20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆ディーリアス:二つの水彩画(フェンビー編)

2017年06月25日 | イギリス
○バルビローリ指揮ロサンゼルス室内管弦楽団(DA,VIBRATO:CD-R)1969/11/17LIVE

ウォルトンなどと一緒に演奏・放送されたもの。この曲は非常に簡素なオーケストレーションの施された弦楽合奏曲で、合唱曲「水の上の夏の夜に歌わる」から編纂されたものだが、動きのない和声的な一曲目と、民族舞踊ではあるが「早くはなく」との指示があるいかにもディーリアス的な二曲目からなり、演奏技術よりも、いかにアーティキュレーションを効果的につけるか、表現の振幅をこの揺れの無い微温的な楽曲のうえに描き出すかが鍵になっている。バルビは好んでこの曲を演奏したが、ディーリアスの他の「簡素なほうの」曲で示した独自の耽美世界をここにも描き出そうとしている。しかし曲自体それほど長くも激情的でもないだけに、バルビ的というほどの個性はきかれず、フレージングの節々でみられる微細なポルタメントなどバルビ特有のものはあるものの、爽やかに聞き流せてしまう。いや、この曲ではそれで十分か。○。録音の位相がおかしい。元からの可能性もあるが、左右逆かもしれない。

※2007/4/3の記事です
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☆ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲

2017年06月25日 | イギリス
○ジースリン(Vn)フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)live

ライヴならではの瑕疵が独奏者・オケともども相当にあるものの、しかしそれを力技で押し切ったような演奏。技量に沿わない高速で、「良く言えば」若々しさを前面に出し切ったような力感、結果指が回らなかったりとちったり何弾いてるんだかわからない部分が散見されたりと、コンクール的視点からだと「悪い意味で」やばい。だが何かしら、英国やその他「綺麗に弾こうとする」国々の演奏家と違った、「これでいいのだ」の魅力がある。フェドもフェドで褒められたバックアップではないが、独奏者とマッチしてはいる。技巧的にめろめろと言ってもいい演奏だが、ウォルトンのバイコンと言われて真っ先に思い浮かぶのは、この演奏だったりするのだ。○。前は細部まで聴くスタンスじゃなかったのでベタ褒めしてしまっていましたねえ。

※2009/10/8の記事です
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ルーセル:交響曲第4番

2017年06月24日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮ORTF(forgottenrecords)1960/02/11live

派手でガツンガツンくる精力的な演奏で、謎めいた暗闇、あるいは浅浅しい律動を一貫して意味あるものとして、正面から突き通していく。スピードや力感こそミュンシュを思わせるも、ミュンシュ特有の肉感的な変化の付け方はせず、音色はカラフルで旋律はリリカルで、そこにド派手な音響で有無を言わせない。ブランコにこういう暴力的ですらあるやり方ができたのか、という面と、ルーセル適性を強く感じる。ルーセルの中でもクセのある構成の交響曲だと思うのに、ベートーヴェン的起承転結がついて、拍手でおわる。モノラル。
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ラヴェル:マ・メール・ロア組曲

2017年06月24日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF(forgottenrecords)1961/7/4live

モノラルではあるがこれは素晴らしいライヴ。アンゲルブレシュトのちから強く確信に満ちた表現に心奪われる。七曲それぞれ夢幻溢れる美しく無邪気で、時に劇的に、最後には春の光差す庭園の緑の霞むが如く管弦楽版を感情的に…感傷的に描ききっている。アンゲルブレシュトは独自の編み方をしているが、ライヴ記録なりの迫力があり、オケも瑕疵なく一心同体となってラヴェルの世界を展開していく。拍手も盛大。
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ラヴェル:マ・メール・ロア(ピアノ四手原曲)

2017年06月23日 | Weblog
ダルレ、フェヴリエ(p)(forgottenrecords)1958/6/17パリlive放送

放送エアチェックか、混信的なノイズが入る。この原曲の難しさがよく伝わってくる。ラヴェルのお気に入り(というか友人の子供という感じで可愛がった)フェヴリエは後年のような遅いテンポはとらず速いダルレにつけているが、いかんせんテンポ感や、こんな重音アリかというような響きの調和において、ズレを感じさせる。この不格好さはライヴだから仕方ないともいえるし、フェヴリエのタッチにクセが強いせいのようにも感じた。よたるというか、音圧のかけ方に偏りを感じる(Adesセッション録音集ではスピードを落としてもペルルミュテールなどにくらべ音色はともかく表現にクセは残っていたように思う、、、サイン入りLPが二束三文で出ていたなあ、CDあったから買わなかったけど)。雰囲気(音色)はギリギリというか、ラヴェルなので、繊細にするにも単純なのに工夫が強すぎて限界があり、録音状態のせいかもしれないが、強過ぎる寸前の感。妖精の園はそれでもゆったりとしているから、終わりの方はリズムも交錯しないし無茶な重音もないので、鐘の音の下で木琴のグリッサンドのように残響のないタラララをやって、拍手は普通。
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ミヨー:エクスの謝肉祭

