奄美剣星

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ノート/安彦良和 『ジャンヌ』

2014-03-18 12:20:19 | インポート

著作:安彦良和作、原案:大谷暢順『ジャンヌ』Ⅰ-Ⅲ巻 NHK出版1995・1996・1996年

英仏百年戦争末期。「ジャンヌ・ダルク」が処刑されてから9年後、「プラグリーの乱」が発生した。反対派諸侯に担がれた王太子ルイが、起こしたものだ。ジャンヌの仲間たちは国王派と王太子派に分かれて、抗争する。ジャンヌの霊に導かれた同郷のヒロイン・エミールは、国王シャルル7世を救い、その陣中に加わり、仲たがいしている彼らを再び国王の前に団結させるべく、説得してゆく。

【メモ】

第Ⅰ巻
●14310530 ルーアンでジャンヌダルク処刑。遺体はセーヌ川に。少女(ラ・ピュッツエル)。
●ヒロイン(架空):エミール・ド・ボードリクール
●ヴォークールールの町。白。守衛官(代官)ロベール・ド・ボードリクール。ヒロイン:エミールの養父でジャンヌの養父でもある。城に一番近い「フランスの門」
●ロレーヌ公シャルル2世。ナンシーにある公の城。2世の妻・マルグリット。
●アラスの和義1435 国内が分裂していたアルマニャック派とブルゴーニュ派の和解
●ルネ・ダンジュ:ロレーヌ公の娘婿・シャルル7世の妃マリー・ダンジュ―との兄。ジャンヌと行動を共にした。

●ドレンミイ村:ジャンヌの故郷
●ブルターニュ王家? リュシュモン大元帥の兄:ブルターニュ公ジャンはかつてブルゴーニュ公フィリップとともにイギリスと同名を結び、英国のフランス侵攻に力を貸す。ブルゴーニュともイギリスとも血縁をもつ。新英的とみなされる。パリを奪回した後も変わっていない。
●アンボワーズを逃れた国王は各地を逃げ回る。
●国王派のリシュモンド大元帥が、檄をだし、ボードリークルはっこれに応じた。娘のエミールが代わりにゆく。7騎
●諸侯群・名のある騎士も民衆を襲った。戦禍・疫病。
●聖ミカエル、カトリーヌ、マルグリット
●ジャンヌの弟・妹:マンジェット、オーヴィエット、コラン、ミシェル、シモーヌ、
●ジャンヌ=ジャネット
●ベルトラン(架空?)ヒロインの守り役
●街道荒らし:傭兵崩れ

●シャルル・ドルレアン公:父ルイはブルゴーニュ公ジャンに殺される。1415年アゼンクールの戦いで英軍に捕えられ25年間捕虜生活
●オルレアンの町:トゥーレルの門
●ガルソン(架空):街道荒らし
●リッシュモン大元帥:英国から新戦術を持ち帰る。歩卒長槍戦術。国民軍創設。ブルターニュ公ジャン五世の弟。檄を飛ばす。エミール親子はそれに応じる。

アランソン公爵:ジャン二世。ヴェルヌーユの戦いで英軍の捕虜となる。釈放直後にジャンヌの戦列に加わる。彼女に全幅の信頼を得る。現在は王太子派。「麗しの公爵様」とジャンヌやエミールに呼ばれる。
私生児(パタール)・ドルレアン:ルイ・ドルレアンの庶子。兄シャルルが捕虜になってから、オルレアンの町の防御に尽力する。ジャンヌダルクの支持者。各地を転戦して軍功をあげる。
ラ・イール将軍:ジャンヌダルク崇拝者。「怒り」を表す。現在は王太子派。
ポトン・ド・サントラーユ:ジャンヌ崇拝者。現在は王太子派。
●ラ・トレムイエ:前の侍従長。シャルル7世の寵臣。ジャンヌを国王から遠ざけようと画策。現在は王太子派。ロレーヌ公ルネの推挙。パテーの戦いに参加。

