「受験生のための『世界史B』」 もくじ
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どうもこんにちはセプテンバーです!
先週は大雪でJRが全路線運休、全車両追い越し禁止、制限速度40kmという前代未聞の状態だった北陸。
今日は久しぶりの太陽がお目見えです。
テスト期間が終わり、しばらく実家に帰ります。
ちなみに今回のテストの主なテーマは
「アグリビジネスによるオルタナティヴフードシステム(AFS)と小規模なAFSの空間的・社会的・経済的異同を述べよ」
と
「近代学校は日常生活から切り離されたところに存在しているということが教育に与えてきた可能性や困難について論じよ」
と
「日本の『司法消極主義』について、それを定義した上で、それを具体的に表す判例を最低でも2つ簡潔に説明し、また、その要因について考察・分析せよ」
でした。
カッコいいでしょ。
ちなみに、3人にレポートの代筆を頼まれました。。。
-----------------------------------------------------------------------
さて、ここから世界史の話。
大学生で一人暮らしなんかしていると、ときどき宗教の勧誘が来ます。
「手をかざすとビームが出ます」
とか
「念波がすごいんです」
とか、そんな感じの←
で、多くの場合、そういった宗教ってまだ信者の数が少なく、知名度も低くて、社会的にも認知されていない。
歴史も新しい。
仏教や神道と比べてみれば、わかりますよね。
そういう宗教を、「新興宗教」と呼びます。
それに対して、すでに社会的に十分受け入れられ、定着している宗教を「既存宗教」と呼びます。
(とはいえ、新興宗教のほとんどは仏教や神道といった既存宗教から派生したものなのですが…)
というわけで、新興宗教と既存宗教の違いなんて、カンタンに言ってしまえば「社会に受け入れられているかどうか」でしかないのです。
でもみなさん、新興宗教って聞くとなんとなく怖いイメージをもってしまいますよね。
それは、多くの人が「カルト宗教」(反社会的な宗教)と「新興宗教」を混同していることもあるのですが。。。
人間というものは、社会的に定着していないもの、新しいものはどうしても怖がってしまう生き物なのです。
今日から宗教の話なので、なんか思ったことを書いてみました。
ちなみに我が家は浄土真宗……だったような気がします←
[パレスチナのユダヤ人]
さて、ローマの話は3世紀の軍人皇帝時代まで進めていたと思いますが、ここで時計を200年ぐらい戻します。
パレスチナって覚えてますか?
そう、ユダヤ教が成立したところですよね。
忘れてるならバック!
パレスチナでは、その成立から1,600年が経った1世紀ごろでも、いまだユダヤ教が元気いっぱいでした。
あれ、でも、大昔に言ったと思うんですが、ローマは多神教(たくさんの神々)を信じる国家でしたよね??
ユダヤ教なんかを許しちゃってていいんでしょうか?
実は当時、ユダヤ教を指導していた祭祀やお偉いさんたちはローマのお偉いさんたちに、
「あの~、パレスチナの方はわたくしどもが支配させてもらっていいでしょうか? もちろんローマさんの方の意向は最大限尊重させていただきますので。。。ぐへへ」
と、やっていたのです。
ローマにとっては、彼らがパレスチナを支配して、しかも自分たちのローマ支配に協力してくれるんだったら、こっちは手間がかからずにすむしありがたい話ですよね。
そして、このようにパレスチナのユダヤ人たちを支配していた人たちは、
ユダヤ教の教えを、ひたすら、ただひたすら、死ぬまで、ただひたすら、守り続けようとしていたパリサイ派というグループに属していました。
まあ、パリサイ派の信者たちが、ローマと協力してパレスチナのユダヤ人たちを支配していたってことです。
パリサイ派の特徴は、マジメすぎるほどマジメ、ということです。
ユダヤ教の教典「旧約聖書」をすみずみまで読み、朝から晩までまったくそのとおりに行動します。
少しでも教典の教えに反するようなことをすると、厳しく罰せられました。
たとえば、
・4本足で、ヒヅメが分かれていて、反芻する動物しか食べてはならない。
・魚介類では、ヒレとウロコのあるものしか食べてはならない。エビ、カニ、カイはだめ。
・家に帰ったときには、必ずお祈りをしなければならない。
