

ありがたくないジンクスに悄然としていたのですが、
前回の進水式も今回も、結果式典に傘は不要となり、翌日の記念式典には
綺麗な秋晴れとなったのを見て、

「もしかしたら新呉地方総監は強烈な晴れ男かもしれない」

と思ったわたしです。


当日の朝、同じ地球防衛協会系(仮名)の方にホテルまで
車で迎えに来ていただき、少し時間が早かったので
皆で潜水艦でも観に行こう、ということになりました。



綺麗に晴れて海の色が朝独特の深い色をみせる呉港。
いつ見ても、何時間見ていても飽きないこの景色です。
わーい、潜水艦だー!



「男たちの大和」のロケ地にもなった?潜水艦桟橋の門。



新型の潜水艦がいました!



今は使われていないブイもなにかいわくありげ・・。



補給艦「とわだ」がいます。

2013年には台風の被害を受けたフィリピンにここから出航し、
輸送艦「おおすみ」と護衛艦「いせ」への給油などを担当し、
レイテ湾では救援物資輸送や医療、防疫活動を実施しました。

洋上給油を行うためのブームと黒い蛇管がここからも見えます。



こちらは音響測定艦「はりま」。
「ひびき」とともに「灘」の名前を与えられたこの艦種は、
同じ海自の隊員からも「いつもどこで何をやっているのかわからない」
と言われるくらい謎に包まれているそうです。

それもそのはず、音響測定艦の「敵」は潜水艦。
ケーブルで監視用曳航アレイ・ソナー(SURTASS)を曳航し、
人間の「指紋」にあたる潜水艦の「音紋」を採取して

データベース化しているのですから、特に中国海軍にとっては
「一番嫌な船」ということになるのかもしれません。

潜水艦というのも、その実態は厳密に秘匿されているものですが、
潜水艦に対峙するのがお仕事なのですから、さらに音響測定艦は
秘密のベールを何重にもかけて情報を遮断されているのだそうです。

一般公開はもちろん、観艦式などにも決して参加しません。




同行者の誰もこれが何のための艦かすらわからなかった艦番号483。
調べてみてびっくり、敷設艦「むろと」でした。

敷設艦などという艦種が未だにあるとは全然知りませんでした。
敷設艦、というとどうしても日露戦争の時に海底ケーブルを敷設して
殊勲賞をもらった「沖縄丸」のことを思い浮かべてしまいますね。

いま検索したところ、児玉源太郎の海底ケーブル敷設について
まとめて書いたのは不肖当ブログだけだったようで、
改めて読んだら我ながら内容に感心してしまったので(笑)再掲しておきます。

「児玉ケーブル」と「光海底ケーブル」



しかもこちらも「はりま」同様、その実態については
何も公表されておらず、「謎の船」なのだそうです。

つまりここは潜水艦始め、秘匿性の高い艦船をまとめてあるってことらしいですね。



アレイからすこじまのある港は、呉海軍墓地を抱く住宅街の連なる
屏風のような斜面から一望できるのですが、(造船ドックも見下ろせる)

「あのへんの家には中国人が住み着いてるんじゃないの」

と同行者の一人が言い出し、皆眉をひそめて頷きました。
横須賀の海自基地を見下ろす高層マンションを中国人がどんどん買っている、
という話も聞いたことがありますが、なんとかならないんでしょうか。

「何か理由つけて制限すればいいのに」

昔は呉も横須賀も地図に載らず、住居はもちろん立ち入りさえも制限されていたそうです。

同行のおじさまたちは、さらにここにあった観光案内の看板に、
中国語とハングルが書かれているのに甚くお怒りで、

「こんなもんなくてよろしい」

「日本語が読めないんだったら英語を読めばいい、目障りだ」

とそれを指差してぶつくさ言っておられました。
わたしも、あのおでんみたいな象形文字が日本語と同じ大きさで
まるでこの国の言葉のように併記されている看板などを見ると、


「なんで少数旅行者のためにここまでしなきゃいけないんだ」

とうっすらと不愉快になることがあるのでその気持ちはよくわかりますが。




潜水艦基地には道向かいの潜水艦隊から歩道橋を通って
外に出ることなく隊員が岸壁にたどり着けるようになっています。

鉄の門扉は常に閉ざされ、何人たりとも近づくことができないよう
潜水艦の前では警衛がいつも見張りをしています。

もちろんこの鉄条網によって夜間こっそり忍び込むことも不可能です。



見ていたら潜水艦の向こうに水煙が上がっているのが確認できました。

「見に行っていいですか」

皆さんに断って、何をしているのか正面に移動してみました。
これは朝の始業点検みたいなものですかね?
水煙だけでなくよく見るとずいぶん水を吹き出しているように見えます。