2017年06月23日 | Weblog
ダルレ(P)デゾルミエール指揮ORTF(forgottenrecords)1947/10/30パリlive放送

ラヴェルが嫉妬したといわれるバレエ音楽「サラド」の改作op.83bだが圧倒的にこちらのほうが有名である。民謡調と世俗味に彩られた12曲の旋律音楽はミヨー好きにはむしろ分かりやすすぎる剽窃感あふれる即物的な雰囲気を持つが、特有の和声感や構成感は若干のノイジーなものも含めて至るところに顔を出し、六人組の一員として時代の先駆にいた、この作風をずーーーーーーっと1970年代まで貫いたんだ、という嚆矢の初々しさを味わうのも良い。ヴァイオリンの超高音の下で滑らかにピアノが流れるなど、どちらの楽器も良くしたミヨーならではの感覚が活きたりしている。録音がややノイジーで古ぼけているのと、デゾルミエールのどこか緩いのにテンションの高い伴奏ぶりが気になるところもあるが、ミヨーの書法には気合を入れないと弾けない側面はあり、そこをデゾは理解しているともいえる。意外と色彩感は出ていて、ダルレの鮮やかだが力任せには決してしない弾きっぷりと合わせて、往年の色褪せた演奏の感はしない。この音楽の「現役感」はさすが同時代+後代の音楽の擁護者デゾ、メシアンはさすがに厳しかったがジョリヴェは立派にやっていたし、ミヨーだともう時代的には同志ということになろう(サティをめぐっては総体としては離反した六人組のあとにアルクイユ派と称し入ってきたわけだが)。
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ドビュッシー:チェロ・ソナタ

2017年06月23日 | Weblog
ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(forgottenrecords)1957/9/22live放送

互いに良く知った曲ではあるが、ここではかなり落ち着いた雰囲気より始まる。プロローグはなかなか聴かせる。セレナーデからフィナーレにかけてジャンドロンの腕の衰えがかなり感じられるところがあるが、スピードも起伏も抑えることなく、やろうとしていることはわかる。雰囲気(響き)の調和はフランセの機械的ながらも柔らかく細かい音のうえにしっかり作られており、大ミスがあったにしても温かい拍手で終わる。録音はややノイジー。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲

2017年06月23日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF(forgottenrecords)1958/6/21シャンゼリゼlive

五曲を選んでのライヴだがina.fr配信のもの同様、録音の悪さ、弱さは気になる。ただこちらの方が盤であるせいもあってか音の迫力はいくぶん大きく、そのぶんオケの乱れやミスが目立ってしまってもいるのだが(やはり機能性を売りにしていないオケにとってストラヴィンスキーは鬼門のようだ、野暮ったいところもある)ドスンドスンと重く壮大にやるアンゲルブレシュトのロシア物への流儀が後半適用されており、抜粋だから盛り上がりどころを分散させてしまった感もあるが最終的には凄みを感じさせる。客席はまあまあの反応。
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☆アイヴズ:ウィリアム・ブース将軍の天国入り

2017年06月23日 | アイヴズ
○ドレーク(B)グレッグ・スミス指揮コロンビア室内管弦楽団、グレッグ・スミス・シンガース(COLUMBIA)1966/5/4・LP

前衛手法がかなり露骨に使われている人気曲である。昇天の皮肉な情景に見えなくも無いがちゃがちゃした内容だが、弦の驚異的なグリッサンドや微分音(だと思うんですけど譜面見てません)の繊細な「ざわざわ感」や叫び風の合唱など、交響曲第四番二楽章にも使われた素材のカオスはこれはベリオかと思わせるような感じだ。部分的にはストラヴィンスキーの初期作品の構造的なバーバリズムを想起させたりと、アメリカ住まいのストラヴィンスキーも私的演奏会に通ったという(しかし微妙な)精神的近似性もさもありなんと思わせるところだ。表出力に優れかっこいい演奏であり、まずはこれでも十分楽しめるだろう。室内楽的で、なかなか緊密だがしかし自由さもありよい。歌唱はろうろうときをてらわないものだ。(救世軍のブース将軍のこと)

