20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆ミヨー:弦楽四重奏曲第6番(1922)

2016年12月13日 | フランス
○タネーエフ弦楽四重奏団(melodiya)LP

プーランクに献呈されている。短調で始まるミヨーの室内楽というのは余り聞かないように思う。とくにこの曲の冒頭主題はあきらかに古典派を意識したものでありちょっと聞きミヨーかどうか迷う部分もある。もっともこのくらいの時期のミヨーの作品にはシェーンベルク派や新古典主義なども顔を出し、晦渋さがいっそう濃くなってはいるのだが。よくオネゲルは晦渋でミヨーは明るい、という誤解があるがミヨーはそもそも聞かれる曲が限られているので、なるべく多くを聞いていくと、作風の傾向として両者ともに晦渋さも明るさも兼ね備えており、実はその両者の傾向がよく似ていることがわかる。作品ごとの性格分けがかなりしっかりしている点で両者ともにやはりプロフェッショナルなのだ。オネゲルにミヨー的な高音旋律を聞くこともあれば、この曲のようにミヨーに非常に目のつまった隙の無い構造を聞くこともできる。また両者の室内楽に共通する雰囲気としてルーセルやイベールの室内楽(の無調的なほうの作品)も挙げられよう。

この盤に同時収録されているオネゲルの3番より、寧ろこちらのほうが計算ずくで斬新さもあり、よくできていると思える。難しさで言えばある種「作法」に囚われたオネゲルのものよりこちらのほうが数段上とも言える。それは単に弾きにくいということではなく、書法的に難しくできているということだ。ただ、両作とも「名作」とは言いがたいのは難点。どうも頭で書いた作品という印象が拭えない。まあ共に短い曲だが、なかなか曲者だ。タネーエフはとても巧い。内声のぎゅうぎゅうに詰まったミヨーの作品で旋律性を如何に浮き彫りにするかは重要だと思うが、タネーエフは正直その点十全とは言えないものの、この「外様の曲」をやはりショスタコのように料理して、しなやかにまとめている。ミヨーって凄いな、とつくづく感じられるのもタネーエフのびしっと律せられた演奏のおかげか。ミヨーが「勢いで演奏すべき類」の作曲家ではないということを証明する意味でも、よく表現していると思う。○。
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