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課業行進〜防衛大学校見学ツァー

2016-06-24 | 自衛隊

わたしがこの某老舗デパートのバスツァーに申し込んだのは
そのツァー名が「防衛大学校見学」 だったからです。

防衛大学校は定期的に校内を一般に公開しており、
祝日と年末年始を除く月水金の週三日、
午前の部・午後の部合わせて4回のツァーを開催しています。



地元のコミュニティ紙ではツァーについて詳しく説明して
ツァーの宣伝をすることもあるようです。

ツァーそのものは、係の自衛官が案内して、記念講堂、資料館、
学生舎や学生会館を見て回るというもので、
個人であれば3日前までに
HPに記載されている番号にFAXで申し込むことができます。

参加したデパートのツァーは、それに便乗しているのだと知りました。
守衛所で他の参加者と合流したからです。

つまり、防大を見るだけなら、これに申し込めば何も朝早くに

デパートの前まで行かなくてもいいということなんですが、そこはそれ、
わざわざ老舗デパートのツァーデスクにお金を払って行ってみようと思ったのは
自衛隊施設がこのような団体に対してどう説明されるかということと、
何と言ってもどんな人たちがこういうものに参加するのか興味があったためです。

それについては後でわたし的に「事件」と言えることがあったので、
のちにお話ししようと思います。



案内は、男性の海曹と、女性の陸曹が一人ずつ。
それにボランティアの主婦らしい女性の解説がつきました。

バスを停めた駐車場から守衛所付近は一切撮影禁止です。
この正面玄関に来て、初めて撮影許可がおりました。

いただいたパンフレットによると、敷地は約65万平方メートル、
建物延20万平方メートルのほか、走水海岸には訓練場を所有します。



正面のホールには

廉恥・真勇・礼節

という学生綱領の刻まれたプレートが置かれています。
通路にあるのでアメリカなどなら平気でその上を歩くのでしょうが、
どっこいここは日本なので、ちゃんとロープで囲いをしています。

ちなみに、それぞれの英語訳は「HONOR」「COURAGE」「PROPRIETY」
とされ、綱領は学生の手によって定められたということです。

後ろに何条もの国旗がありますが、これは現在防衛大学校に
留学している外国人留学生の出身国の国旗で、これまで
タイ、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシア、モンゴル、ベトナム、
韓国、ルーマニア、ラオス、ミャンマーの士官候補生を受け入れてきました。

この中には遠洋航海に参加する留学生もいます。
先日出航した練習艦隊にも留学生が乗っているということを聞き及び、
当ブログで、

実習幹部の中には海外からもタイ王国留学生、東ティモール共和国留学生が
それぞれ1名ずつ乗り組んでいます。

留学生は毎年1〜2人必ず乗り組むようです。

と説明をしたのですが、本年度の練習艦隊にご子息が新少尉として乗り組んでいるという方から、

「東ティモールの方は乗っておりません。
費用が自腹で、行きたいけど行けなかったそうです」

ということを教えていただきました。
どうも高額な旅費がネックになって参加できなかったようなんですね。
こういうことを聞くと、なんとかしてあげられる方法はなかったのかな、
と考えてしまいますが、出身国政府からの援助を仰ぐこともできなかったのでしょうか。



ロビーのガラスケースに収められた講演者たちの写真や色紙。
緒方貞子さんやハーバード大学のリチャード・ナイ教授、アーミテージ氏、
あとは何をする人かわかりませんが人間国宝などが来たようです。
さすがに防衛省隷下の省庁大学校だけのことはあって、講演者も世界的な人物ばかり。

テレビ番組の取材も何度か行われているらしく、全く知らない芸人の写真とサインがありました。



最近の防衛大出身のヒーローといえば、宇宙飛行士の由井亀美也さんです。
防衛フォーラムで出身校での講演を行い故郷に錦を飾ることとなりました。

その上は、歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんの写真と色紙なのですが、
玉三郎さんの書く字がずいぶんイメージと違ってびっくりです。
こういう人だから毛筆での揮毫もできるくらい達筆という気がしていましたが、
歌舞伎俳優って案外・・・・いやなんでもない。



来る7月23・24日にはオープンキャンパスも行われるようですから、
防大に興味のある方は是非。

ただしこれはどう見ても防大進学を考えている人たちのためのものですね。
開校記念祭のノリでキャピキャピと女子が遊びに行くという雰囲気ではなさそうです。



わたしが最後にここを訪れた時には、この塔は工事中でした。
校章が燦然と掲げられていますが、実は単なる給水塔です。
しかし、この高さを利用して実験を行うこともあるそうです。