第Ⅱ巻
●国王派の領袖・リッシュモン大元帥は、ブルターニュ公ジャン5世の弟。窮地の国王を助けるため檄を飛ばした。このため国王にとってブルターニュが支えとなるところだが、半独立国の同公国は公然とフランス王家に加担しなかった。国王はの忠臣はロレーヌ公でもあったアンジュ―こうルネ・ダンジュ―だった。ゆえにこの時点で王はアンジュー公の庇護下にあった。大元帥:有能だが人情味に欠けるので国王が遠ざけがちとなる。国軍:常備軍・傭兵制の集大成となる国王の私兵を結成する。勅令隊、国民弓兵隊からなる。実質的な功績はジャンヌなど及びもつかない功臣である。のちの功臣粛清の波のなかで王国の歴史からけされてゆく。
ルネ・ダンジュー:王太子ルイの母=シャルル7世妃マリー・ダンジューの実兄。彼はロレーヌ公領の継承権を巡ってブルゴーニュ公と争って敗れて人質になっていた。リッシュモン元帥の尽力で解放される。太子の母方伯父にあたる。国王派。ナンシーはとられている。ソミュール、アンジェが根拠地。(トゥレーヌ:王太子側の前線?)。死後、親族・王家に領地が分配される。ロレーヌ公領を相続したルネ2世は外孫。
 太子はジャンヌをロレーヌ公の演出と考えた。シノンに送り出す。義父のロレーヌ公とポードリクールを使ったと考える。一度目はブルギニョン(ブルゴーニュは)と英国が相手、二度目は太子にむけての「演出」としてエミールをだしたと考えた。
シャルル6世:シャルル7世の父。精神疾患がありそれで病没。

●トゥールの町:トゥレーヌ公の治める町。王太子が攻めてきたときいて、脱出しようとする国王を、入城しようとしたヒロインがみつけ、手助けする。

シャルル7世:淫乱王妃イザボーの息子。シャルル6世ではなく、王妃が夫の弟と関係して生んだという噂がある。

●モントローの橋事件:物語からさかのぼる21年前。ブルゴーニュとの国境。ブルゴーニュ公ジャン無畏(サンプール)が、王太子近習に殺される事件。公は王太子を擁するアルマニャック派といの若いのためにきていた。暗殺者の口実:それより12年前にオルレアン公ルイを殺させた当人だった。彼らには仇討だった。民衆は王の威に服しない政敵を、王太子が潰した陰謀と考える。以来、両派の報復合戦が続く。戦いのあと黒死病が流行る。
●アンジェ城:国民軍による長槍練習。騎兵がいない。リッシュモン大元帥:槍・砲・鉄砲・練度の高い兵。金目当ての傭兵では駄目だとする。

●ロレーヌ公ルネ・ダンジュ―。国王は。マリー王妃の兄。母親ヨランド・ダラゴン共々、ジャンヌ支持者。アンジュー家当主。策士、黒幕。将軍というよりは政治家。主人公エミールの義理の兄にあたる。
●ルネの台詞:国王派は、前侍従長ラトレイムユの浪費で国庫は空だ。
●ジル・ド・レー男爵:ジャンヌの戦友。ジャンヌ処刑後、精神異常による猟奇大量殺人を起こし処刑される。
●プレラーティー(架空?):降魔術師。男爵に取り入り、幼児大量虐殺をそそのかす。作家ラヴクラフトと取り巻きの小説家たちによるクトゥルー神話において、『ルルイエ異本』の翻訳にたずさわったとされる。
●猪のパテ。剣泥の身を香辛料につかって仲にはたっぷりオレンジジャムを詰めている。クジャクのロースト。八つ目うなぎのレモン汁漬け。白鳥。子ウサギ、雛鳩のタルト。子豚の丸焼き。イポクラース:蜂蜜・シナモン・白生姜・丁子・ニクズク・ナツメグ・麝香もいれてたっぷり寝かせる。
●エミールの説得により、男爵は多額の資金を供出し、国王側は豊かになる。これで軍備を充足させた。大元帥はエミールの功績を認め、側近に加える。

