無償の行為を実践して意味なき殺人をするラフカディオ,奇蹟により改宗したアンティムの破綻,地下室に幽閉されている法王を救い出すためと称して詐欺を働くプロトス…….複雑多岐な事件の発展の中に,人間の行為の底にひそむ偶然と必然の問題が明快に描き出される.近代小説に新たな展開をもたらした作品.一九一四年作.
フランスのノーベル賞作家、アンドレ・ジイドの作品。
石川淳 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)
この作品を読み終えた後で、感じたのはカミュの『異邦人』との相似である。
太陽がまぶしかったから、という理由で殺人を犯したムルソーと、ラフカディオとの間には共通する面はいくつかある。
ラフカディオは列車に乗っている最中、殺人を犯す。
だがラフカディオには、殺した相手であるフルーリッソアルを殺す理由はない。利害があるわけでも、恨みがあるわけでもなく、必要に迫られてもいない。
ただラフカディオの前にたまたま殺人を犯すにうってつけの機会が転がっていたというだけにすぎないのだ。
ムルソー同様、それは不条理で現代的な殺人とも言えるだろう。
ただ、ムルソーとラフカディオには大きく異なる点がある。
それはムルソーが自分自身に対してすら無関心であるのに対し、ラフカディオは本質的に殺人に対して罰せられることを欲しているという点だ。そして多少の自己顕示欲もあるという面もそうだろう。
それゆえ、ラフカディオにはムルソーほどの凄みが足りず、物足りなさを覚えたことは否定できない。
しかしその中途半端さが、逆にいまの時代の殺人と近いように思え、印象的に映った。
物語の方は、そんな殺人を犯したラフカディオに対して、教会にすがるよう勧める展開になっている。
しかしこの物語に描かれていることこそ、そのすがるべき教会の腐敗である点が皮肉だ。
ジュリウスが義兄アンティムを救うため、ローマ法王に訴えるシーンなどはそれを端的に示すだろう。
そこにある権威主義的な行為は俗物的で、信者を顧みない姿勢などはあまりに愛がない。
法王をだしにプロトスなどは詐欺を働いているが、そういうことに利用されかねない要素が教会側にはあったのだということかもしれない。
しかし現実的な問題、たとえ腐敗していようと、罪を犯した人間はそんな教会にすがらざるをえない。
だが恐らくそのような腐敗っぷりでは人間の心を救えないことなど明白で、そこには明らかな矛盾がある。
そのような中、ラストでラフカディオとジュヌヴィエーヴが結ばれるシーンに大きな意味があると思った。
つまり彼女の存在こそ、ラフカディオにとっては教会に代わりうる救いなのだ、ということである。
人の心を救うのは組織ではなく、個人の愛でしかない、そういうことだ。
それはベタな誤読かもしれないが、僕はこの作品からそのような結論を受け取ったがどうだろう。
ともかくも本作はいろいろなことを考えさせてくれる作品ということは確かだ。
文章が少し硬く、やや読み進みにくい部分はあり、幾分ご都合主義的だが、それなりに興味深い作品である。
評価:★★★(満点は★★★★★)
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