ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

銀座の達人

2012-10-04 | お出かけ

先日もう少しで元海幕長に再びのお目もじがかなうところであった、という
あの会合の日、我々は実は銀座に宿泊しておりました。
お酒の出る会合で最終的にバー「ヨーソロ」に行かねばならない(ってことはありませんが)
その性質上、未成年の息子を連れて行くわけに行かなかったのです。

かれはしかし、Macと食べ物さえ与えておけば何時間でも一人でいられるという
「今時の子供」であるので、ホテルの一室で待たせることにしました。

理由はそれだけではありません。
われわれが結構気に入っていた「ホテル西洋銀座」が、来年の春には営業終了するというお知らせが飛び込んできたのです。
何度もお茶を飲んだりしましたが、ここには泊まったことはありません。
一度最後に泊まっておこうか、とTOが言い出したので、朝食、アフタヌーンティー、
さらに100ドルの割引券のついたお得なプランを利用することにしました。

というわけで銀座に向かいます。



途中で防衛省前を通りかかったら、このようなものを目撃。
ぜんがくれん、ってあの全学連?まだあったんだ・・・。
全員マスクしてオスプレイ配置反対のシュプレヒコールをしています。
やはりオスプレイ反対しているのってこういう人たちなんですね。
オスプレイ、鬼畜米の象徴のように言うからどんな恐ろしい武器かと思ったら、
なんでもただの輸送機なんだそうで。
元幕僚長も「絶対に安全です」と言っていたし。
もしどうしても墜としたければ、航空領域でわざわざ凧揚げをして
パイロットをムカツカせ、操縦を誤らす、という手もないではありませんがね。

何か問題があるとすれば、中国までの航続距離があって、
中国が日本のこの配備を無茶苦茶嫌がっているということくらいかな。

誰か、こういう人たちの前で遼寧やワリヤーグの写真を持って対抗するバイト、しません?

(実は遼寧に離発着できる艦載機も、またそれができるパイロットもいないそうで、
発艦はカタパルト頼み。まさに仏作って魂入れず状態らしいというのが、
平和的っちゃ平和的ですが←嫌味)

それにしても、ここは中国とは違い、憲法でほとんどの言論の自由を保証されている日本。
どんな活動でも勝手にすればいいけど、あんたたちまだ学生でしょ?
学生には学生の本分ってもんがあるんではない?
だいいちこの暑いのに(この日は暑かった)マスク着用してるけど、それは何のためにしているのかしら?
何年かたって就職活動するときに公安のリストに載っていたら差し障りがあるからかしら?
上級国家公務員試験でも受けるつもりがあったりするのかしら?

どちらにしても、顔も見せられないってことは主張に殉じる勇気もないらしい、
ということだけはよくわかりますね。
決して皮肉ではなく・・・って皮肉かこれ。

 

ホテル到着。
金曜日の夜だというのになぜかアップグレードしてスィートルームにアサインしていただきました。
テーブルにはウェルカム・フルーツが。
その昔、このホテルは「ホテル西洋銀座なら泊まってもいいわ」とバブルの頃のタカビーな(笑)ギャルが、
マルキンな(苦笑)バブルオヤジにおねだりするといった、敷居の高いので有名なホテルだったそうです。
今やその面影もないというわけではありませんが、まあ、時代(とき)は流れたというべきなのでしょう。
なんでもここは「コンシェルジェ」という「ホテルよろず相談窓口」制度を
日本で最初に導入したホテルなのだそうです。
銀座という立地上、フロントロビー、カウンターもなく、デスクが置いてあってそこでチェックインする、
という本来ならマイナス点を、こういう形で逆手に取ったのが当時は新鮮だったようです。



息子が最近大きくなって、大人三人で宿泊するということになってしまったため、
部屋にはローラーウェイ(エキストラベッド)を入れてもらいます。



やたら無駄に広いバスルーム。
エリス中尉の立っている場所にはベッドが優に2台入るようなスペースがあります。
はっきり言ってこのスペースが何の役に立っているのかさっぱりわかりません。

ホテルに着いてから約束の時間まで何時間かあったので、ヘアカットをしにいきました。
あまり美容院に行かないエリス中尉、夏の渡米前に切ったっきりです。
ホテルに教えてもらって、近所のサロンに歩いて行きました。

つい撮ってしまったインパクトのある看板。

どうやらヒサヤ大黒堂のビルのようです。
銀座にあるんですね。
因みにサロンはこの右側のビルです。

 

この日の銀座と、部屋からの眺め。メルサの向こうに東京タワーが見えます。
・・・しっかし、こうしてみるとつまんない眺めだこと。

「ただの、日本一土地の高い場所にある商店街」である銀座ですが、
昔からそこは「特別の場所」でした。
「花の銀座」なんて言葉もありますし、我が家に送られてくる「銀座百景」という小冊子には、
毎回各界の著名人が
「いかに銀座はわたしにとって特別の場所であったか」
を熱く語っています。

以前「士官候補生東京行状記」という項で、地方出身の士官候補生が、
卒業後の練習艦隊に出発する際、皇居、靖国遙拝のため東京でしばらく過ごすので、
その間東京出身者を案内に立てて銀座に繰り出した、という話を書いたことがあります。

また、兵学校出身者のうち、霞ヶ浦で航空学生生活を送るものは、少尉時代、
週末になると東京に繰り出す者と土浦でうろうろする者、二手に分かれていたそうです。

東京出身者始め、都会人を気取る者は、みな銀座でお洒落で粋な女給さんを相手にグラスを傾け、
地方出身者になると気後れと東京不案内もあって、どうしても地元に繰り出すしかなかったそうです。
銀座のお姉さんとはかなり風情の違う「ドノウラ(土浦のこと)ねえちゃん」を相手に
ちびりちびりやる地方出身者の悲哀を、長野県出身の作家、豊田穣氏が書いていました。

