「不可視の両刃」放射線に挑む~若き医学者の英国留学記~

福島第一原発事故被災地での臨床経験がきっかけとなり、放射線医科学を研究しています

福島への恩返し

2016-10-17 | 雑記
クイーンズ大学内はもちろん、日本、欧州、米国などに研究関係で頻繁にメールしています。そして、時折、これまでに書いた論文の問い合わせなどで面識のない方々からメールを頂戴します。例えば、先日、放射線腫瘍学分野で最高峰のジャーナルに掲載された論文に関しては、アルジェリア、スペインなどからこれまでに反響がありました。

今日、米国のある医師からメールを頂戴して、たいへん嬉しく思いました。

2011年の福島第一原子力発電所事故後に、福島県相双地域のほとんどの病院は軒並み閉鎖を余儀なくされましたが、公立相馬総合病院だけが唯一診療を継続し、地元住民の希望の灯を守り抜きました。しかしながら、その時の病院スタッフの奮闘についてはあまり知られていません。
そこで私は、その時の公立相馬総合病院の状況と「スタッフが現場でいかに頑張ったか」を世界に広く知ってもらいたいと願いながら、英語エッセイとして国際医学誌に発表したのでした。「英語では先生のエッセイが読めないんですけど~」と、公立相馬総合病院の数名の親しいスタッフたちにはぶ~ぶ~文句を言われてしまいましたが、世界の読者に伝えるためにはやはり英語で書く必要があったのでした。
エッセイを書くことは研究成果を発表することとは違いますが、こういう活動もまた、いつかきっと相馬のためになると信じて。

Thank you so much for sharing your story!
(貴方たちの物語を共有させてくれてありがとう)

彼女からのメールにはそう書いてありました。
米国のある大学の家庭医療部門長・教授を務められており、さぞかしご多忙であろう医師が、エッセイの著者である私にわざわざ感想を伝えてくれたのです。メールの肩書を見ると、彼女はMD, DPhilという学位をお持ちなので、米国で医学博士取得後にさらに英国オックスフォード大学で博士号を取得されたようですが、その点も英国留学中の私には親近感を覚えました。

「ほら、英語で書いて、良かったでしょう?」と、私は日本に向かって呟きました。

頑張った人たちに報われてほしいから、だから私はあの時の公立相馬総合病院のスタッフには報われてほしいと思ってきました。世界中の人たちに知ってもらいたいと思ってきました。私の活動によって、少しずつでもいいから、相馬を知る人が増えてくれたなら。あの時のことを知る人が増えてくれたら。心から嬉しく思います。
ささやかではありますが、お世話になった人たちへの恩返しになれば
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