岸壁に沿って散歩道が敷かれ、ここが呉市の整備する
観光スポット的な扱いとなっているのは、いまだにこのような
昔のレンガ倉庫や工廠だった建物が残っているからです。



この建物の横にはコンビニがありましたが、そこから建物側面を見ると、
爆撃を防ぐために窓ガラスを外して塗りつぶしてしまったらしい跡。

レンガの隙間から草が生えている様子に、古い建築物フェチのわたしは
もう陶酔してしまいました。



レンガの建物といえば、呉地方総監部で行われた慰霊式のため
上から入場して坂を下っていったところにこんなレンガ棟があります。

あせって移動しながらも機密に抵触しなさそうなこういう場所を
歩きながら素早くシャッターを切っておきました。
クーラーもありますし、これどう見てもまだ現役ですね。



そしてガラスの歪みから、これらはまず間違いなく
戦前から呉鎮守府として機能していた海軍の建物でしょう。

本当は感激している場合ではなかったのですが、
とりあえずこのようなものを見られたのは間違いも怪我の功名でした。

一応自衛隊内部なので、建物の後ろに写っていた構造物は
Photoshopで綺麗に消しておきました。 
初心者なのであんまり上手くないですがお許しを。




昔地下防空壕につながっていたのかもしれません。
そういえば、慰霊式のとき、儀仗隊は会場横の防空壕みたいなところから
いきなり出てきたのでちょっと驚きました。

奥が地下3階くらいの秘密基地の入り口になってたりして・・・。



もう一つついでに呉基地内から撮った呉港。
昔ここに「さみだれ」を見に来たことがありますが、そのときには
ここに泊まっているのは掃海艇だと思っていました。
いまなら一目でこれらが支援船であることがわかりますが。 

ちなみにここに見えているのは

水中処分母船(YDT04)

EOD、つまり水中処分隊の輸送と作業支援を行う船。

曳船(YT65とYT73)

自走重油船 25型 ( YO44)


アレイからすこじまの道を隔てて向かいのコンビニには
呉土産が置いてあります。
同行の方はここでお土産を買い込んでおられました。

さすがに潜水艦基地の前だけあって、

潜れ!ぼくらの潜水艦ケーキ

なる自衛隊みやげがあります。
レモンケーキだそうですが、シェイプが潜水艦の形をしていたら
大変評価できると思います。
「!」がよく見ると潜望鏡の形をしているのと、
商品名の「潜れ!」がなんかじわじわきますね。



その横にあったこの商品、「近大マンゴーのぷっちょ」。
わけがわからなくて後ろを読んでみたら、このマンゴー、
近畿大学附属農場湯浅農場で栽培されたもので、デパートなどに流通しています。

平成4年から主に、関西の百貨店を中心に販売されていて、今年で25年目。
毎年、同大学農学部農業生産科学科、バイオサイエンス学科や
応用生命化学科の学生たちが農場実習の一環として、栽培・収穫に携わっています。
今回も約100人の学生がこの"近大マンゴー"を作り上げたということです。

ちなみにお値段は一個3〜7000円だそうで・・・・高っ。

カリフォルニアじゃ一個1ドルからせいぜい2ドル台ですぜ。



さて、そんなこんなですっかり満足したわたしたちは
本日の会場である呉教育隊に向かいました。

車の方は前もって駐車票を取っておられたので、
ダッシュボードを確認しただけでノーチェックで中に入れました。


この中に入るのは二度目ですが、そういえばその時も
ここ呉は結構激しい雨だったんだわ。
そのずいぶん後の呉地方総監表敬訪問の時も雨。
「いせ」で行われた戦艦「伊勢」慰霊式も見事に雨。
「ふゆづき」の引渡し式はむちゃくちゃ雨。(全部別の日)

やっぱり「わたし+中国地方=雨」であり、前回今回の
後半の晴れは、式典でも「晴れ男」だといわれていた呉地方総監の
パワーがそれに打ち勝った結果なのでは、と真剣に思えてきました。



会場はこの体育館です。
テントで受付をすると、名札をもらえますが、その裏には
式典会場での席がちゃんと記されていました。



土足で全員が上がれるようにシートを敷き詰めています。



整然と並べられたパイプ椅子はにはそれぞれ番号が振ってあります。
偉い人順に前からきっちりと全員の席次が決まっており、
こういう準備を遺漏なく行うことはさぞかし大変なことだろうと感心しました。



自分の席を探しながら後ろから歩いて行ったら、
なんと、結局こんな前に来てしまいました。
これは断じてわたし自身が偉いからこうなったのではありません。

いろいろと事情があって、今回、「偉い人の代理」という立場で
出席することになってしまったというだけのことなのですが、
その偉い人が半端でなく偉い人だったので、結果として前後左右、
政治家やら各界のトップやらのおじさま方に囲まれてしまい・・。



そうこうするうちに呉音楽隊がスタンバイを始めます。

さて、こんな身分不相応な扱いを受けることになった自衛隊記念日式典(笑)
どんな出来事が待ち受けているのでしょうか。


続く。