○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(KARNA:CD-R)1984/6/19ソフィア音楽祭LIVE
やはり客観性を感じる。厳しさはあるのだがムラヴィンほどの切れ味はなく、ややゆるい。このゆるさと、盛り上がりどころでも決して走らない客観的なところがあいまって、やや物足りない。ただ、この曲がかりそめのシニカルな盛り上がりを(またしても)作り上げ、スターリンが死んだことへの歓喜などと簡単に断じ得ないものと思わせる解釈にもなっている。カタルシスを与えるような2,4楽章のごく一部ではなく、1、3楽章など長い静かな部分に重点が置かれているのだ。フィナーレ最後の悲愴を模したようなヴァイオリンの音階表現など軽く粗く流され「チャイコ好きスターリンへのあてつけ?」とも深読みできるような感じすらある。謎。正直無印のような気もするのだが、○。
※2006/6/9の記事です
やはり客観性を感じる。厳しさはあるのだがムラヴィンほどの切れ味はなく、ややゆるい。このゆるさと、盛り上がりどころでも決して走らない客観的なところがあいまって、やや物足りない。ただ、この曲がかりそめのシニカルな盛り上がりを(またしても)作り上げ、スターリンが死んだことへの歓喜などと簡単に断じ得ないものと思わせる解釈にもなっている。カタルシスを与えるような2,4楽章のごく一部ではなく、1、3楽章など長い静かな部分に重点が置かれているのだ。フィナーレ最後の悲愴を模したようなヴァイオリンの音階表現など軽く粗く流され「チャイコ好きスターリンへのあてつけ?」とも深読みできるような感じすらある。謎。正直無印のような気もするのだが、○。
※2006/6/9の記事です