※2006/3/23の記事です
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☆ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

2017年06月23日 | ボロディン
○ポルトロニエリ四重奏団(columbia)SP

この楽団の国民楽派録音では他にドヴォルザークのアメリカ全曲、チャイコのアンダンテカンタービレがあるというが未聴。しかしpristineで復刻されたマリピエロが余りに素晴らしかったので盤面状態を顧みず買ってしまった。ノイズリダクションの課題はあるものの演奏自体はやはり素晴らしい。トスカニーニのようだ、という表現が正しいか。歌心を保ちながらもオールドスタイルからは一歩抜け出したテンポ設定。ボロディン2番はグズグズになりがちなので即物的なスタイルになる演奏も多くプロ奏者には決して受けない印象があるがこれは、ほんとに細かいところで作為がうまく組み込まれており、とくにソリストとしても活躍したポルトロニエリの全体の流れを乱さないフレージングの独特さ、ルバートのかけ方が素晴らしい。細かい指摘をするのが好きではないので所を明確にはしないが1楽章の「この二度目は付点音符を切ってくれ!」と常々思っていた個所、4楽章の「ここの付点音符はよたったように詰めてワルツ感が欲しい!」と常々思っていた個所が悉く解釈として提示されているのに瞠目した。俺100年前の人間だったのか。そうじゃなくて、これは決してでろでろではないが、確かに「音楽を解釈することで人を楽しませた時代のアンサンブル」なのだ。スケルツォの勢いも素晴らしい。ノクターンは全体の中ではいささか長い感じがするがSP奏者にありがちな音のヨタりがなくかといって単調な美観をはっするでもない、イタリア四重奏団の古い録音の音を思い出す良さを発揮している。◎にしないわけはハッキリ、私の盤の状態の悪さが邪魔して真相が見えないところがあるから。あと、4楽章序奏部フレーズの繰り返しがカットされているのも痛い。4楽章はどうも急いて終わってしまう(盤面にして僅か一面)。夜想曲の人気が高かったからと言ってこれは全体構成上おかしい。○。
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☆グリエール:交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」(1909-11)<完全版>

2017年06月23日 | Weblog
ファーバーマン指揮ロイヤル・フィル(UNICORN-KANCHANA)1978/12/14,15,17・CD

<ここにはムソルグスキー(2楽章)、チャイコフスキー(4楽章)、グラズノフ(3楽章)、スクリアビン(2、4)らの、それまでの全てのロシア音楽が包蔵され、一方でワグナーからリヒャルト・シュトラウス、マーラーといったドイツ・オーストリア世紀末音楽の残響(1、2)、プロコフィエフに繋がるような民族的主題の現代手法による料理(3)、兎に角さまざまな20世紀初頭的要素が混在している。この一曲でロシア民族楽派の終焉と新しいソヴィエト音楽の夜明けが体験できる。無論表題交響曲であるから劇音楽風だが、内容的にもチャイコフスキーの悲愴を思わせる結末では、それがリストの影響色濃いロシア楽派本来の伝統だと気付かされよう。この曲が革命に向かって雪崩落ちる帝政ロシア最後の爛熟大作であることを考えるとさらに感慨深い。スークのアスラエル(死の天使)交響曲と並び、近代と現代の過渡期における最後の民族主義交響曲として、これからも長く名を残すであろう。グラズノフと一括りにされることがあるが、グラズノフが結局ロシア帝国時代の作曲家であったのに対して、グリエールは新しい時代の作曲家であった。この差は聴けば歴然である。>