 

朝ご飯は、ルームサービスで。
二人分の朝食が付いてきます。
TOの頼んだ和食と、わたしのホワイトオムレツ(あまり上手とは言えなかった)。

 クロワッサンも、全く「普通」。

朝ご飯の後、何をするでもなく部屋で過ごし、チェックアウトがこれもサービスで4時なので、
アフタヌーンティも部屋でいただきました。
ティールームでいただきたかったのですが、ここのアフタヌーンティは超人気のため、
予約だけで前日には席が埋まってしまうのです。
このアフタヌーンティは、二人分がプランに入っています。

 三人で食べても少し残りました。

 

4時ぎりぎりまでいてチェックアウト。
先ほども話したように、このホテルにはフロントのカウンターはありません。
この机で全ての業務を行いますので、二つしか無い机が埋まっていたら、後ろで立ったまま
ぼーっと待っていなくてはなりません。

もしかしたら、このあたりも営業終了にいたる「事情」の一因となっていたりして・・・。

 

チェックアウト後、車をホテルに置いたまま、銀座に繰り出しました。
繰り出した、というほどたいそうなものではありませんが、
息子の学校の宿題、ポスター製作のために紙を買いに行く必要があったのです。
幸いホテルのすぐ近くに伊東屋が。
ここにいったん足を踏み入れたら、しばらくは出てこられないほど
「筋金入りの文具好き」であるところの我が家の面々、
案の定全ての買い物が終わって出てきたときにはあたりはとっぷり日が暮れていました。

お昼ご飯を食べなかったので、そろそろ小腹も空いてきました。
TOの提案で、お堀端にリニューアルしたパレスホテルに行ってみることに。

  

昔「宮様も外人もお泊まりになるホテル」
というのがキャッチコピーであったこのホテル、老朽化が進んで全面的に立て直し、
最近オープンしたばかり。
この日はちょうど東京駅駅舎完成に向けて、何かイベントがあったので、
丸の内一帯は多くの人が溢れていましたが、さすがにここは少し離れて位置しており、
中は人影もまばら。



しかしわたしたちが行ったのは、ホテル本体ではなく地下のテナント部分です。



ここに「錫専門店」があって、一輪挿しや錫のバスケット(柔らかいから手で曲げられる)、
そしてこのような風鈴を売っているのです。
これから涼しくなるのに、風鈴?
でも、ここの風鈴は「オブジェ」として飾るためのもので、年中売っています。
「冬用風鈴」としてか、雪だるまのモチーフもありました。
一番ウケたUFOタイプ。
TOと息子が「欲しい」というのを
「吊るところがない」と頑強に反対したわたしですが、多勢に無勢で押し切られてしまいました。
家に持って帰り、マグリットの絵の前で写真を撮ってみましたが、まだ吊るところは見つかりません。

そんなこんなで時間をつぶし、夕飯に突入。
この地下にある「野菜専門店」。

鶏のパイケース包み焼き。

 

そしてこれ!
先日しんさんと「秋田料理」について盛り上がりましたが、そのなかで
「イブリガッコ」ってなんでしょう、という話になりました。
このコロッケ、その名も「イブリガッコのコロッケ」。
コロッケのポテトの中に、アクセントとして刻んだイブリガッコが入っているのです。
所々見える茶色い部分がその沢庵のスモークである(そうですよね?)イブリガッコ。
こういう食べ方は邪道なのかもしれませんが、
おそらく生まれて初めてイブリガッコを食べるわたしには、この使い方が気に入りました。
単調なポテトの中にスモーク味の歯触りの良い沢庵(の切れ端)。
シェフは秋田の人に違いない、と勝手に予想。

ホテルといっても地下ですから、お値段もとてもリーズナブル。
この店、おすすめです・・・・って、名前を忘れてしまったんですが。



わたしは東京出身ではありませんので、銀座に想い出というものがありません。
しかし、なぜか銀座は歩いていても、他の渋谷や六本木にはない「格」を感じます。
もし銀座が「中国人相手の安売り店を増やす」などということになったら、
「核弾頭打ち込んでやる」
ときっぱり言い放ったTOの知り合いの「超愛国主義者」がいるのですが、
わたしも遠からず同じ意見です。

東京に一つくらい敷居の高い、「手出しのできない町」があってもいいじゃないですか。

皇居の周りは、「外国資本に抑えられないように、三菱系の『超国粋企業』が頑張っている」
ということですが、銀座ロータリーの方によると、「怪しい店は断固として入り込ませない」
と目を光らせていても、端っこにはじわじわと「怪しい」のが進出してきているそうです。

核弾頭でも何でも使って、この「大人の町、良き銀座」を死守して欲しいと思います。

兵学校67期卒の某氏が、笹井醇一中尉の思い出の中で、
「銀座の達人であるかれに、銀座裏の手ほどきを受けた」
と語っている文章があります。
東京出身の笹井少尉はおそらく週末には実家に帰ったり、皆を銀座に案内したりしていたのでしょう。

「あこがれの銀座」を、笹井少尉に連れられた新少尉たちは、どのように眺めたのでしょうか。
そしてまだ戦争が始まっていない時代、そこにはどのような人々が歩いていたのでしょうか。
いかにも戦前からあるような建物や碑には、そこをそぞろ歩いた人々の姿さえ彷彿とさせる、
銀座にはいまだにそんな空気があります。

昔からの人々の思いがそこに留まっている、やはり銀座は特別な場所なのです。