・「安息日」(週に1回)には、絶対に労働をしてはならない。機械に触ることはおろか、食器を動かすのもだめ。
などなど。
厳しいですよね。
こういった決まりごとは、事情に応じて緩めたりしてもよさそうなもんですが、しかしパリサイ派は、それを許しませんでした。
本当に、教典に書いてあるとおりにやらせたのです。
こういったやりかたを形式主義といいます。
さらに、彼らはローマ本国のいいなりみたいなもんですから、民衆たちに重い税金を課しました。
「え、ちょ、キツいわぁー……。誰かなんとかしてくれんかな」
と、パレスチナのユダヤ人たちは心の中でうすうす思っていました。
[イエスの登場]
そんなおり、パレスチナにひとりの青年が生まれました。
彼の名は、イエス。
イエスは、自らがユダヤ教で言うところのメシア(救世主)=信者たちを危機から救うものだと自覚し、パリサイ派の形式主義を批判します。
さらに、ユダヤ教独特の選民思想(ユダヤ教を信じたユダヤ人だけが神に救われる)すらも「まちがっている!」と言いました。
彼によれば、「神の愛(アガペー)は絶対であり、どんな人でもその愛を受けることができる」というのです。
また、「神を愛するのと同じように、自分の隣人も愛せ!」とも言います。
山の上でお説教をしたり、水の上を歩いたり、不治の病を手を触れただけで治すなどという奇跡を起こしたイエスでしたが、そんなイエスに対して、パリサイ派は激怒。
パレスチナのローマ総督、ピラトに働きかけて、「民衆の調和を乱した」とかいう罪でイエスを縛り上げさせ、
そして彼を十字架にかけたのです。
十字架刑って、わかりますよね?
手と足にクギみたいなものををグサッと打ちつけて、次第に出血量を増やし、弱らせて殺す死刑の方法です。
イエスは、死にました。
その場所は、ゴルゴダの丘と呼ばれています。
今日はここまで。
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どうもこんにちはセプテンバーです!
先週は大雪でJRが全路線運休、全車両追い越し禁止、制限速度40kmという前代未聞の状態だった北陸。
今日は久しぶりの太陽がお目見えです。
テスト期間が終わり、しばらく実家に帰ります。
ちなみに今回のテストの主なテーマは
「アグリビジネスによるオルタナティヴフードシステム(AFS)と小規模なAFSの空間的・社会的・経済的異同を述べよ」
と
「近代学校は日常生活から切り離されたところに存在しているということが教育に与えてきた可能性や困難について論じよ」
と
「日本の『司法消極主義』について、それを定義した上で、それを具体的に表す判例を最低でも2つ簡潔に説明し、また、その要因について考察・分析せよ」
でした。
カッコいいでしょ。
ちなみに、3人にレポートの代筆を頼まれました。。。
-----------------------------------------------------------------------
さて、ここから世界史の話。
大学生で一人暮らしなんかしていると、ときどき宗教の勧誘が来ます。
「手をかざすとビームが出ます」
とか
「念波がすごいんです」
とか、そんな感じの←
で、多くの場合、そういった宗教ってまだ信者の数が少なく、知名度も低くて、社会的にも認知されていない。
歴史も新しい。
仏教や神道と比べてみれば、わかりますよね。
そういう宗教を、「新興宗教」と呼びます。
それに対して、すでに社会的に十分受け入れられ、定着している宗教を「既存宗教」と呼びます。
(とはいえ、新興宗教のほとんどは仏教や神道といった既存宗教から派生したものなのですが…)
というわけで、新興宗教と既存宗教の違いなんて、カンタンに言ってしまえば「社会に受け入れられているかどうか」でしかないのです。
でもみなさん、新興宗教って聞くとなんとなく怖いイメージをもってしまいますよね。
それは、多くの人が「カルト宗教」(反社会的な宗教)と「新興宗教」を混同していることもあるのですが。。。
人間というものは、社会的に定着していないもの、新しいものはどうしても怖がってしまう生き物なのです。
今日から宗教の話なので、なんか思ったことを書いてみました。
ちなみに我が家は浄土真宗……だったような気がします←
[パレスチナのユダヤ人]
さて、ローマの話は3世紀の軍人皇帝時代まで進めていたと思いますが、ここで時計を200年ぐらい戻します。
パレスチナって覚えてますか?