~なっがーーーーーーーーーーーーーーーい!!
45分目処の曲だと思ったら大間違い、ほんとの全曲版は93分かかるのだ。短縮版と同じく4楽章制で各楽章の表題も同じ。全楽章がだいたい半分くらいに縮められているのがわかる。長い英雄譚の筋書きに基づいて書かれている表題音楽だが、ワーグナーの楽劇が必ずしも話の筋を知らなくとも楽しめるように、「イリヤ・ムーロメッツ」という人物がどんな波乱に満ちた人生を送ろうとも、それから解き放たれて自由に想像を膨らませることができる。大編成のオーケストラでこれだけの長さをもった誇大妄想的な交響曲を書いたロシア人はグリエールぐらいだろう。この作品をもってグリエールは世紀末的な爛熟したロマン性を包蔵した音楽を書くことを止めてしまう。革命後、まるで社会主義体制に寄り添っていくが如く、簡潔で平易な作風に転じる。社会主義リアリズムの思想に賛同し、積極的に体制側につく。いくつかのバレエ音楽で知られるがいずれもこの作品のようにドロドロした暗いロマン性は微塵も持たない作品となっている。まあ、そうはいうもののイリヤ・ムーロメッツは西欧の世紀末音楽に比べればずいぶんと簡単でわかりやすいものであり、「わかりやすい」ことこそがグリエールの本質なのかもしれない。旋律の魅力はグラズノフほどではないにせよその後継者たるべき素質は十分にあったわけである。だが、短縮版で目立ったメリハリある表現、魅力的な旋律は、この完全版で聞くとのべつまくなし、やたらと繰り返されていいかげんイヤになるほどである。比較的ゆっくりとした部分の多い楽曲の中で唯一グラズノフ的な祝祭的雰囲気を持つ、スケルツォに相当する3楽章は、7分(短縮版で5分弱)かけて気分を浮き立たせるが、他の楽章が27、8分という異様な長さのため、それらの中であまりに目立たない。2楽章など私は好きなのだが、まるでスクリャービンの後期交響曲の法悦的場面がえんえんと続くような生暖かい楽章となっている。いや、スクリャービンを通して見たワグナーの影響と言った方が妥当か。最初は好きだから楽しんで聞いているのだが、そのうち「おいっ!!」とツッコミを入れたくなるほど長々と続く法悦に嫌気が差してこなくも無い。終楽章なども長い。寝てしまう。ムーロメッツは石となって死んでしまい、ほかのすべてのロシアの勇士も死んでしまうという悲愴な楽章だが(いかにも帝政ロシア末期的発想だ)まあ楽想は面白いものの、ここまで長々とやる必要があるのか?と思ってしまう。まあ、1楽章もそうなのだが。ファーバーマンは定評ある指揮者だが、若干綺麗すぎる。ロイヤル・フィルのチャーミングな音色も曲のロシア色を薄めている。だがしかし、もしロシアの演奏家による全曲版を聴いたとしたら、あまりの脂身の多さにヘキエキすることは間違いなく、やはりこのような穏やかで美にてっした演奏こそが正しいやり方なのだろうとも思う。録音が弱い。もっとメリハリのある音がほしい。・・・とりあえずは参考記録として無印にしておく。この他に完全版の録音を知らないから相対評価できません。NAXOS盤は全曲版と称しているがどう考えても70分台に抑えられるとは思えないので、あやしい。(未検証ですが。)

※2004年以前の記事です
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グリエール:交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」(短縮版)

2017年06月23日 | Weblog
ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor/andante他)1940/3/27・CD

ストコフスキーは作曲家本人了承済の短縮版を使用していたが大曲志向のストコフスキー、せめて構成的に偉大な盛り上がりを作る終楽章くらい切らないで原典でやってほしかった。表題交響曲ではあるが世紀末爛熟交響曲としてはスクリアビンの跡を継ぐ(二楽章が露骨な)作風であり、しつこいくらい繰り返されるモチーフのカッコよさ、噎せ返るような総合的な響きはせっかくフィラデルフィア管弦楽団なことだし、とくに妖しい色彩をはらむ二楽章は新しい音で聞きたいもので、想像力をもって補わなければならない戦前戦中録音だと辛いところもある。それでも同曲をこのんで録音したストコフスキーのSPの中でも新しい方で、グラズノフ流の三楽章の素直な力強さはこのオケの弦楽器の骨頂をみせているのが(まあまあ)聴き取れる。ノイジーだが音そのものはクリアはクリアなのだ。音に少しキレがなくなってきているのは、トスカニーニにも似たイケイケスタイルだったのが独自のぼわっとしたボリュームに特化した音表現に変わりつつあることを示している。テンポ的にはまだ押せ押せではあり、迫力はある。四楽章はもういきなり暗闇から焦燥感が飛び出し、切り詰められたドラマが音色変化の鮮やかさやリズム処理の常套的だが効果的なさまを次々ハイハイと提示してくる。長々しく楽しめる版ではないので、耳を峙てできるだけノイズ除去しリバーブをかけてしっかり聴いてほしいところである。モチーフをくっきり浮き立たせ、回想的フレーズを織り交ぜつつ壮麗な響きを背景にチャイコフスキーふうの構造を盛り込んだドラマをこれでもかと積み上げてから、各楽章にあらわれる主題の明確な回想を走馬灯のように流しつつ退嬰的に終わる。後半はいいのだが前半端折ってしまうのが、どうにもこの版のいただけないところだが、グラズノフ&チャイコフスキーという終わり方は好きな人はとても好きだと思うし、そのように切り詰めた版として全曲版より好む人もいるだろう。

