20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

☆シベリウス:交響曲第5番

2017年07月08日 | シベリウス
○ザンデルリンク指揮レニングラード・フィル(MELODIYA)LP

正直このころのロシア盤は雑音が酷いのだが、ロシア盤は独特の針や機器を要求するという説もあるのでいちがいに悪いとはいえまい。だいたい最近メロディヤ盤が本国から直接入ってくることはなくだいたい旧東側諸国から流れたものがちょぼちょぼという状態なので、CD化でもされない限りなかなか聴けない貴重なものであることは確かだ。見た目綺麗だがじつにしゃかしゃかと雑音が入る。そのため細部が聞き取りづらいのが正直なところなのだが、ロシアらしさというのはブラスのぶわーっという響きだとか弦の必要以上に強くためを作るところぐらいで、おおまかには奇をてらわずに素直に最後まで聞ける「好感の持てる」演奏だ。爆発的な推進力でそれまでの断片的な素材の気まぐれな交錯を一気にベートーヴェン的勝利に収斂させていく楽曲だと思うのだが、しばしばそうではない演奏というのにも出会う。この盤も例えばアメリカの指揮者ほど勝利の凱歌があがることはない。だが全体としてのまとまりはよく、唐突ではなくスムーズにクライマックスへ向かうさまが心地いい。

シベリウスのシンフォニーは各曲にそれぞれ「主題」がある。これら一連の交響曲群はよく発展論的に論じられ、技巧的に突き詰めていった結果交響的幻想曲である凝縮された単一楽章の7番にいたったという軌跡ばかりで語られがちだが、それぞれの個性を巧く引き出し、それぞれの主題を浮き彫りにすることによって寧ろそれぞれが独自の輝きを放ちだすものであり、隣同士が似ていても、結局は別物だ。たとえばバルビのシベリウスは両論あると思うが、交響曲全曲録音にあたっては曲によって技術的アプローチをどんどん変えていったといわれる。最後の7番をやるころには我々は全く違う音を出すようになっていた、というハレ管の証言者もいる。勿論これも番号順であり発展史観的なものに基づいたやり方ではあるのだが、たとえば3と4、5と6の間の違いをどう解釈したらいいか。あるいは、なぜ最高傑作と呼ばれる4、7番が滅多に演奏されず、1、2、5そして案外3番あたりがよく演奏されるのか、これは発展史観で説明しうることではない。それぞれやはり独立した楽曲であり、個性なのだ。その個性の魅力が、後者4曲が強い、主としてテーマのわかりやすさや楽想の親しみやすさだとは思うが、それでもやはり譜面面だけで「最初から全部楽想や構成が似ている」とかいうことを論拠に論理的に説明しようというのは無理がある。ためしに弾いてみて貰いたい。音形が似ていても、内容はそれぞれ全く違うから・・・

※2005/7/19の記事です
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