森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

老師と少年の問答(8)

2017-01-03 12:58:13 | 人生の秋


    老師と少年(8)  南直截著

      第7夜

    少年が森の道を抜けると、老師はまるで待っていたかのように、庵の前の木蔭に座していた。
   病から癒えたばかりの体を小さな焚き火が照らした。
    少年は黙って、老師の隣に座った。老師は言った。
   「今夜はよい風が吹く」
   「師よ」
   「友よ、わからなくてよい。君がわからないということが、私にはよくわかっている。なによりもむずかしいのは、
   わからなさを言葉で伝えることだ。君はそれを果たした」
   「はい」
   「訊け。自分が存在。自分が生きている。そう思うから、人は自分とは何かを問い、なぜ生きているかを問う。しかし違うのだ」
     老師は月明りで藍色に染め出された川の流れに目をやりながら話し続けた。
   「自分が存在するのではない。存在するのだ。自分が生きているのではない。生きているのだ。問いはそこから始まる。 自分 
   からではない」
   「しかし、師よ」
   「そうだ。君は、誰か、と問いたいのだろう。それは誰でもない。 自分 とは、 誰が の問に対する答えになるような何者かではない。
   それは、 人間 と呼ばれるあるものが、存在するときに必要な器にすぎない。そのようにしか生きることができない形にすぎない。
   そして、 自分 という形で生きざるをえない存在を 人間 と呼ぶにすぎない」
   「では、師よ、それは道具のようなものなのですか?」
   「そうだ、友よ。水を飲むには器がいる。生という水を飲むにも」
   「誰がその器で飲むのですか 」
     少年は老師を真っ向から見て、今まで出したことのない大声で言い放った。老師は静かに、しかし花が咲くように微笑んだ。
   「自分 ではない。 飲む者が誰だろうと、彼は器ではない。よいか。君の知りたい 誰 それは 自分 であることを拒む。 それは
   自分 の外なのだ。 自分とは自分ではない <道の人>はそういった」
    少年の瞳は翳った。
   「師よ、ぼくにはそれがわからないのです」
   「そうではない。君にはわかっている」
   「でも・・・・」
   「君は それがわからない と言う。それだ。 自分 は理解されない。理解されない 誰 なのだ」
     少年の暗黒に何かが閃いた。彼は刺すように老師の瞳を見詰めた。
   「自分とは誰か。そう考えること。考えられる不思議、考えないではいられない痛み、それ以外の答えは無意味だ」 
   「ですが、それは答えではない」
   「と、何度も言っている」
     老師はそっと少年の肩に手を置いた。
   「<道の人>はこう言った。
   「あるということも、生きるということも、今ということも、ここというこも、この世界がこのようであるということ、 ゛自分゛という形しかこの世には
   訪れない。だが、眼を開け、それは、あるだけであり、生きるだけであり、今だけであり、ここだけであり、世界であるだけだ。゛自分゛ではない」と。
   「ならば、師よ。このようにこの川が見え、このようにこの風を感じるのは、ぼくだけではありませんか 師に見える川はぼくには見えるでは川ではない。
   ぼくが感じるように、師が風を感じているわけではない」
  、「そうだ、そうなのだ 」    
     老師は即座に言った。
   「そのとおりだ。だが、見えているということ、感じているということは、 私 ではない。見えている川にすぎない。感じている風は風にすぎない。
   それを 私が見る と言うとき、その 私 は、他の全ての者が 私 と言う 私 だ。 私 は他者からやって来る。その川がこのように見えているという。
   そのことは、他の何事ともくらべることのできない、たった一つの出来事なのだ。だからそれは・・・・」
     少年は言った。
   「 私 ではない」
   「何ものでもない。そして 私 として生きるほかない限り、何なのか知ることともない」
     老師は少年の髪をなぜた。  
   「あのとき、<道の人>も私にそのことを教えたのだ。  
   「私がある、という思いを離れよ。離れたならば、もはや私は私ではない。世界は世界ではない。今は今ではない。それは存在することではなく、生きることでもない」
      私は、今の君のように言った。
   「では、何なのです 」
      すると<道の人>は静かに言った。
   ゛断念せよ゛それまでだ」 と。
      少年は泣いた。そして小さい声でつぶやいた。
   「でも、ぼくはここにいるのに」
   「友よ。耐えるのだ、そのようにしか生は我々にやって来ない。 「自分は自分ではない」、 ならば 自分 を作らねばならない水を飲む器を作らねばならない。
   人が生きるということはそのことだ。水を飲むとはそういうことだ。その重荷を引き受ける。生きることが尊いのではない。生きることを引き受けることが尊いのだ」
   「どうして?」
   「引く受けなくてもいいからだ」
   「理由はない、でしたね」
      少年は微笑んだ。  
   「この世にはしなければならないことがたくさんある。しなければならないと人が思うのは、しなくともいいことだからだ。生きなくてもいい、だから生きなければならない。
   犬のように水を飲んでもかまわない。しかし水を器にいれて飲むことにする。尊さはそこにある」
     老師は少年の頭から手を話、再び川の流れに目を向けた。
   「何かしら善なるもの、私はそれを求めている」
   <道の人>はそう言っていた。どこか必ずある善そのもの、と彼は言わなかった」
   「それを汲み上げるもの 自分 という器なのでしようか」
   「違う。善とは、どのように器を作り、どうそれを使うということなのだ」
   「どのようにすればよいのでしよう」
     老師は月を仰いだ。
   「たった一つの正しい方法などないのだ。ただ、けっして間違ってはならない器は他者っから作られ、他者によって磨かれる。器は水の外で作られるのではない。水の中で作られる。
   器の外の水をくむのではない。器をつくり、それを磨くとき、そこに水は満ちている」 
   「師よ」
   「友よ。器を作れ。困難な仕事だ。それを何度も磨く。一度打ち割って、作り直さねばならぬときもある。割れた器で飲まねばならぬときもある。それでも、最後まで生を飲み干せ]
      老師は少年を見た。
   「生が私であるとき、それは君なのだ。いつの日かそれがわかれば、死はのどの渇きを癒すように、安らかに訪れるだろう。たとえ君が 誰 であろうと」
   「師よ」
      少年はもう一度呼びかけた。焚き火が燃え尽きた。
   「もう終わった。行くのだ」
      老師は再びその夜の三日月を仰いだ。



     道が森の中に入る前、少年は一度振り返った。
     老師は庵の前に座していた。わずかに扉が開くと、髪の長い少女が現れ、老師の肩に持って来た何かを羽織らせた。
     少年は初めて、そこに自分と老師以外の人を見た。彼は森の中へと走りだした。老師と少女はそれに気がつかなかった。

                                                          次回「後夜」につづく
  
      
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