20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2017年04月21日 | Weblog
トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団(IDIS他)1942/2/8(18?)・CD

セッション録音。YouTubeでも聴ける。18日表記のものは誤りと思われる。演奏全体としてはひたすら直線的で原典主義者ここにあり、といった感じである。あまりの即物性ゆえこの音楽の持つ湿った感傷性がさっぱり洗い流されて、何が面白いのかさっぱりわからない演奏となってしまっている。フィラ管は非常に表現力豊かな楽団であり、この指揮者をもってしてもある種の官能性が染み出てくる部分はあるが、それも悪い録音のせいもあり気付かないほうが多勢だろう。オケも調子がいいとは言えない。このオケにしては、たとえば3楽章の弦の刻みが繰り返されるたびにちょっとバラケてきてしまったり、勢いにまかせどんどん走っていってしまいそうになる場面もあったりと結構ヒヤヒヤもの。でもまあ崩れずに終わるのがさすがトスカニーニである。トスカニーニは時に余りに力強すぎる。4楽章の悲痛な音楽、ドラマティック過ぎる。まるでテカテカのボディビルダーが力いっぱい慟哭しているような、もはや繊細な作曲家チャイコのカケラもない音楽で苦笑してしまう。そういえばこの演奏で弦にポルタメントがかかるのはただ一個所だけで、フィラ管としてもこの時代の演奏様式からしても特異。指揮するヴェルディに「その指示、譜面に書いてない」と盾突いたトスカニーニの筋金入りの原典主義は、もはやそれそのものがエキセントリックな一つの芸風として孤高の位置を築いているわけだが、トスカニーニがまったく譜面に解釈を付加していないかといえばそうでもなくて、とくに旋律表現における意外と細かい歌いまわしや緩急自在の音量変化には少なからず感情的な迸りを感じる。「カンタービレ」という言葉をよく使ったそうだが原典主義の前にトスカニーニの中にはまずイタリア人らしい歌心が鎮座しているというわけである。いろいろ書いたが、結論。はっきり言えば聞かなければいけない演奏ではない。マニアでもRCA録音があれば十分だろう。無印としておく。,
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