20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2016年11月05日 | Weblog
○シゲティ(Vn)セル指揮ニューヨーク・フィル(BWS他)1945LIVE・CD

今聞くと旋律にもリズムにも魅力があり、3楽章クライマックスなど、ソリストが1楽章主題をトリルで再現する一方で木管楽器が3楽章冒頭の音形を散発的に重ねていくなど、構造的な創意も見られ、非常に面白い曲で取り上げるソリストも多い作品だが、作曲当時は評価を受けられず、シゲティが再発見して積極的に取り上げるまでは秘曲の位置に甘んじていたという。まあ、短すぎること(20分くらい)、技巧をひけらかすようなアクロバティックな表現に欠けること(カデンツァも無い)など、ソリストがコンサートプログラムとして取り上げるのに難しい面があったことは否定できない。シゲティはこの曲の中に何を見出したのか。このライヴを聴いていると、さほど難しくないパッセージでテンポダウンしたり、あるいは1楽章のバラライカを模したピチカートが出てくる前後でどんどん走っていってしまうなど、技巧的な不安定さをまず感じる。しかしその反面、音色には非常に魅力的な艶があり、それもフランチェスカッティみたいにおんなじ美音で終始弾き続けるのではなく、音符音符で常に音色的な「揺れ」が見られ、不安定ではあるが、とても人間的な感情をつたえる演奏になり得ている(これは晩年に技巧が衰えたころにさらに明らかになっていく)。1楽章は余りの気迫と緊張の余り指がうまく回っていなかったりするが、その緊張感は異様なほど伝わってくる。前記のように走ってしまったり(セルはどうにかついていっているからまた凄いが)するところもある。2楽章はこの短い協奏曲の中で唯一技巧的な楽章だが、わりとさらっと過ぎてしまう。素晴らしいのは3楽章だ。新即物主義とも呼ばれたシゲティの、とても情緒的な面が出ており、そのレッテルに疑問を提示するものだ。前記したトリルの場面では、シゲティの最弱音が注意深く挿入される木管とあいまってとても夢幻的な・・・多分他に聞けない類の・・・法悦的とも言える世界を映し出し秀逸だ。このフィナーレは素晴らしい。拍手もまあまあ。録音マイナスで○ひとつ。,
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