はじめての介護保険

今は身近じゃなくても、いつか必ず来る介護の問題。ゆるーくご紹介できればこれさいわい。

「在宅ひとり死」という最期の迎え方。

2012-09-25 13:37:39 | 介護
終末期を住み慣れた自宅で迎え、穏やかに最期を迎える「在宅ひとり死」が注目されているそうです。

 高まる関心、住み慣れた家で「在宅ひとり死」迎えるには?

「在宅ひとり死」と「孤独死」はどう違うのでしょうか。
イメージとしては、「在宅ひとり死」=望んでひとりで死ぬこと、「孤独死」=望まない状態でひとり孤独に死ぬこと、といった感じ。
自分自身がひとりを望むか望まないかという点で、在宅ひとり死と孤独死の線引きがなされるように思いますが、自分の最期を正しく見つめ責任を持って全うできる人は少ないように思えます。

住み慣れた自宅に留まり、軽度の介護であれば介護保険を使用しながら簡単なサポートを受けたい。
サポートは家族を拘束するのではなく、あくまでビジネスとして働いてくれるヘルパーさんに頼みたい。
そう思っておられる方は多いはずで、実際そうしておられる方も多いでしょう。
しかし、終末期ともなるとそうもいかない場合が多いようです。
ご家族や医師の反対で病院へ入院されれば、最期は病院で迎えることになります。
いくらご自身が「最期は自宅で迎えたい」と思っていても、周りがそうさせないように働きかけるというのは悲しい結果です。

「在宅ひとり死」の概念を提唱されている上野千鶴子さんによれば、「「在宅ひとり死」を望むには、回りの意見をはねつける力も必要」と発言されています。
これもなるほどなと思うのですが、頑固に自分の意見を発することが果たして「意見」として受け止められるのかという点に不安を覚えます。
高齢である要介護者が発する意見は、時に「痴呆のせいでわけがわからなくなっている」と捉えかねられません。
ご家族からすれば、自宅でひとりでいるより病院に入ってくれる方が安心だし……という思いもあるのでしょう。
しかし、自分自身の最期を自分で決めるという意味では、早い段階から「自分はこういう風にして死にたい」と周囲に話しておくことが必要になってくるのではないでしょうか。
その場の感情で言っているのではなく、昔からこういう最後を望んでいたと周囲が納得してくれることが必要なのだと思うのです。

自分の望む最期を得るには、「本人の強い意志」「経済力」「家族の同意」が必要になると言います。
簡単な生活の介助を求めるためにはヘルパーさんが必要ですし(ただし、介護保険を使用すればかかった費用の1割の自己負担で済む)、終末期を自宅で迎えようとすれば24時間対応してくれるようなヘルパーさんの介護体制が必要となります。
後者は介護保険を使用したとしても年単位で考えると大変な費用ですが、ここは自宅で最期を迎えるためには必要な経費です。
経済力が必要というのは、そういう意味で自宅で最期を迎えるためにはある程度の資金が必要となります。
自分の意見を通すのに、資金だけは援助してくれというのも道理が通らないですし、自分の望みをかなえるためにはある程度早い時期から資金面での準備をはじめておく必要があります。

そうした資金準備ですが、「貯蓄」のほかに、民間「介護保険」に加入するというのも手ではあります。
公的介護保険での1割の自己負担をカバーしてくれるものや、一定期間一定額を給付してくれるようなものもあります。
自分の描く終末生活をイメージしながら、どういったタイプが自分に合っているのかを考えて加入を検討されると良いかと思います。

介護にかかる費用などを簡単に分かりやすく説明したサイトなどもありますので、こうしたサイトで将来の負担額を計算してみるのも良いですね。

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