歴史というものは、降り積もるものである、新しく、常に新しいページが書き込まれていく、それが、歴史というものだと、私は思っている。今までの価値観だけで物事を見ていていいときと悪いときがある、新しい価値観でもって思いきって今までの価値観を破壊しなければならないときもあれば、今までの価値観の上に立って新たな価値を見いだすときもある。
何が言いたいのかって?「ひとつの視点だけで物事を見ていると、間違いますよ」ってこと。以前に書いた「ジェンダーフリー」という概念については、その言葉の響きが独り歩きしてしまっている、そんな印象が常につきまとう。その最たる例が「フリーなのだから、自由になるのだ、今までのジェンダーロールから解き放たれて、私たちは今までのジェンダーを破壊するのだ」というような主張を耳にしたり、また、ジェンダーフリーというものがそういうものだと理解されてしまっているということが、あまりにも多すぎて。でも、よくよく考えてもみてみよう、フリーというのはあくまでも「自由ですよ」という意味でしかないのかな?解き放たれるというわけではない、フリーというのは「選択の自由が与えられる」と言う意味ではないのかな、と。
分かりやすく言えばね、ジェンダーフリーというものは、今までのジェンダー、つまりは「性別によって規定されていた役割」と言うものの垣根が低くなってきて、今まで女性だけが担っていた分野や男性だけが占めていた領域にお互い往き来が出来るようになった、と言うことに過ぎない。垣根が無くなってしまったわけじゃない、垣根は無くならない、どうしても代われない役割も、あるから。今までは「男は働いて家族を養う」とか「女は家にいて家事をし子供を育てる」と言ったような決まり切った生き方しかなかったけれども、女性が仕事に生き甲斐を見いだしたり、男性が家事や子育てに喜びを感じたりできるような社会になってきて、そう言った生き方を選択することが出来るようになってきた、人の「生き方」というものがそれだけ「多様化した」と言うことに、過ぎないのじゃないかと思っているわけ。
今までは女性が働かなくても男性の収入だけで社会を支えることが出来た、でも、これからはそうは行かない、女性も社会的に貢献をして「私も社会の一員なんだ」という実感を得られないと、ますますひとりひとりの女性は孤立していってしまうだけになる。ただでさえ、子供でも出来ようものなら社会から隔離されやすくなってしまうというのに。男性も女性もほんのちょっと視線を変えるだけでいい、それだけで、社会が人に優しくなれるから。
繰り返しになってしまうけど、ジェンダーフリーというのは、革命でも何でもない、今までの価値観を破壊するものでも、歴史を否定するものでもない、人が生き方を選択出来るようになった、ただ、それだけのことに過ぎない。それすら否定したければ、否定すればいい、今までの決まり切った生き方に従って生きていける人だというだけのことだから。そして、その人の生き方にほかの人は介入してはならない、あくまでも、選択の自由がありその上でそう言った生き方を選択しただけなのだから。
もっとも、ジェンダーフリーと言う言葉にかつて猛威を振るった「ウーマンリブ」がかぶさって見えているのかもしれないけどね・・・全く違うのだが。

何が言いたいのかって?「ひとつの視点だけで物事を見ていると、間違いますよ」ってこと。以前に書いた「ジェンダーフリー」という概念については、その言葉の響きが独り歩きしてしまっている、そんな印象が常につきまとう。その最たる例が「フリーなのだから、自由になるのだ、今までのジェンダーロールから解き放たれて、私たちは今までのジェンダーを破壊するのだ」というような主張を耳にしたり、また、ジェンダーフリーというものがそういうものだと理解されてしまっているということが、あまりにも多すぎて。でも、よくよく考えてもみてみよう、フリーというのはあくまでも「自由ですよ」という意味でしかないのかな?解き放たれるというわけではない、フリーというのは「選択の自由が与えられる」と言う意味ではないのかな、と。
