20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

プーランク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ

2017年01月04日 | Weblog
メニューイン(vn)フェヴリエ(P)(EMI/brilliant)1964-71・CD

ステレオ時代のメニューヒンやシゲティは音程は二の次で音色が第一、と思わないと聴いてられない神経質な方もいるだろう。ただでさえ不安定な音線、半音階的なゆらぎを交えた曲(この曲の冒頭のように)は音程第一でないと真価がまったく伝わらないが、あのような激しく諧謔的なフレーズなど置いておいて、旋律を途切れずに歌う場面での甘い音色表現は評価して然るべきだろう。プーランクの甘やかな夢を語るにふさわしい。重音を交えた技巧的な部分でセッション録音でも音程揃わないというのはさすがにどうかという、重音が無造作な不協和音にきこえてしまうのは不味いが、この曲はプーランクにしては異例の弦楽器を前に押し出したものだけあって、いつもの分裂症的なパッチワークを目立たせず比較的穏健なつながりの中に音を並べていくため、大雑把な中では少しゴミが混ざる程度のもので、メニューインの音そのものが、二楽章ではやさしげなフレージングとともに魅力的につたわる、ただそれだけで染みる。ひたすらの歌、不協和に哀しいものも含む現代的な抒情を湛えたこの楽章は技巧的ではなく、それだけにソリストの「味」が剥き出しになるから、同曲が一部のヴァイオリンマニアに受けるのもわかる。そしてメニューインがやる意味があるのだ。間奏曲と名付けられてはいるが、炎のようなアレグロと悲劇的なプレストに挟まれた、この楽章は音色派はむしろアピールすべき楽章。三楽章後半では調性の変転ぶりがプーランクらしい非常にカッコのいい旋律を伴い聴きどころとなる。このあたりもヴァイオリンマニアに受けるところだろうし、プーランクがやりがちな方法とはいえ、ピアノの強い打鍵で断ち切れたあと、短いカデンツふうのフレーズというか、メシアンのように地に臥したヴァイオリンを見下ろして、ピアノが音を散発したらサティのように終わる。このあたりもまたプーランクらしい諧謔ではあるが好き嫌いが別れるだろう。断ち切れたらすぐ終わる、もしくはその前のまま綺麗に終わらせる、そういうことをしていないので、思索的雰囲気が発生し、メニューインの音量や左手を制御しきれない(弓はシゲティよりずっと確かである)危なっかしいところが却って隠されて良いのかもしれない。フェヴリエは手慣れた演奏で気品のある表現に徹しており、ラヴェル演奏などの少し固い表現はしておらず、かといってプーランク張りのエキセントリックさはないので聴きやすい。プーランク苦手派にはまあまあ聴けるほう。
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