「受験生のための『世界史B』」 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
ごめんなさいー、前回の記事、文字の大きさがめちゃくちゃになってましたね。。。
今、直しました!
[グプタ朝]
4世紀、北インドにおいて、古代インドで最も強力な王朝が興ります。
ぐぷた朝です。
首都はぱーたりぷとら。
※前回から、何故固有名詞の名前がひらがななのかは突っ込まないように。
ビジュアルの問題です。
全盛期を築いたのは、ちゃんどらぐぷた2世。
おい!
前にも「ちゃんどらぐぷた王」ってのがいたぞ!
――そうなんですね。
まあ、気にせず覚えちゃってください。
テストでまちがえたら即死です。←
ぐぷた朝では、とりわけ文化が花開きました。
筆頭は、サンスクリット語、もしくはサンスクリット文学。
「世界でいちばん美しい言葉」とされ、宮廷で用いられました。
語源は、「完成された雅語」だそうですよ。
そんなサンスクリット文学の最高峰がかーりだーさ。
「しゃくんたら~」という戯曲を書きました。
また、仏教に関してもこの時代にはめざましい発展がみられました。
[仏教の発展]
少し年代は戻って、くしゃーな朝の時代。
首都であったぷるしゃぷらに、アレクサンドロス大王がもたらしたヘレニズム美術の嵐が吹き荒れます。
それはやがてインド土着の仏教と結びつき、がんだーら美術へと進化を遂げました。
本来、インドの仏教徒はブッダの姿を像で表すことはありませんでした。
しかし、ゼウスやらヘラクレスやらといった神々を生き生きと描くことに慣れていたギリシア人たちが
「お前らブッダとかいう神様を粘土で造ってみろや」
と言ったので(よく知りません←)、仏像というものが生まれました。
また、ブッダの没後100周年(おめでとう!)を迎えたこのころ、仏教の教団の間で内部分裂が起こり、教団は
上座部仏教と大乗仏教に分かれました。
上座部仏教は、古来からの仏教の教えどおり、自力で修業して解脱をめざす、キビシイ道のりを支持します。
あしょーか王の布教の成果あってか、セイロン島で栄えました。
対して大乗仏教は、修行もままならないたくさんの哀れな人々を全員もれなく救おうとします。
彼岸に行く船に「たくさん乗せる」=「大乗」ということですね。
ここからわかるように、現代の日本人が信仰している仏教の多くは大乗仏教に属します。
この理論を構築したのはなーがーるじゅな(竜樹)という人物ですね。
さて、時代は進んでぐぷた朝時代。
中国から有名なお坊さん、法顕がやってきます。
ぐぷた朝には有名な仏教学院があり、法顕さんもそこへ行くことにしました。
しかし、入口まで行ってみるとものすごい数の人、人、人。
こりゃあたいへんだ、しかしはるばる中国からこのためにやって来たのだから、いくら時間がかかっていいから一度は入ってみたいものだ。
というわけで、法顕さんは学院に入ろうとする修行者たちの列に並ぶことにしました。
法顕さんが並んだ。
並んだ。
ナーランダー僧院ですね、はい。
……。
この時期の有名な仏教遺跡に、インド西部のアジャンター石窟寺院があります。
グプタ様式で建てられました。
また、ややこしくなりますが、この時期には大昔に栄えてそれっきりだったはずのバラモン教が復活、そこに各地の民間信仰がくっつき、ヒンドゥー教も盛り上がります。
教団の分裂などで求心力を失っていた仏教の信者の受け皿となりました。
[う"ぁるだな朝]
大いに栄えたぐぷた朝でしたが、エフタルの侵入によって滅亡してしまいます。
エフタルといえば、突厥とササン朝の挟撃でやられた、あの民族ですね。
その後7世紀、はるしゃ=う"ぁるだなという人がう"ぁるだな朝を建てます。
しかしこの王朝は鳴かず飛ばず。
以上、インドの統一国家はこんなもんです。
北インド~中央インドが中心ですが、南インドの王朝ならばチョーラ朝という名前だけ覚えておけば大丈夫でしょう。
↑ここから各項目に入れます。
ごめんなさいー、前回の記事、文字の大きさがめちゃくちゃになってましたね。。。
今、直しました!
[グプタ朝]
4世紀、北インドにおいて、古代インドで最も強力な王朝が興ります。
ぐぷた朝です。
首都はぱーたりぷとら。
※前回から、何故固有名詞の名前がひらがななのかは突っ込まないように。
ビジュアルの問題です。
全盛期を築いたのは、ちゃんどらぐぷた2世。
おい!
前にも「ちゃんどらぐぷた王」ってのがいたぞ!