(後補)CD化していた。音質もかなり良いとのこと。以下過去記事(2004年以前、andante盤評)より改めて転載します。

ストコフスキ/フィラデルフィアの録音は戦前戦中の時代にしては驚異的な良い音で残されている。この録音も古さは感じるものの聴くのにとりたてて支障はない。また、短縮版とはいえ46分を要しており、十分な聞きごたえだ。3楽章がちょっと短い感じはするが、長い曲が苦手な人にはオススメではある。この曲を駄作と断じる人もいるようだが、帝政ロシア末期という爛熟した時代の産んだ最大の記念碑的作品であり、グラズノフのつたえた伝統をしっかり受け継いだ作品としても重要である。そんなにしゃっちょこばらなくても、多彩で美しい旋律だけを追っていても十分に楽しめよう。晦渋さは無いとは言わないが殆ど気にならない。旋律の流れは分厚い音響に埋もれることなくきちんと自己主張している。この演奏はそのあたりの配慮が行き届いているので、「ロシア物?チャイコフスキーくらいしか知らないよ」という面々にも理解しやすく出来ていると思う。ストコフスキの面目躍如、颯爽と、さわやかに、ロシアの昔話を語ってみせたかれの非凡さに打たれた。なんだかんだ言っても録音が古いので、○ひとつとしておく。それにしてもああ、何て面白い曲なんだろう。
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ラヴェル:スペイン狂詩曲

2017年06月23日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1959/04/17ジュネーヴlive放送

放送エアチェックレベルのノイズや撚れが気になるモノラル録音。中プロとして演奏された、得意のラヴェルである。色彩的で力感もかなりのまっとうな演奏であり、音色は透明でアンセルメ的だが表現はフランスの指揮者である。細かい音符まで明確に聴かせる指示もこのオケにとっては当時お手の物だったろう。ロザンタール的なテンポの落ち着きはあるが、打楽器の重い音による派手っぷりは少し違う。技巧的にも問題ない(すこうし反応が遅いか)。壮絶な終曲にブラヴォ終演。
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シャブリエ:スペイン

2017年06月23日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1959/04/17ジュネーヴlive放送

ポルトガルの指揮者にしてフランスで活躍したブランコにとってラテン物はお手の物だろう。明るく、しかし開けっぴろげにはせず、軽快に楽しくやってのけブラヴォで終わっている。モノラル。
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プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

2017年06月23日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1959/04/17ジュネーヴlive放送

録音状態は放送エアチェックレベルで3楽章からはノイジーで聴きづらいところもある。モノラル。これは一楽章冒頭から超高速インテンポで度肝を抜かれる。ボレロとは真逆、音に全くこだわりなく心のない即物的解釈。こんな極端なのは逆にブランコの個性だろう。ただ設計の通りらしいのは展開部から中低音域に重みが出てきて、それらしい「音楽」になってくるところで、再現部に頂点を持ってくるよう意図されているのだ。中間楽章はまともだし瞬間的には恣意的なルバートもかかるし、何より四楽章で一楽章主題の再現は盛大なフォルテにより盛り上げている。緩急の緩が意図的に暗くせず流されているのはブランコならではだが、変な思い入れのある演奏「にすべきではない」曲という考えもあるのかもしれない。ラストの軽快な版の選択も当然で、客席は大ブラヴォ(この日のメインプロである、恐らくアンコールを除くコンサート全曲がこの盤におさめられている)。独特のライヴを聴きたいならお薦め。frの発掘音源でブランコをシリーズで復刻している。スイス・ロマンドはアンセルメに鍛えられた技術、透明で明るい色調へのこだわりを良い方向に持って行っている。曲のローカル色を廃しフランス的な音響配置によりむしろブランコとの相性がよくなっている。
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