第Ⅲ巻
●トゥールの戦い。アンジェを発った国王リッシュモンの町を通過して、アンボワーズを東進する王太子の軍勢と緒戦をやるが決着がつかない。実は主力が併走する南の街道を進み、シノンによったのだった。しかしトールにむかうところを、シャルルはロシュにむかえと大元帥にいった。そこに潜んでいた愛妾アニエス可愛さに、奪回にゆけというのだ。一見意味のない場所だが、案外戦略的な価値があると大元帥は考えた。
●呑んだくれのフランス兵。街道荒らしにもなる。
アニエス・ソレル:国王の愛妾
●ロッシュの戦い:王太子派総帥ブルボン公、主力は叛乱軍諸侯の精鋭騎馬隊5千.対する国王派は王国大元帥リッシュモン伯爵の下ブルターニュ系通称ブルトン軍歩兵を中心に8千。
●王太子は圧倒的に優勢であったのにも関わらず、勢力を結集せず、アニエス・ソレルに惑わされ、若さにまかせて先走って、大元帥に敗れる。
●大元帥:ジャンヌは大砲が攻城戦にむいているということを知っていた。とエミールにつぶやく。ロッシュは砲撃により奪回される。国王の取り巻きたちは、ジャンヌと戦うように仕向けた。オルレアンの囲みをジャンヌに破られた英国軍hがタルボットを将領として反撃にっでて、パテーで会戦が行われようとした。元帥は国王の指示を待つことなくパテーへと出陣。それがけしからんとラ・トレムイユたち側近はジャンヌを元帥にけしかける。ジャンヌの軍と元帥はポージャンシーの近くで対峙。「ジャンヌ、貴男は私と戦うともりだときいたあなたが神のつかいか悪魔の使いか知らぬが私は恐れは住まい。……ジャンヌは跪いて私の膝を抱いた」
●マルタン・ラヴニュ:ジャンヌの告解を訊いた修道士。ロッシュの町でエミルと出会う
●王太子の軍勢はキュセの町があるオーベルニュ地方へ逃れる。プラグリーの第叛乱はほぼ終息。アラソン公爵は捨て身の戦術。ロッシュ攻略の隙を衝いてリッシュモン大元帥の領地パルトーネ地方に攻勢をかけた。その南、サンマクサンをめぐる攻防戦。アラソン軍が小城市に籠る国王派軍を包囲した。イギリス領ギュイエンヌに対する守りの要衝。アラソン公爵に英国が加担すればフランスは南からの攻勢に耐えなければならなくなる。
●戦闘回避のためヒロインは使者としてアランソン公爵の陣営にゆくが、捕えられ、王太子の居城に送られる。アランソンは国王がジャンヌを売ったと考え恨んでいた。
●フランス中部高地、オーベルニュ地方シャトー・ダリューズ:敗れた王太子の潜伏先
湖につき出した岬にたてられた小城。
●マルグリット王太子妃
●アラスの和議:ブルゴーニュ公は国王とことを構えぬ方針。王太子は味方にしたかったのだが、相手にしてくれないと家臣にいわれる。
●修道士が告解をききにくる。ジャンヌが幻をみせヒロインを助ける。

