20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2017年06月22日 | 北欧・東欧
○ロストロポーヴィチ(Vc)クーベリック指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1976/2/16live

いよいよもってソロは円熟味を増し無理も強引さもなくなめらかに大きな音楽のうねりを作っていく。ロストロ先生絶頂期の記録といっていいだろう。だがバックがジュリーニ並に大きくさほどうねらないのが意外だ。クーベリックがアメリカのオケを振ると時々こういうライヴになる。無個性的ですらある。ほんと老年ジュリーニに似ている気がする。演奏総体としても、ジュリーニや小澤あたりのバックとつけた正規盤に近い感じがし、しかし膝録ゆえ音がヘンな遠近感で聞こえるゆえ、評価はし難い部分もあるが、とにかくロストロ先生の音がインホール録音にもかかわらず「マイクなんか使わずに」ダントツでオケを抑え雄弁に、がっちりと語りかけてくる。ゆえ、真ん中の○としておく。最後の爆発的なブラヴォーに、臨席できなかった無念を思う。絶頂期ロストロ先生のドヴォコンを聞けなかった無念を。まさに低弦の王はカサルスではなく、この人であった。

※2007/2/26の記事です
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10 Comments

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カザルスはねぇ・・・ (けん)
2007-02-27 12:50:30
蓄音器から流れるカザルスが弾くフォーレのエレジー。
生まれて初めてクラシックを自分の意思で聞いた男が滂沱の涙を流していた。
カザルスの演奏はそう言うもんだと思うよ。
ロストロほどの派手さはない。
でも心の奥底に優しく入っていく人だと思う。
王という言葉 (岡林)
2007-02-27 14:33:50
何かカサルスに対して王の字を付けた評論家が大昔にいたので、その皮肉をちょっと入れてみました。実のところはカサルスはひたすら練習の鬼で、感情的なものを多大に持っていたようですね、完全にソロ・室内楽向きだったのは残された録音の量でも知れるところですが。。ロストロさんはなにやらもう練習とか意識してやるレベルではない感じを受けるんですよね(ショスタコーヴィチフェスティバルで聞いたピアノ三重奏2番ではさすがに衰えを隠しきれませんでしたが)。チェロ奏法の歴史はよく知りませんがロストロ先生がいたから現代チェロ奏法は確立したとか、わかったようなわからないような説も見るにつけ、王だなあと思いました。そうとうに性格的なアクの強い点では両者譲らずかもしれませんけど。

カサルスは精神性、ロストロは技術と力でしょうか。政治的活動に積極的だったのは共に同じですが、環境がさせたものですしちょっと問題が違うかもしれませんね。
奏法 (けん)
2007-02-27 16:07:53
カザルスからだよ。
親指を使って鍵盤楽器のようなフィンガリングもカザルスからだ。
もっともカザルスはその親指使いを誰かから教えてもらったようだけど。
カザルス以前は脇の下に本を挟んで弾くと言う奏法だったらしい。
俺は疑っているけど。
そのような奏法だったらハイドンのチェロコンチェルトは絶対に弾けない。

ロストロが日本に来た時、演奏後、阪神大震災の事をコメントで言った時に、意味が分からずに客が笑っていたのが非常に悲しかったなぁ。
意味が分からないのならとりあえず黙っとけと言いたい。
あ、そうなんですか (岡林)
2007-02-27 16:45:30
勘違いしてました!

>親指を使って鍵盤楽器のようなフィンガリングもカザルスからだ。

これ、チェロでもあるんですね。ヴァイオリンなんかでは楽器を完全に顎で支え、左掌はネックからほぼ離れるようにして、指を立て上から押さえる「音程が確実な」鈴木メソッドみたいなやり方(元はドイツ奏法?)もあれば、あるていどネックを左手の掌で支えてもいい、指を寝かせて弾くなんて人もいたりします。人によりけり曲によりけりですけど。

>ロストロが日本に来た時、演奏後、阪神大震災の事をコメントで言った時に、意味が分からずに客が笑っていたのが非常に悲しかったなぁ。

必ず何か一言語りかけてきてくれますね。あんな人が山の中の小学校で小澤氏とコンサートして廻ったりしてくれていたのが凄いなあと今になって思います。

しかし映像資料などを見ていると相当闘争的なことも言ってたりしていて、カサルスの著作などを見てもそうですけど、そのくらい何事にも強い主張を持てるような性格でないと、音楽に対しても厳しくなれないのでしょうね。
後出し (田豊)
2007-03-02 02:41:30
「カザルスからだよ。」でしょう。後出しですが、シュタルケルも「カザルスは、同時代の演奏に熱心でなかった。(その存在の偉大さからして不満)」といっていますが、スタートはカザルスでしょう。