そう、ユダヤ教が成立したところですよね。
忘れてるならバック!
パレスチナでは、その成立から1,600年が経った1世紀ごろでも、いまだユダヤ教が元気いっぱいでした。
あれ、でも、大昔に言ったと思うんですが、ローマは多神教(たくさんの神々)を信じる国家でしたよね??
ユダヤ教なんかを許しちゃってていいんでしょうか?
実は当時、ユダヤ教を指導していた祭祀やお偉いさんたちはローマのお偉いさんたちに、
「あの~、パレスチナの方はわたくしどもが支配させてもらっていいでしょうか? もちろんローマさんの方の意向は最大限尊重させていただきますので。。。ぐへへ」
と、やっていたのです。
ローマにとっては、彼らがパレスチナを支配して、しかも自分たちのローマ支配に協力してくれるんだったら、こっちは手間がかからずにすむしありがたい話ですよね。
そして、このようにパレスチナのユダヤ人たちを支配していた人たちは、
ユダヤ教の教えを、ひたすら、ただひたすら、死ぬまで、ただひたすら、守り続けようとしていたパリサイ派というグループに属していました。
まあ、パリサイ派の信者たちが、ローマと協力してパレスチナのユダヤ人たちを支配していたってことです。
パリサイ派の特徴は、マジメすぎるほどマジメ、ということです。
ユダヤ教の教典「旧約聖書」をすみずみまで読み、朝から晩までまったくそのとおりに行動します。
少しでも教典の教えに反するようなことをすると、厳しく罰せられました。
たとえば、
・4本足で、ヒヅメが分かれていて、反芻する動物しか食べてはならない。
・魚介類では、ヒレとウロコのあるものしか食べてはならない。エビ、カニ、カイはだめ。
・家に帰ったときには、必ずお祈りをしなければならない。
・「安息日」(週に1回)には、絶対に労働をしてはならない。機械に触ることはおろか、食器を動かすのもだめ。
などなど。
厳しいですよね。
こういった決まりごとは、事情に応じて緩めたりしてもよさそうなもんですが、しかしパリサイ派は、それを許しませんでした。
本当に、教典に書いてあるとおりにやらせたのです。
こういったやりかたを形式主義といいます。
さらに、彼らはローマ本国のいいなりみたいなもんですから、民衆たちに重い税金を課しました。
「え、ちょ、キツいわぁー……。誰かなんとかしてくれんかな」
と、パレスチナのユダヤ人たちは心の中でうすうす思っていました。
[イエスの登場]
そんなおり、パレスチナにひとりの青年が生まれました。
彼の名は、イエス。
イエスは、自らがユダヤ教で言うところのメシア(救世主)=信者たちを危機から救うものだと自覚し、パリサイ派の形式主義を批判します。
さらに、ユダヤ教独特の選民思想(ユダヤ教を信じたユダヤ人だけが神に救われる)すらも「まちがっている!」と言いました。
彼によれば、「神の愛(アガペー)は絶対であり、どんな人でもその愛を受けることができる」というのです。
また、「神を愛するのと同じように、自分の隣人も愛せ!」とも言います。
山の上でお説教をしたり、水の上を歩いたり、不治の病を手を触れただけで治すなどという奇跡を起こしたイエスでしたが、そんなイエスに対して、パリサイ派は激怒。
パレスチナのローマ総督、ピラトに働きかけて、「民衆の調和を乱した」とかいう罪でイエスを縛り上げさせ、
そして彼を十字架にかけたのです。
十字架刑って、わかりますよね?
手と足にクギみたいなものををグサッと打ちつけて、次第に出血量を増やし、弱らせて殺す死刑の方法です。
イエスは、死にました。
その場所は、ゴルゴダの丘と呼ばれています。
今日はここまで。
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