「不可視の両刃」放射線に挑む~若き医学者の英国留学記~

福島第一原発事故被災地での臨床経験がきっかけとなり、放射線医科学を研究しています

愚痴ですが

2017-05-15 | 雑記
かつて、私の腕で採血練習をして、手が震えて失敗し、出血痕を残してくれた研修医がいました。

怒るというよりは笑うしかなく、まあ、仕方ないなあと思ったのを今も覚えています。その研修医はきっと屈辱を感じたでしょうし、私も看護師さんたちの目の前での後輩の失態にちょっと恥ずかしかったものです。とはいえ、もちろん、謝罪や賠償などは求めていません。そのような簡単なミスに対してお互い様とまではいいませんが、人間ですから失敗することもあるでしょうし、どんな場合においても親しみと寛容は欠かしてはならないとその時は思ったのでした。しかし、今、はっきり言えるのは「もう二度とその先生には腕を貸さないだろう」ということです。

自信をつけた頃というのは厄介で、最初から自尊心の高い人物の場合は尚更です。
半人前だとしても「一人前として扱ってほしい」と仰りたくなる気持ちも、焦る気持ちもよく判るのですが、私のような実力主義者は半人前の研修医に対して取り繕う言葉なんてそもそも持っていません。何かをお願いする場合でも、そもそも「貸し」しか存在しないような相手に対して、ペコペコするのは私でなくても難しいでしょう。ましてや、そのお願いの内容がその半人前が所属する組織の利益になると思われることであれば尚更です。私の一方的な利益を押し付けるお願いではないわけですから。
「ちょっと協力してよ~」とフレンドリーにお願いするのが、そんなに非礼だとは少なくとも私は感じません。もちろん、人によって感じ方は様々で、先輩から無理矢理要求されたと感じる向きもあるのかもしれませんが。とはいえ、本当の大人であれば、あまりにも多忙なら本業を優先するために最初から断るのもいいでしょう。どうしても気分が載らなくて、最初から断るのもいいでしょう。「すこし考えさせてください」と言われたから「どうぞ検討してみて下さい」と言ったように、無理強いもしていませんしね。
しかし、その後で一旦は引き受けておきながら、半人前の後輩から(一応)一人前の先輩に対して唐突に「大人の社会では個人個人の繋がりは契約や利害、情や感謝などでとても不安定に繋がっているのです。いつまでも先輩後輩ごっこのように無意味に繋がっている学生の世界ではありません。相応の誠意と態度というものを示してください」と一方的に述べて約束を反故にしている光景を見たら、普通の人はどう思うのでしょうか?

しかも、その先輩医師の腕には、その半人前の彼がかつて作った出血痕が残っていたとしたら?

「一人前のつもりでやること」と「一人前」の間には隔たりがあります。まだ半人前でありながら、以前にすこしでもお世話になった一人前の相手に対して、唐突に自分の主観をぶつけるのはなかなか思い切ったことといえるでしょう。私のような浅学非才の歳下に馴れ馴れしく先輩面しているのも自尊心が傷ついてイヤなのかもしれません。
色々と鑑みつつ、いつの間にか、ずいぶんと大人で立派な大先生になっちまったんだな、と腕を見ながらすこし寂しく思いました。

……と、まあ、愚痴ってしまった。

自尊心というものは心の支えとして大事ですが、自己評価と他者からの評価に乖離がある場合、滑稽なことになります。

私自身、以前は田舎で「先生」などと呼ばれて、良い気になっていました(今も自惚れている部分が沢山あるのだろうと自覚しています)。まさに井の中の蛙大海を知らず。自尊心が明らかに今よりも強かったはずです。その時に書いた文章を読み直して赤面することもありますから。しかし、医学を勉強すればするほど自分が判らないことだらけであると気付き、研究すればするほど自己の烏滸がましさを思い知るようになりました。大学病院で勤務していた頃は、そこまで厳しい指導はなかったですが、己の無知や未熟と向き合う機会はやはり沢山あったのでした。まさに浅学非才というべきで、恥ずかしい思いも多くしてきましたし、最悪の場合には患者さんに対してご迷惑をお掛けしてしまったこともありました。今となっては申し訳なく思います。

かつて、病理学を指導して下さった、ある先生が仰っていました。
「最初の数年は、無知ゆえに自分が何でも分かっているような気持になるし、気も大きくなる。しかし、それから無知に気づいて自分が何も分かっていないような気持になるし、自信も喪う。そして、それから謙虚に努力するのがなにより大切である」と。

田舎の病院では研修医とてちやほやされるかもしれませんが、大学病院などの大きな病院では若手医師は掃いて捨てるような扱いをされることもあります。そして、それはある意味で物事の一面をちゃんと正しく捉えています。結局のところ、経験の浅い医師は、やはり、無力に近い存在なのです。それは経験不足であり、能力不足であり、勉強不足ゆえのことです。結局、自分一人では何もできないことに、まず気付かなければならない。自分が誰かに守られていることを知らなければなりません。そして、他者からの評価を求めるのではなく、自分の実力をこそ求めなければなりません。たとえ、悔しく思ったとしても。

医学界は、はっきり言って、実力主義です。

医学界に限らずともそのような業界において相応の扱いを受ける人とは、「その人でなければ出来ない何か」を持っているような、確たる実力と業績を持つ人です。もちろん、医師ならばちゃんと一人前として、まずは独力で医療行為が出来ることから求められるのは言うまでもありません。真に実力のある人になれば、他者に相応の誠意と態度を求めなくても、自然と他者から相応の誠意と態度が向けられるものです。そこには、卒業大学や卒業年次や年齢など、何も関係ありません。半人前が「社会人として」などと、カッコつけても仕方ありません。口ではなく、ただ、能力と実績だけがモノを言います。もちろん、ある程度は年功序列があるとしても、実際のところ、現在の患者さんを多く救えるかどうか、未来の医学に貢献しているかどうかが大事なのです。
それは医師同士だけの話ではありません。患者さんたちにとってもそうです。「私は医師です」と威張っている先生ではなく、とにかく自分のことを診療してくれる先生に対してこそ、相応の誠意と態度を示すことでしょう。敬意を寄せることでしょう。

とはいえ、他人の振り見て我が振り直せ、といったところなのかもしれません。
私にも反省すべきところはあるでしょう。自戒としたいです。
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