――そうなんですね。
まあ、気にせず覚えちゃってください。
テストでまちがえたら即死です。←
ぐぷた朝では、とりわけ文化が花開きました。
筆頭は、サンスクリット語、もしくはサンスクリット文学。
「世界でいちばん美しい言葉」とされ、宮廷で用いられました。
語源は、「完成された雅語」だそうですよ。
そんなサンスクリット文学の最高峰がかーりだーさ。
「しゃくんたら~」という戯曲を書きました。
また、仏教に関してもこの時代にはめざましい発展がみられました。
[仏教の発展]
少し年代は戻って、くしゃーな朝の時代。
首都であったぷるしゃぷらに、アレクサンドロス大王がもたらしたヘレニズム美術の嵐が吹き荒れます。
それはやがてインド土着の仏教と結びつき、がんだーら美術へと進化を遂げました。
本来、インドの仏教徒はブッダの姿を像で表すことはありませんでした。
しかし、ゼウスやらヘラクレスやらといった神々を生き生きと描くことに慣れていたギリシア人たちが
「お前らブッダとかいう神様を粘土で造ってみろや」
と言ったので(よく知りません←)、仏像というものが生まれました。
また、ブッダの没後100周年(おめでとう!)を迎えたこのころ、仏教の教団の間で内部分裂が起こり、教団は
上座部仏教と大乗仏教に分かれました。
上座部仏教は、古来からの仏教の教えどおり、自力で修業して解脱をめざす、キビシイ道のりを支持します。
あしょーか王の布教の成果あってか、セイロン島で栄えました。
対して大乗仏教は、修行もままならないたくさんの哀れな人々を全員もれなく救おうとします。
彼岸に行く船に「たくさん乗せる」=「大乗」ということですね。
ここからわかるように、現代の日本人が信仰している仏教の多くは大乗仏教に属します。
この理論を構築したのはなーがーるじゅな(竜樹)という人物ですね。
さて、時代は進んでぐぷた朝時代。
中国から有名なお坊さん、法顕がやってきます。
ぐぷた朝には有名な仏教学院があり、法顕さんもそこへ行くことにしました。
しかし、入口まで行ってみるとものすごい数の人、人、人。
こりゃあたいへんだ、しかしはるばる中国からこのためにやって来たのだから、いくら時間がかかっていいから一度は入ってみたいものだ。
というわけで、法顕さんは学院に入ろうとする修行者たちの列に並ぶことにしました。
法顕さんが並んだ。
並んだ。
ナーランダー僧院ですね、はい。
……。
この時期の有名な仏教遺跡に、インド西部のアジャンター石窟寺院があります。
グプタ様式で建てられました。
また、ややこしくなりますが、この時期には大昔に栄えてそれっきりだったはずのバラモン教が復活、そこに各地の民間信仰がくっつき、ヒンドゥー教も盛り上がります。
教団の分裂などで求心力を失っていた仏教の信者の受け皿となりました。
[う"ぁるだな朝]
大いに栄えたぐぷた朝でしたが、エフタルの侵入によって滅亡してしまいます。
エフタルといえば、突厥とササン朝の挟撃でやられた、あの民族ですね。
その後7世紀、はるしゃ=う"ぁるだなという人がう"ぁるだな朝を建てます。
しかしこの王朝は鳴かず飛ばず。
以上、インドの統一国家はこんなもんです。
北インド~中央インドが中心ですが、南インドの王朝ならばチョーラ朝という名前だけ覚えておけば大丈夫でしょう。
ちょうどインドまでが範囲だったのでb
ありがとうございます!
最近ちょっと忙しくて、全然更新できてない状態です。。。
もしかしたらしばらく更新停止するかもしれません。
ご迷惑をおかけします。。。
マイペースでいいですよ!
こちらも助けてもらっている身なので
全然気にしません(´∀`)
いつもおつかれさまです。
そしてお久しぶりです
だいぶご無沙汰してました。。
この間模試を受けたんですけど、このブログの記事何十回も見て臨みました!笑
まだあと一年は活用していく予定なのでよろしくお願いします!
ではでは失礼します
今日ひとつ更新するつもりです!
がんばります。
あと1年ですか、おれもあと1年でどこまで進めるか……笑
ヒマを見て更新していくつもりなので、末永くよろしくお願いします。笑
歴史の流れを確認するために活用させていただいています!
ところどころに小話があって覚えやすく、面白いとすごく思っています。
世界史をやり始めてからカタカナが覚えやすくなったためか、日本史での漢字が覚えにくいことに最近気づいてしまいました、、、笑
セプテンバーさん、漢字ならまだしもひらがなはもっと覚えにくいです(ー ー;)
是非カタカナでもお願いします
もっともっと学校の先生が
知らないくらいの深いどーでもよさげな
裏話とかじつはご存知じゃありませんか?
もしあったなら今後
よろしくお願い申し上げますm(_ _)m
定期テスト前はいつもお世話になってます...
前回の定期テストで世界史学年一位になれました!!!!!セプテンバーさんのおかげです!!!!!
ありがとうございます!!!!!!
世界史は勉強すればするほど、きちんと結果が返ってくる教科のような気がします。
今見返してみれば恥ずかしい記事のオンパレードですが、誰かの役に立っているのならばそれで良しとします……。
勉強がんばってください!