私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『あの戦争になぜ負けたのか』 半藤一利・保阪正康・中西輝政・戸高一成・福田和也・加藤陽子

2009-08-18 20:22:43 | 本(人文系)

「対米戦争の目的は何だったのか」、「陸軍エリートはどこで間違えた」等、戦後六十余年、「あの戦争」に改めて向き合った六人の論客が、参戦から敗戦までの疑問を徹底的に掘り下げる。
「文藝春秋」読者賞受賞。
出版社:文藝春秋(文春新書)



歴史上のある事件なり物事において、それが起こったという事実は常に唯一だが、その事実の解釈はときとして複数になる。
歴史に限ったことではないけれど、事実は見方ひとつで、どうにでも変わるものだ。

そういう考えの人なので、これまで僕はなるべく近現代史は避けて通ってきた。
その時代を扱うとき、どうしてもそこにイデオロギーのフィルターが入りがちになる。そういう気がするからだ。
素人の僕には、何が正しく、何がイデオロギーという主観を通して語られたことか、判断がつかない。


というわけで、近現代史に対し、無知な状態で読んだ本書なのだが、イデオロギー的な側面が少ないので、安心して読める。
何より初めて知るものも多く、非常に勉強になるのも、良い点であった。

特に台湾沖航空戦の話などは、知らないことも多いため、いろいろ考えながら読んでしまった。
その内容を読んでいると、当時の軍人はなぜ情報をもっと精査して扱おうとはしなかったのか、疑問になる。
もちろんその当時にだって、上がってくる戦果を疑問に思っている人間だっていた。けれど、それらがあっさり無視され、結果的にはその後、大きな被害を生んでしまっている。
なぜこんな事態に陥らなければいけなかったのか、疑問を持たずにいられない。


基本的に、多くの人間が自分にとって都合の悪いものを見ようとしなかったことが大きいのだろう、とこの本を読むと思ってしまう。
その過信がどこから来るのか、僕にはふしぎに思う。

だがそれは、国家戦略のないまま、戦争に突き進んでいき、身の丈に合った行動を取れなかった、当時の歴史的事実と根っこは同じなのだろう。
欲であり、見栄であり、馴れ合いであり、ちっぽけな人間関係なりが生み出す競争であり、それらがもたらす思考停止なのかもしれないし、相手の立場を慮るあまり、大事なことが言い出せない雰囲気にある、という気もする。
そんな仕様もないくらいに、ちっぽけな感情の積み重ねが、巨視的で冷静な判断を停止させたのかもしれないな、と思ってしまう。もちろんもっと複合的な意味合いもありそうではあるが。

だがそれは何も軍人だけでないという点も重要なのだ。
少なくとも戦争も致し方なしという空気が、どこかの段階から決定的なものになってしまったのだが、少なくともそれを世論、つまりは大衆も後押ししていたのだ。
そういう意味、軍人はもちろんだが、大衆にも一定の責任はあるだろう。

基本、僕はハト派なので、暴力的な行動でことを解決しようという姿勢は、断固として拒否してしかるべき、と思っている。
だがどんなに良心的な反論しようとも、それに屈するしかない雰囲気が生まれることもあるらしい。

何かそう考えると悲しいことだな、と思えてならない。
そういう風に考えるなら、日本が戦争を起こしたのは、結論的には必然としか言いようがなくなってしまうからだ。そして本書を読む限り、それはある意味ではその通りなのかもしれない、と思えてくる。


戦争から学ぶべき点は多い。
戦争を起こしたのは人間である。人間が犯したことならば、現代の人間だって犯す可能性はある。
戦争を起こさないまでも、当時と似たような行動を取ることだって、ないわけではない。

人間は、根本的な部分では進歩しない生き物だ。愚かしいことではあるけれど、ときに過去に犯した過ちと、同じ過ちをくり返す。
けど、少なくとも人間は学ぶことができるし、学ばなければならないんだとは思う。歴史はそういう場合、格好の教科書なのだろう。
ありきたりだがそんなことを本書を読み終えた後に、思った次第だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの著者作品感想
・保阪正康作品感想
 『あの戦争は何だったのか』

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