20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆スクリアビン:交響曲第2番(1897-1902)

2017年04月20日 | Weblog
スヴェトラーノフ指揮
◎ソビエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC他)1992/5/14LIVE・CD、 ○ソビエト国立交響楽団(MELODIYA)1963・CD

<はじめて聞いたとき、まるでRPGゲーム音楽のようだと思った。自身ものちに余りに陳腐であると恥じた終楽章、それまでの陰うつな短調の通奏主題が見事に長調に転じて、ブラスにより斉唱されるちょっと気恥ずかしくなるような旋律は笑いと感動を同時にあたえる。アーチ構造の5楽章制で、中間楽章である3楽章のトリスタン的法悦は個人的にはスクリアビン全交響曲の緩徐楽章では一番好きな楽章だ。ヴァイオリンソロの妖艶な旋律ばかりが耳につくけれども、鳥の声ひびく下さわやかな美しさがある。1、2楽章はイきたくてもイけない繰り言のような音楽。4楽章は1楽章に相当する、再びイきたくてもイけない音楽を繰り返す。そして前半と同じような盛り上がりの後、前半では崩壊して暗い音楽に戻るのだが、後半では見事に前記のような祝典音楽に転ずる。長いが、一度くらいは聴いてみてもいい曲。リムスキー・コルサコフらが賞賛したというのも面白い。同じワグネリアンとしての感性の共通項があったのだろう。>

純粋なシンフォニーとしては3作しかないスクリアビンの2作目。いずれも標題的な言葉を伴うが、本作は「悪魔的な詩」と呼ばれる。広義ではスクリアビン独特の「詩曲」に含まれるが、あきらかに爛熟した末期ロマン派音楽の影響色濃い「交響曲」だ。余りに豊かな楽想と余りに安易な楽器法(シューマンになぞらえ、これを良しとする向きもあるかもしれないが)、陳腐な展開と深い思索といった、相反する要素のゴッタ煮だ。といっても1番ほど分裂症的ではないが。明らかにひとつの到達点を示す単一楽章(但し有機的に結合する2部(曲想的には3部分)から成る)の3番と比べて、特に終楽章のゲーム音楽のようなファンファーレは本人も後年かなり気にしていたということも肯ける一種幼稚さを感じてしまう。だが、チャイコフスキーや、何よりも同時代の作曲家、暗い情念の蟠りから突き抜けた明るさへの盛り上げかたに工夫を凝らしたシベリウスのそれも初期、1、2番シンフォニーとの共通点を感じる。畳み掛けるような旋律のクドさがスクリアビンの場合目立ちすぎるだけで、本質は同じ物だろう。だが一方で、リムスキーの側で思いっきりロシア国民楽派の人間関係にどっぷり漬かっていながら、他のどのロシア人作曲家とも異なる、ショパン、ワグナーの申し子たる特異な中欧的作風は特記すべきだろう。スクリアビンの中期までの曲はどこを取っても両先達の影響を指摘できる。この曲もそうだ。しかし、聴く者はそれでもあきらかに「スクリアビン」そのものを聴き取ることもできる。シンメトリー構造の頂点となる3楽章に聞かれるトリスタン的法悦性は、ワグナーそのものの音楽でいながらも奇妙な明るさと透明感、そして神秘性を秘めており、独特である。この楽章は恐らくスクリアビンの書いた最も美しくロマンティックな管弦楽曲として特筆できよう。さて、スヴェトラーノフ盤である。この指揮者が現代的演奏とロシア的伝統の高度な融合を誇示していた頃の旧録に比べ、迫真性と円熟の極みを示す、ロシアン・ディスク(今は廉価レーベルで全集盤が出ている模様)のライヴ盤が圧倒的に面白い。スクリアビン全集としては恐らくこのスヴェトラーノフ盤の右に出るものはいまい(1994当時)。オーケストラの力量とスヴェトラーノフの絶妙な距離感のコントロール~それは決して過剰ではなく、オケの自主性を重んじ、それを舵取る程度にとどめられている~、そして作品への共感がこのような豪華な響きを可能としたのだ。3楽章の美しさは比類無い。ワグナーよりむしろスヴェトラーノフが好むと言われるマーラーを感じさせる。刹那的な法悦、幻でしかない天上の国を夢見る哀しさを持つ。(1994記)
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