湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2016年10月14日 | ヴォーン・ウィリアムズ

◎ロジンスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1944/3/12live(11/30?)

生命力。このアンサンブルの緻密さ・・・巧い!録音の悪さなどこのさいどうでもいい。ロジンスキが一流オケを振るとここまでやれるのだ。もっと長生きしたならベイヌムと比肩しうる名指揮者として記憶に残ることができただろうに。この作曲家には似つかわしくないほど厳しく絞られた筋肉質の演奏だが、RVWの美しさをこういう活発な音楽として描くことも可能なのかと思わせる。とにかくリズミカルである。重くて野暮な(「らしい」)シーンも、このスピードで生き生きと活写されたら気にならない。中間楽章の弦楽アンサンブルでは中低音域から繰り広げられる緩やかで哀しい光景、心を直に揺さぶられずにおれない強烈なロマン性が迫ってくる。精緻に揃ったヴィブラートが眩しい。この曲に「独特の解釈を放つ名演」などないと思っていたがここに残されていた。録音状態を割り引いても◎。RVWがよくわからないという人に、こういう意図のはっきりした演奏はいいかもしれない。まさに作曲された第二次大戦中の演奏としても価値がある。記録上は11月30日にロジンスキがアメリカ初演したとなっており、3月はデータ誤りの可能性が高い。(世界初演はプロムスにて作曲家自身による)
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☆プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」(1951-2)

2016年10月14日 | Weblog
◎アノーソフ指揮チェコ・フィル(ARLECCHINO他)1954・CD

音の悪さが悔やまれる名演(当然モノラル)。ロシア伝統のロマンティストにしてロジェストヴェンスキーの父、アノーソフの手による演奏である。曲目はこれまたロマンティックなプロコフィエフの7番。この人の指揮は骨太の強さとうねるようにダイナミックな曲作りが印象的である。ゴロワノフに似たところもある、と言えばどのような感じか伝わるかと思う(そういえばゴロワノフもプロコが得意だったらしい)。この演奏ではその特質がうまく発揮され、無邪気でスケールの小さな曲という世評を覆すほど壮大で強烈な印象を残す。「青春」と呼ばれるこの曲は5、6番の系譜に連なるにしては余りにあからさまにわかりやすさを狙った旋律的音楽である。原曲は子供向けラジオ番組用の音楽であったそうで、書いていくうちに規模が大きくなり交響曲に育ってしまったらしい。たしかに「青春」というより「少年時代」と言った方がしっくりくるようなところもあり、愛らしい旋律、きらきらした音色、簡素な構造、どれをとっても何十年も溯った作品・・・即ちプロコフィエフ自身がまだ子供だったころの音楽・・・に思えてくる。何といっても一楽章の第二主題、四楽章の末尾で印象的に回想されるじつに素晴らしい旋律がこの曲に一本筋を通している。プロコの場合旋律そのものもそうだが、旋律の下でうねる内声部のかちっとした構造がウラの魅力となっており、この名旋律の下でうねうねとうねる内声がなければその魅力は半減していただろう。旋律の中にオクターブの跳躍を混ぜるところもいかにもプロコであり、先祖がえりしたとか古臭いとか言ってもやはり、これは紛れも無くプロコフィエフの作品である。楽しい思い出を振り返り、長かった生涯を回想するプロコフィエフ自身の姿が目に浮かぶ。ともすると無邪気な旋律だらけで飽きてしまうかもしれないこの曲に対してアノーソフがとった態度は、あくまで真剣に演奏する、というものだった。テンションを極度に高く保ち、遊びの無い凝縮された音楽を作る。いい年したオトナたちがギリギリ緊張感を保ちながら懸命に子供音楽を演奏する、それはともすると滑稽になりがちだが、プロコフィエフの素晴らしさは懐の深いところ、こういった演奏に対してはそれなりのオトナ音楽に変身するのが面白い。オトナのほのかな感傷を刺激する「おもいで」音楽、まあこの演奏は「ほのかな」などという薄さは無い「濃いい」演奏ではあるが、「青春」交響曲を理解するためには必要な演奏であると思う。プロコ元来の娯楽性は保たれているので、快楽派の方にもおすすめ。同曲コーダ有無の2版がある。好き好きだが私はないほうが落ち着いて終われる気がする。,
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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

2016年10月14日 | Weblog

アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(SLS他)1929-30

この時代のフランスの楽団が同時代中欧ものをやると明るく軽い感じがするのは録音用編成のちいささやSP特有の透明感からくるところもあるとは思うが、やっぱり楽団の特性はあるだろう。低音より中高音域が響きの中心となり、立体的に構築されたリヒャルト・シュトラウスの音楽を少し平板にしてしまう。流れで軽く聴き流すには良いが、録音の古さ(ノイズ)もあってそれを楽しむのは困難だと思った。アンゲルブレシュトには後年の構築的な音楽作りにつながるものは余り感じられない。そつなくまとめて(精度は高い)そのままやった、という感じで、この頃の少ないながらも遺されているほかの録音とくらべ、覇気もそんなに感じられない。敢えてこれを聴く意味は無いだろう。
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カプレ:赤死病の仮面

2016年10月14日 | Weblog
カンブルラン(hrp)プレートル指揮モンテカルロフィル(EMI)CD

通常室内楽編成で演奏されるがこの弦楽合奏版が原型で、前者はConte Fantatastique(幻想的な物語)と副題される。ドビュッシー風の音楽に強いアクセントを加えて(多分にハープの低めの弾音に依るが弦楽合奏版だといっそう押しが強くなる)、ストラヴィンスキー風の異化はされず巧く品を保ったまま、舞踏会の典雅な光景に毒を混ぜてゆき、シニカルに爆ぜるさまを描写している。正直音楽としては室内楽版のほうが楽想に対しバランスが良く耳に優しいが、ポー劇としてはこのくらい押し付けがましい方がいいのかもしれない。これは比較対象がすくないので評しづらいが、ハープの野太い音と合奏の力強さが印象的な演奏。
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