分かりやすく言えばね、ジェンダーフリーというものは、今までのジェンダー、つまりは「性別によって規定されていた役割」と言うものの垣根が低くなってきて、今まで女性だけが担っていた分野や男性だけが占めていた領域にお互い往き来が出来るようになった、と言うことに過ぎない。垣根が無くなってしまったわけじゃない、垣根は無くならない、どうしても代われない役割も、あるから。今までは「男は働いて家族を養う」とか「女は家にいて家事をし子供を育てる」と言ったような決まり切った生き方しかなかったけれども、女性が仕事に生き甲斐を見いだしたり、男性が家事や子育てに喜びを感じたりできるような社会になってきて、そう言った生き方を選択することが出来るようになってきた、人の「生き方」というものがそれだけ「多様化した」と言うことに、過ぎないのじゃないかと思っているわけ。
今までは女性が働かなくても男性の収入だけで社会を支えることが出来た、でも、これからはそうは行かない、女性も社会的に貢献をして「私も社会の一員なんだ」という実感を得られないと、ますますひとりひとりの女性は孤立していってしまうだけになる。ただでさえ、子供でも出来ようものなら社会から隔離されやすくなってしまうというのに。男性も女性もほんのちょっと視線を変えるだけでいい、それだけで、社会が人に優しくなれるから。
繰り返しになってしまうけど、ジェンダーフリーというのは、革命でも何でもない、今までの価値観を破壊するものでも、歴史を否定するものでもない、人が生き方を選択出来るようになった、ただ、それだけのことに過ぎない。それすら否定したければ、否定すればいい、今までの決まり切った生き方に従って生きていける人だというだけのことだから。そして、その人の生き方にほかの人は介入してはならない、あくまでも、選択の自由がありその上でそう言った生き方を選択しただけなのだから。
もっとも、ジェンダーフリーと言う言葉にかつて猛威を振るった「ウーマンリブ」がかぶさって見えているのかもしれないけどね・・・全く違うのだが。












いろーんな所で物議をかもしていますが・・・。(笑)
ここ、げぇこくでも「ジェンダーフリー教育は行わない」と、議会で決まりそうです。
でもさ、よ〜〜〜くこの議論を見てみるとさ、賛成派も反対派も「ジェンダー」ってのが曖昧なまま議論してるわけね。
たとえば、こんな極端な意見を言うジェンダーフリー賛成派がいる
「男女差別があるのは、男女に分けるからだ。差別をなくすには、区別をなくせばいい。だから、学校などでもあらゆる場面で男女一緒にすればいい。運動会の競技も、更衣室も、トイレも」
これを聞いた反対派は
「更衣室も一緒だなんてけしからん!」
と。
あの、これ、ジェンダーの問題か??
ワシにはセックス(=身体的性別)の問題だと思うのだが・・・・。
もちろん、ジェンダーとセックスがスパッと分けて考えられる問題ではないよね。入り混じってるところもあると思う。
だからこそ、ジェンダーとは何かってのを、お互いにもっとよく知る必要があるんではないか?と思ったのであります。
ジェンダーフリーを訴えてる一部の人には、かなちゃんも書いてるように、今までの価値観を全て破壊する!という意見の人もおって、またそれがマスコミで取り上げられるんだよね、なぜか。(笑)
そのため、反対派に誤解を与えてる・・・という悪循環のような気がする。
それなら、男女共同参画社会・・・で、いいんじゃないか?とも思いますが、いかがでせう。
価値観を破壊とか、否定するんじゃない、積み重なっていく歴史の中で、どんどん新たな価値観が生まれていき、時として古い価値観からバトンを受け取っていく、それだけなんだと思う。
たぶん「ジェンダー」と言う言葉を「性役割」と訳した時点で、意味の錯誤が生まれてしまったんじゃないかな、そして、その錯誤がどんどん広まってしまったんじゃないかなって、思う。マスメディアなどではどうしても極端な意見を対抗させるのがいちばん分かり易いからね・・・。