●1453年、英国は、カステイヨンの戦いでフランスに敗北し、全軍が本国に撤収する。これにより1337年以来続いてきた英仏百年戦争は終結した。

●1455年、パリ、ノートルダム寺院『ジャンヌ・ダルク復権裁判』
先の裁判:ジャン・デステイヴェは下水道にはまって死亡。ピェール・コション:大司教になれず復権裁判の10年前に死亡。トーマ・ドゥークルセン:パリ大学のお偉いさんでジャンヌを拷問せよと主張。マルタン・ラヴニュ司祭:ジャンヌの告解をきく。アラン・ソン公爵、太子。エミリー・ド・ロレーヌ(エミール)。愛妾あるいは後妻のアニュエスの肝いりで国王を動かし復権裁判がなされる。ドンレイミイへ帰るジャンヌの幻。翌年夏ジャンヌの復権がなされた。
●イザベル・ローメ。ジャンヌの母。復権裁判の二年後に没する。
●1920年、ジャンヌ・ダルクは聖人の列に加わる。


ニーベンゲルンの歌/読書ノート

2014-03-10 04:48:16 | インポート

ネーデルランド

  ジークフリードの国

ブルグント(ブルゴーニュ)の国

  ブルグント族の国

  ニーベンゲルンの国が滅亡してから遺民がなだれこんだといわれている。

  グンテルの国/ブルグント三国のうちの一つ

ニーベンゲルンの国

   ドワーフの国


「富津」 水辺の風景4

2010-05-22 11:22:25 | インポート

  千葉県富津市《ふっつし》。名も知らぬ町だった。滅び行く幕府宗家に義を尽くし、戊辰戦争の最前線で活躍した19歳の青年大名林忠崇《はやしただたか》の足跡を追ううちにそこへたどりついた。

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 市街地を西へ突き抜けたところが東京湾となり、そこに臨んでいるのが富津岬だ。五月の陽射しはスーパーリゾートのようだ。ジェットスキーを操る人がショーをするかのように海峡のようになった浅瀬をするぬけると、浜で観ていた群衆が歓声を上げた。

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 ジエットスキーの後にある島が気になって私は何気なくシャッターを切った。あとで判ったのだが、この島は東京御台場と同じく、江戸海岸防衛のために築かれた砲台跡だった。

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 砲台跡から市街地に引き返した私は、砲台跡を管理していた上州前橋藩松平家の富津陣屋を訪ねることにした。ゆるやかな丘陵で、新興住宅地となっていて、昔日の面影はない。

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 ──富津陣屋にゆけば軍資金・弾薬・兵員が補充できる。

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 大名の地位を蹴って旧幕府軍の前衛となった請西《じょうざい》藩主林忠崇は藩士七十名を率いて、本拠地である真武根《まぶね》陣屋を出撃。途中、幕府残党を吸収していき兵員は百七十名に膨れあがる。林の軍勢は富津陣屋を包囲した後、家老小河原左宮《おがわらさみや》に談判した。前橋藩は徳川宗家を見限り、官軍側に恭順する腹だ。小河原は富津の町が戦火に覆われるのを嫌い、林を別室で待たせている間に、腹を切った。その上で、部下に命じ、軍資金五百両・大砲六門と小銃十挺・兵員二十名を林に与えるよう遺言した。

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 ネットに掲載された記事では、町を戦火から身を挺して守った小河原間宮を現地の人たちは今も供養し祀っていると述べられていたのだが、在地の人に訊いてみても誰一人、陣屋と碑文のありかを知らなかった。

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ノート20100522


追悼、文鳥王トリスタン

2010-05-09 11:28:32 | インポート

ノート2010/05/09 10:39:06

 いましがた「王様」ことトリスタンが亡くなりました。享年8歳。文鳥としては大往生です。ここのところ勢いはありませんでしたけれど、それにしても突然。ふと、横をみたときに彼は旅立っており、綺麗な白い遺体が残されているだけでした。
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 宿舎のある千葉県から自宅のある群馬県に戻る間際の出来事。亡骸はそちらの庭先に埋葬します。8年つきあってくれてありがとう──わが友に感謝。


【遺影にかえて】
本店ブログ同名記事に、トリスタンの画像、関連記事を紹介しておきました。お時間のある方はご覧戴ければ幸いです。