ここから陸上要員の降下訓練が行われる・・・ということはありません。



モニュメントの頂点から照明灯が突き出しているようです。
じつはわざとそうなるように撮りましたすみません。

題して「国の護り」。
長い兜の尾っぽの真ん中にひらりと付いているのが「羽ペン」。
これで文武両道を表します。

兜の乗った台の三本の足は「陸海空」自衛隊を表し、さらに
学生綱領の三つのモットーも表しています。

兜の上の丸い部分はたぶん「日昇」だと思います。



この下には総合情報図書館があり、ガラスドームが灯り取りになっていて、
ここから入って長い階段を降りていくと、真下のスペースには

「ブラウジングコーナー」と称するロビーがあります。

総合情報図書館の創設は今から5年前で、書架には充実した国防・軍事に関する
(あああ行ってみたい)書物や年鑑、辞典なども充実しており、
AVコーナーもあって自由に閲覧が可能なのだとか。

校内には「校内LAN」が敷設されており、IT環境も完璧に整っています。



平松礼二作、ステンドグラス作品「若人の城」。

富士に桜、そして海と空と大地が全てこの画面に収められています。
ここ小原台に防衛大学校を設立することを決めたのは吉田茂でしたが、
吉田はその選定の際、二つの条件をつけたそうです。

富士山が見えること。

海が望めること。

日本の象徴である富士山と、海国である日本の国土の守り手を育てる
大学校の学びの地に欠かせない条件だったのです。




そのあとは、一般には卒業式の「帽子投げ」で有名な大講堂を見学しました。
わたしは五百籏頭真元校長の講演を聞くために開校記念祭で座ったこともあります。
あのとき、

「五百旗頭か・・・いいよもうあれは」

と小さな声で呟いた学生さんは、今どの部隊にいるのかな?

ここでの説明は、この広大な講堂の仕組み、例えば卒業式のときには
演壇の下部分からスロープを出してくることもできる、などといったものでした。

帽子投げについては、

「防大生の制服は貸与されているものなので、卒業したら返却します。
彼らは走り出て行ったあと、陸海空任官先の制服に着替えるので、
帽子はもう必要ないのです」

と説明されていましたが、それでは防大生は自分の帽子に
名前とか書かないってことですかね?
落としたりどこかに忘れたり、ってことははなからないって設定?



講堂は天井にレールがありますが、ここにパーティションをつけて
区切って使うことができます。

講堂全体写真の左側にスクリーンがありますが、この午後、
このスクリーンを使って左3分の1だけが使用されることになっているとのことでした。



さて、コミュニティ紙で紹介された防大ツァーの紙面には、学生の課業行進が紹介され

「規律正しく2000人の大行進」

などというキャッチがついていたりするように、このツァーのハイライトは
ある意味この課業行進を見ることかもしれません。

少し高い、大講堂の前の広場からわたしたちはこれを見下ろす形で見学したのですが、
じつはこのときのわたしには、横に頼もしい特別案内人がいたのです。

種を明かせば知り合いの陸自の方がたまたまこの直前の移動で
防衛大学校に転勤となってここに勤務しておられたのです。

私たち一行はこの課業行進の前に防大資料館を見学しました。
資料館内部はどういうわけか一切撮影禁止となっていたので、
何も写真が残っていませんが、そこでビデオを何本か見終わったら、
なんと陸佐が後ろにおられました。

当日防大でお会いできるかどうかはわかりませんでしたが、
一応声だけでもおかけしておこうとツァーバスに乗る前に電話してみたところ、
たまたま見学時間にお手隙であったということで会いに来てくださったのです。 



陸佐の自らの経験を交えた解説を聞きながらのゴーヂャスな課業行進見学です。
中の人ならではのわりとどうでもいい、しかしわたしのような人間には
お宝となるお話もたくさん聞かせていただきました。

たとえばまず、課業行進は、第一大隊から第四大隊までの学生舎前からそれぞれ
午後の教室に向かって歩くのですが、


「一番向こうの大隊(第四大隊)は行進の距離が長いんですよ」

確かに、この写真を見ただけでも一番向こうの大隊は遠すぎて見えない(笑)
まあ若い元気な予科練じゃなくて学生さんたちですから、多少距離が長くても
なんてことはないのでしょうが、毎朝毎日、第1と第4大隊では歩く時間が違う、
というのはなんとも不公平な気がします。

大隊というのは、入学したときから決められそこで4年間を過ごすので、
(※コメント欄参照)
各大隊の最小単位である小隊3〜40名には、1年から4年までが混在します。
(留学生も)