フォイアマンは、楽屋で馬鹿テクやって、ハイフェッツがバイオリンでやるために意地になって練習していたらしいですが。
奏法の革命 (岡林)
2007-03-02 07:36:55
とはいえあくまで録音からの感想ですが、ロストロ先生はボリュームも音色も強靱な表現もあきらかに違い、同じく亡命組ピアティゴルスキーにも似たところがありますがカサルスにくらべ時代の差や接点のなさは別にして、現代的な技巧重視・音の無個性化の発端になっているように聞こえます。カサルスは自著でも当時の現代音楽を激しく批判してますね。活躍した時代の差は否めないのは確か。師弟関係は忘れてしまったので、東西両流派の源泉はわかりませんが、いわゆる国家的プロジェクトとしてロストロ先生らが生み出された背景はありそうです。シュタルケルの名がそういえば出てませんでしたね。
ピアティゴルスキーの本 (岡林)
2007-03-02 10:34:18
朝から速読してしまいました(^^ゞカサルス、ピアティゴルスキー、ロストロ先生は時代も流派もまったくずれてますね。カサルスは19世紀との重要な接点となる革新家にして思想家、ピアティゴルスキーはロシア革命初期からロシアの伝統にも背を向け亡命後ひたすら場数で勝負した現代音楽黎明期の技巧家、ロストロ先生は密出国したピアティゴルスキーのあとにソヴィエトの切り札として出てきた天才、年の差以前にプロとしての世代も背景も環境もぜんぜん違う。ピアティゴルスキーなど初期訓練以外は諍いを繰り返し結局特定の師匠の弟子にはならなかったみたいですし。憧れのカサルスに呼ばれゼルキンとやったときの失敗演奏を賞賛され腑に落ちないまま数年後再会したときに、意図をとうたときに突然チェロをとりここの運指が思いもよらなかったここのボウイングがよかったなどと子細を指摘してから、誤りを数えることなど馬鹿げた行為だといった話が印象的でした。ちなみに弦を弾けない指揮者への批判やチェリストから出発したのに絶対音感と完璧主義からチェロを弾けなくなったトスカニーニの話も鮮烈でした。フルヴェンとの親密な話はもうそんな次元じゃないですが。
そういえば (岡林)
2007-03-02 13:00:04
チェリスト出身指揮者といえばバルビローリがかなりの腕だったといいますが、弦楽四重奏団を組んでいた時期(SP期、RVWの幻想五重奏曲を含めけっこうあるはず)やライヴ記録(一部はCD化、バッハの無伴奏もある)を集成したソサエティ監修CDはいつ出るんだDUTTON・・・「弦のカンタービレ」を表現しうるのは弦楽器演奏の経験の深い指揮者のみ、とはピアティゴルスキーの時代から言われてたんですね。バルビはちょっと異常にこだわるところがあったみたいだけど。
ドヴォルジャーク変態派 (田豊)
2007-03-02 14:57:14
実は、ピアノ協奏曲とか、バイオリン協奏曲とか偏愛しておるのですが、
この曲は、シャフランをまだ聴いていないのが残念なのですが、ドヴォルジャーク(中村紘子ふう)のチェロ協奏曲は、やはりセル&カザルスのが、イルカレーベルのsp復刻で聴いた限りですが、泣けますね。
そ、そっちは・・・ (岡林)
2007-03-02 15:04:28
>ピアノ協奏曲とか、バイオリン協奏曲とか偏愛

うう・・・このへんは私は駄目なのです(すいません)室内楽でもアメリカ以外駄目です。

ドヴォルザークは人を選びますね、ブラームス好きでないといかんみたいですね・・・つまり私はブラームスも苦手なのです。シンフォニーは別といえば別ですけど、それはドヴォルザークの7番以降もいっしょだなあ。

セルとのものは古いのがほんとに惜しいですね。復刻の状態にもよるのでしょうが・・

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