「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

雑草という名の植物はない

2017-02-10 | 雑記
2月10日、日本では雪が降ったと伺いましたが、こちらでも細やかな雪が舞いました。

2月11日は建国記念の日であり、東日本大震災から71回目の月命日でもあります。もうすぐ6年が経ちます。
私は東北被災地という言葉はよく用いますが、「被災者」という呼び方で被害に遭われた方々を一括りにするのは好みません。とくに避難されている方々を被災者数で考えるのは、ひとりひとりの人生から目を背けて、ただ書類上の数字だけを相手にするかのようで、ひどく冷たく感じます。
たしかに行政や研究の観点からは統計上の数値だけで「合理的に」考えるべき時もあるのかもしれませんが、医療従事者は違います。我々は、ひとりひとりの患者さんやそのご家族と向き合うのです。数字は問題ではありません。

だから、私は福島の放射線被ばく対策には強い違和感を覚えてきました。
数字だけが独り歩きして医学的に安全かどうか、心理学的に安心できるかどうかを考えるばかりだと感じたからです。統計学的な処理を行って、平均値だけに注目すると、ひとりひとりの多様性が損なわれることを知っていたからです。我々は、その数値が「平均的な人たち」に安全であるかどうかではなく、この数値は「ひとりひとりの(多様性のある)人たち全員」にとって安全であるかどうかを気にするのです。私が個別化放射線被ばくリスク評価に拘ってきたのはそのためでした。100mSvという数値が問題ではないのです。

かつて生物学の研究に深い関心を持っておられた昭和天皇は「雑草という名の植物はない」と仰ったそうです。もとは日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎博士の言葉なのだそうです。我々は、庭に生える多種多様な草を見て「雑草」という言葉で片付けがちですが、本当はそうではなくて、ひとつひとつ正式な名前がある(あるいは新種の)植物たちです。

被災地の健康安全を考える時、「被災者」という言葉ひとつで片付けるべきではなく、被害に遭われたひとりひとりに向き合うのも大切なのではないか。振り返ると、そのような違和感が私の研究のきっかけの一つだったのでした。