これはつまり、最初に第4大隊と決まった時点で、1日2回の課業行進を
4年間繰り返せば、第1大隊との行進量は莫大な違いとなるということです。

そういう不条理さを全て達観するのも自衛隊指揮官の教育のうちなんでしょうか。



行進の前に立っているのは曹クラスの自衛官のようです。
防衛大学校の学生身分は特別職国家公務員たる「自衛隊員」です。

「自衛官」と「自衛隊員」の違いって皆さんご存知ですか?
「階級のあるのが自衛官、階級のないのが自衛隊員」なんですよ。
ですから階級を持つ前の防大生は「自衛官」ではない「自衛隊員」というわけ。

もちろん階級を持っている自衛官を「自衛隊員」と称することはありです。

この自衛官たちは、行進の様子(ちゃんと手をあげているかとか、歩調が揃ってるかとか)
を指導するためにいるのだそうです。

海軍兵学校には下士官の指導教官がいましたが、兵学校学生は
入校した時点で下士官より上の階級を与えられていましたから、
兵学校における指導においても、言葉遣いは妙なことになり、
「前に進め」ではなく「前に進む」「跳躍せよ」ではなく「跳躍する」
とまるで他人事のような言い方で指導が行われたということです。



白いのが普通の制服、カーキが戦闘服(たぶん)。
まるで陸自と海自の制服みたいですが、とりあえず違うみたいです。
白い服の陸上要員がいればカーキの航空要員もいるってことでおK? 




そのとき課業行進が始まりましたが、開校記念祭の行進や
観閲式などのものより全体的に随分カジュアルな印象を受けました。
服装がバラバラというのもありますが、この写真を見てもおわかりのように
結構みんな直前まで話をしていたりしてニコニコしながら歩いてたりするので。

まあ、「軍靴の足音がががが」とすぐに発狂するタチの人が見たとしても
このぬるいというか民主的な(笑)雰囲気の行進なら、文句はあるまいってかんじです。



開校記念祭にいくと、紺の第1種以外はこれを着ていたりします。
マスクをしているのは女子学生。



課業行進という慣習そのものは海軍兵学校のものです。
制服始め防衛大学校の規律の多くは兵学校からの伝統から来ているんですね。
海軍五省も引き継がれているようですし。

ところで、全員ズボンのポケットにいっぱい物を入れているように見えますが・・。
携帯電話は使ってもいいのでしょうか。



これ・・・雨でもやるんですよね?傘ささずに。
陸佐によると、昔夏になると紺の帽子に白いカバーをかけていたのですが、
あまりにも蒸れて暑いので白の夏用帽子ができたということです。



白い野球キャップに白のシャツ、紺の半ズボン、運動靴。
お揃いのカバンを斜めがけした一団がやって来たとき、居並ぶ見物人は

「・・・なんか昔の幼稚園児そのままっていうか・・」

「・・・志村けん?とか高木ブーがやってた?」

などと失礼なことをひそひそ言いあっておりました。
これから体育が行われる学生だということです。
彼らは右手のグラウンド方向へと歩いて行きました。

運動靴だけは自分の好きなのを履いてもいいみたいですね。



こんな姿の大学生が大量に見られるのって、防大だけだろうなあ・・・。
朝は6時に号令で起きて掃除して、国旗を揚げて1日二回行進して教場に行き、
8時限までの授業を受けて校友会活動して国旗を降下して点呼して自習して・・。

防大に入ってちゃんと4年間この生活を続け、卒業してさらに自衛隊に行って、
・・・・・わたしのような者にはただただ頭が下がるのみです。



黒いジャージの一団もきました。

「これ、最近黒に変わったんですよ」

と陸佐。

「前は青のジャージでして」

「”青虫ジャージ”ってやつですね」

「よくご存知ですねー」

ええ、真偽不明ながら、隊員が少年院から脱走した受刑者と間違われたことから
それが「年少ジャージ」と言われていたことも知ってますともさ。

・・ということは、今の陸将空将海将もかつては一度身を包んだ、
自衛官の精神的通過儀礼ともいわれるあの青虫(青虫って緑色だけど)は、
自衛隊から永遠に姿を消すというわけですかい。

「あまりにダサいので新隊員は確実に戦意を喪失するらしい」

なんて、ここで書いたせい・・・ではないと思いますが。
陸自のヒトがよくやっていた「上戦闘服、下青虫ジャージ」
という絶望的に最悪なコーディネートだけは、本人たちはともかく
(楽だとは思う)見た目に如何なものかと思っていたのですが、それが
せめて「下黒ジャージ」になれば、隊員の士気も上がること間違いなしです。

・・たぶん。



防大見学ツァー、続きます。