20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆ドビュッシー:フルートとハープ、ヴィオラのためのソナタ

2017年06月22日 | ドビュッシー
○ランパル(Fl)ノルドマン(Hrp)ブルーノ・パスキエ(Va)(SAPHIR)1999・CD

ランパルの音線がさすがに細く、速いパセージでは心もとない指遣いも気にはなるが、それを補って余りある他二人の演奏へのパッションが全般として心地よい聴後感をあたえることに成功している。とくにヴィオラが凄い。ランパルの最早個性も押しの強さもない達観したような音遣いはむしろドビュッシー的な幻想味を全般に雰囲気としてあたえ、ノルドマンも個性的ではないが確かな表現をけして雰囲気を邪魔しないように綺麗にのせてきている。3楽章のパスキエを中心とした火花散る音楽の交感が聴き物だろう。ここでのヴィオラは非常に激しく、込み入ったアンサンブルを面白くまたなめらかに聞かせてくれる。改めてドビュッシーがこの曲に「取り戻した」形式感の存在を感じ立体的な音の交錯に耳を奪われる一方で、モザイク状に組み合わされた変則リズムを如何に違和感なくすっと聴かせるかだけではなく、「その違和感こそがドビュッシーなのだ」という部分もちゃんと残している。ドビュッシーを一本の音線で聴くとけっこう無作為で気まぐれなリズム変化や転調が頭を混乱させる結果になりかねないが、そこがやはりドビュッシーの現代性でもあり、ラヴェルにはできない特異な才能の発揮されている部分なのである。二拍三連的な変拍子の多用もドビュッシーが切り開いたアンサンブル技巧の世界だが、その不思議な聴感に不思議な軽い不協和音をともなう旋法的旋律が載ることによって「初めて完成する」世界であることを忘れてはならない。これは表裏であり渾然一体となっており、拍子だけだったらロシア国民楽派が既にやっているマンネリズムだし、不協和音や旋法なら先発後発にいくらでも使い手がいる。それだからこそ、ドビュッシーには「印象派」という言葉によってしか表現しえない部分が存在する。晩年作品には形式を重視しすぎてどっちつかずになってしまうものもあるように思うが(ヴァイオリン・ソナタなどもそう思う。折角のピアノソロ曲にも通じる美しい素材を生かしきれずに形式でカヴァーしてしまったような)、この曲は牧神から一貫して創り上げてきたアルカイックな世界の一つの終着点として、また形式との折り合いをもっともよくつけたものとして(3楽章など驚異的である)特筆すべき、室内楽における最高峰である。編成のわりに「情熱」すら受け容れる曲なのだなあ、と改めてパスキエの表現を聴いて思った。○。

(お詫び)なんでかわかりませんがいつもとんでもない間違いをします。チェロじゃなくてヴィオラでしょうに・・・(シュヴァルツコプフをソプラノと書いて以来

※2006/12/20の記事です
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